サッカーの話をしよう

No.12 明日のサッカーを占うキックイン

 8月21日から東京はじめ国内の6都市で開催されるU−17世界選手権は、国際サッカー連盟(FIFA)主催の大会。17歳以下とはいえ、明日のスーパースターが登場する大会として世界の注目を集めている。そして日本のサッカー界にとっても、この大会は大きな意味をもっている。
 日本サッカー協会は2002年のワールドカップ開催立候補の準備を進めている。遠い先の話のように感じるかもしれないが、開催国決定は大会の6年前、つまり96年。FIFAの理事会で行われる。
 今夏のU−17世界選手権は、日本に開催・運営の能力があるか、そして何よりも、日本人がどのくらいサッカーに興味を抱いているかを、FIFA自身がチェックする舞台でもある。ワールドカップ開催の可否は、この大会の成否に大きく影響されるはずだ。

 さてそのU−17で興味深い「実験」が行われる。FIFAは前回のU−17イタリア大会(91年)でも2つの新ルールを実験し、そのひとつを翌92年夏から実施に移した。いわゆる「新バックパス・ルール」だ。
 今回テストされるのは、スローインに代わる「キックイン」の導入だ。
 現ルールでは、タッチラインからボールが出るとそこから相手側チームがスローインを行う。両手でボールをもち、頭を上を通して投げる。かなり鍛えても、30メートル投げるのは難しい。それをボールが出た場所からのキックにするというのが、「キックイン」だ。

 この計画に世界のマスコミがいっせいに反発した。
 キックインではスローインと同様オフサイドがない。ボールを受ける攻撃側選手はいくらでも前進でき、相手ゴール前でロングキックを待つようになる。190センチクラスのFWを用意すれば、相手陣にはいってのキックインは大きな武器になる。そんなプレーが横行したら、サッカーはずっと大味になってしまうというのが、主要な論調だった。
 この新ルールの推進者であるFIFAのブラッター事務総長によると、130年前にサッカーが始まったころにはキックインが行われており、昔のルールに戻るだけだという。
 しかしFIFAの最大の狙いは、もちろん、ルールを昔の姿に戻すという点ではない。「ゲームのスムーズな進行」こそ、FIFAが求めるものだ。

 サッカーは45分ハーフの90分間で試合が行われているが、そのうち「インプレー」の時間は平均すると60分を割ってしまう。つまり、1試合のうち30分間以上は、いったん停止した試合がゴールキック、コーナーキック、フリーキック、スローインなどで再開される前の時間として「浪費」されているのだ。
 実際にプレーが行われている時間をできるだけ長くすることにサッカーが今後も人気を保つカギがあると、FIFAは考えた。そしてそのひとつとしてGKへのバックパスを制限するルールを昨年採用、第2弾として「キックイン」が検討されているのだ。
 スローインでは、前述のように投げる距離が限られているので、近くの選手をマークされるとなかなか投げられない。キックインでは相手側選手は9.15メートル離れなければならないので、スムーズな試合再開が可能になるというのが、FIFAの見解だ。

 U−17の大会が進むに連れて選手も新ルールに慣れ、ルールを生かした効果的な攻撃が行われていくはずだ。このルールがサッカーの魅力を増すことに役立つかどうか、日本のファンはFIFAの決定の重要な証人となる。

(1993年7月20日=火)

No.11 思いやりの心にフェアプレー賞を

 ジェフ市原の攻撃陣に新しく加わったフランク・オルデネビッツは、1988年のFIFA(国際サッカー連盟)フェアプレー賞の受賞者である。
 ブレーメンに所属していた彼は優勝をかけた試合で自陣ゴール前でハンドの反則を犯した。だが主審はこれに気づかずCKを指示。相手選手のアピールで主審がオルデネビッツにたずねると、彼はすぐに自分の反則を認めた。主審は相手チームにPKを与え、ブレーメンは0−2で敗れた。
 もちろん、ドイツでもこの行為は大きな話題となった。しかしブレーメン・クラブは非難するどころか、スポーツマンらしい行為として称賛したという。

 長い間中断していたフェアプレー賞の表彰をFIFAが再開したのは87年のことだった。以来5回のうち個人の受賞者が3人。そのなかの2人が現在Jリーグに所属している。もうひとりはもちろん名古屋グランパスエイトのゲーリー・リネカーだ。
 個人でない2回のうちひとつはスコットランドのダンディー・ユナイテッドのサポーターだ。UEFAカップの決勝で敗れたときに、優勝した相手チームを盛大な拍手で祝福した行為が多くの人の心を打った。
 もうひとつはトリニダードトバゴ・サッカー協会。ワールドカップの最終予選で敗れたとき、普通なら葬式のような雰囲気になるところだが、試合終了と同時に町はお祭り騒ぎになったという。これほどまでに熱狂させてくれた代表チームとサッカー自体への感謝の気持ちの表出だった。

 Jリーグにもフェアプレー賞の表彰制度がある。しかしこれは、警告と退場の回数をポイント制にして争う方式。FIFAの表彰とはずいぶん意味が違う。
 FIFAは「プレーを離れた面でサッカー自体の価値を高めた」行為を表彰する。FIFAはこうした行為を「フェアプレー精神の発露」としている。
 この観点で考えてほしいのが、7月7日、Jリーグ第1ステージの優勝を決めたときに鹿島アントラーズがとった行動だ。当日のグラウンドで胴上げが行われなかったことは報じられたが、その真の意味を伝えたマスコミは少なかった。

 宮本監督は「まだ2試合残っているから」と説明した。しかしそれは彼の奥ゆかしさを示すものだった。胴上げしなかった真意は浦和のファンへの心づかいだったのだ。
 昨年、プロ野球のヤクルトが甲子園で阪神を破って優勝を決め、当然のように胴上げをした。これに阪神ファンがブーイングを浴びせたことはずいぶん非難された。しかし非難されるべきは、阪神ファンの心情も考えず無神経な行動をしたヤクルトではなかったか。
 敗者に勝者をたたえる潔い態度が必要だとしたら、勝者に必要なのは、ほんの少しの慎み深さだ。
 浦和ファンの前での胴上げを差し控えたアントラーズの行為こそ、FIFAのいうフェアプレー精神あふれるものだった。ポイント制のフェアプレー賞の意義も大きいが、こうした行為への表彰もぜひ考えてほしい。それによってアントラーズの行為はJリーグの美しい伝統となるはずだ。

 3日後、アントラーズは地元ファンの前でサンフレッチェ戦を戦った。不運にも(本当に不運だった)敗れたが、全力を尽くした戦いに、人びとは満足し、盛大な拍手を送った。
 試合後、フィールドの中央でファンにあいさつする宮本監督が思わず言葉につまったとき、選手たちはさっと監督を囲み、胴上げを始めた。これまでに見たことのない感動的な胴上げを生んだのは、アウェーのファンを思いやる優しい心づかいだった。

(1993年7月13日=火)

No.10 判定ミスもサッカーのうち

 サッカーは何人でする競技かご存じだろうか
 「11人と11人、合計22人」という答は50点。レフェリー(主審)とラインズマン2人、合計25人というのが正解だ。
 黒い服を着て目立たないが、試合をするうえでなくてはならない存在なのが審判員だ。最近のトップクラスの試合では、もうひとり予備審判を置き、4人制で試合を運営している。

 サッカーでは審判の権威は絶対のもの。選手も監督も、審判に抗議も質問もできない。主将にはその権利があると思っている人は多いが、それは誤解だ。
 ルールは「競技の結果に関する限り、競技に関連する事実についての主審の決定は最終的である」としている。回りくどい言い方だが、要するにレフェリーの決定は誰にも変えられないということだ。
 86年ワールドカップで、アルゼンチンのマラドーナが手でゴールを決めた。あまりに巧妙だったのでレフェリーは気づかず、ゴールを認めた。もちろん、後にハンドだったことが確認されたのだが、試合結果が変わることはなかった。「競技に関連する事実」については、レフェリーの決定が最終的だからだ。
 だが今日のサッカーがかかえる問題のひとつが審判であることは隠しようのない事実だ。世界の最高峰の大会であるワールドカップでも判定のミスや執拗な抗議などが続出し、国際サッカー連盟(FIFA)を悩ませた。

 問題はいくつもあった。ひとつはラインズマンの能力不足。大会に集められた世界のトップ審判員は通常は主審しかやったことがなかったからだ。FIFAはラインズマンの重要性を再認識し、92年からそれまでの国際審判員に加え、国際ラインズマンも認定して質の向上を計っている。
 第2の問題は選手が完全なプロの時代に、審判員の大半がアマあるいはセミプロであるという点。信じ難い話だが、職業として審判をしている人は世界にも皆無といっていいほど。FIFAは審判員のプロ化を世界に呼びかけている。
 そして第3の問題、それは、百年以上も続いている審判システムそのものだ。現代のサッカーは百年前に比べはるかにスピードアップし、戦術的に複雑化している。これをたった3人でコントロールできるのか。レフェリーを2人にしたらどうか、ラインズマンも4人に増やしたら、あるいはアイスホッケーのようにゴール判定専門の審判員が必要なのではないか。この問題は今後FIFAで積極的に議論されていくはずだ。21世紀を迎えるころには、審判のシステムは大きく変わったものになっているだろう。

 しかし忘れてはならないことがある。どんないいシステムをつくっても、それを実行するのは人間であり、人間にはかならずミスがあるということだ。
 サッカーというのは、ある意味でミスによって成り立つ競技ということができる。得点の8割は、完全な攻撃プレーからではなくディフェンス側のミスから生まれる。ミスがなければハンドボールのような試合になってしまう。
 FIFAのフェアプレー賞を受賞したことのあるリネカー(名古屋グランパスエイト)はこう語る。
 「レフェリーにもミスがあるが、それはある程度許されるべきものだ。なぜならば、選手も同じようにミスをするからだ。1試合を通してみると、レフェリーも選手も同じくらいのミスをしているのではないか」
 選手やチームには受け入れ難いことかもしれない。しかし「判定ミスもサッカーのうち」なのだ。

(1993年7月6日=火)

No.9 グラウンドが足かせ 草サッカー

 Jリーグの人気に引っぱられ、会社や学校、あるいは地域の仲間のチームがどんどん増えている。都内の某サッカー専門店の話によると、チーム単位のユニホーム注文が例年の数割増しになっているそうだ。チームを結成すると、何はともあれ、ユニホームをつくることから始めるからだ。
 これまでも、小学生から高校生にかけての男子ではチーム数や選手数はとっくに野球を抜いていた。それがやっと大学生や若い社会人にも及んできた。
 だが、競技人口は本当に増えるだろうか。サッカーを楽しめる人が、ユニホームの売り上げと同様に増えていくのだろうか。実は、日本サッカーの発展を阻む要素が、新しくチームをつくった人びとの前に大きく立ちふさがっている。

 東京のある会社で、高校時代にサッカー経験のあるA氏が中心となり新しいチームをつくったとしよう。メンバーはすぐ集まる。A氏はユニホームを決め、注文する。大好きなJリーグクラブと同じものだ。ユニホームが完成するころにデビュー戦をしようと対戦相手を探す。これも簡単。同じようなチームが周囲にたくさんあるからだ。
 だがここで壁に出会う。グラウンドがないのだ。都内の企業で社員のためにグラウンドをもっているところなどほんのひと握り。公立のグラウンドを借りるしかない。だがそれが不可能に近いことなのだ。

 東京の各区はそれぞれ区営の運動施設をもち、一般に貸し出している。だがサッカー場が占める割合はほんのわずかだ。
 たとえば世田谷区には区営の野球場が15面ある。だがサッカー場は2面だけ。野球場も足りないのだが、サッカー場不足はそれどころではない。区によっては、サッカー場が一面もないところもある。
 こうした公営の施設はたいてい抽選方式。だが大半の抽選は平日の午前中。A氏が行こうと思ったら有給休暇をとらねばならない。
 そして昨年から、都内のサッカー場はさらに取りにくい状況にある。「ラクロス」の影響だ。アメリカから輸入されたこの競技は、大学生の間で急速に人気が高まっている。そしてラクロスにちょうどいいのがサッカー場なのだ。新しい競技なので学校の施設は使えない。公共の施設を借り歩くことになる。彼らは互いに情報を交換し、抽選会には下級生を中心に大量動員してグラウンドをとっていってしまう。
 かくして、A氏のチームはグラウンドをもっている大企業チームと1試合しただけで休眠状態にはいり、真新しいユニホームもタンスのこやしと化す。
 東京以外でも、少し大きな都市ならこうした状況は同じだと思う。土地の高い日本でサッカーグラウンド1面の土地を新しく確保するとしたら、一体いくらかかるのか。グラウンドがなければ、サッカーはできない。競技人口を増やすのも不可能だ。

 こうした状況を打破するには、大きく分けて2つの道がある。ひとつは「ミニサッカー」を普及させること。狭い土地や体育館でもできる5人制サッカーが普及すれば、競技人口も増える。ブラジルでもリオなどの大都市では盛んで、ジーコはミニサッカーから生まれたスターだ。
 もうひとつの道は、学校や企業に属しているグラウンドを地域社会の財産とすること。もっと一般に開放し、有効に使うことだ。
 Jリーグは「地域に密着した総合クラブを通じて誰でもスポーツを楽しめる社会をつくること」を究極の理念としている。そのためにネックになるのがグラウンドであることは明白だ。

(1993年6月29日=火)

No.8 観戦の基礎知識 オフサイド

 互いのゴールを攻め、守るという単純明快なスポーツ、サッカー。そのなかで唯一わかりにくいのがオフサイドルールだ。
 パスが2本、3本とつながり、最前線のFWにボールが出る。「シュート!」と身を乗り出すと無粋なホイッスル。オフサイドがわかれば、観戦ももう少し面白いのに、と思う人も多いのではないだろうか。

 オフサイドは、ルールが統一される前、英国の私立高校でそれぞれのルールの下で行われていた時代に誕生した。敵ゴール前にこっそりといて得点する卑劣な方法を禁止したものだ。現在のルールは以下のように整理するとわかりやすい。
 最初に「オフサイドポジション」を想定する。
 ①相手陣にいる。
 ②ボールより前にいる。
 ③相手の後ろから2番目の選手より前に出ている。
 3つの条件を全部満たすと、その選手は「オフサイドポジションにいる」ことになる。「前」というのは「相手側ゴールラインにより近い位置」という意味。たいていの場合はGKがゴールについているから、いちばん後ろのDFより前に出ているとオフサイドポジションとなる。
 だがこのポジションにいるだけでは反則ではない。その選手に向かってパスが出されたときに初めてオフサイドの反則になるのだ。

 整理してみると意外に簡単なルール。わかりにくいのは、反則かどうかの判断をするタイミングが、パスがFWに渡ったときではなく、後ろの選手がパスを出した瞬間だという点だ。パスが飛んでいる間にFWが前に出た場合にはオフサイドではないし、逆にパスが出てからDFが戻ったときにはオフサイドだ。
 ここで問題なのは「オフサイドトラップ」。相手がパスをする直前にDFが前に出て、FWをオフサイドにしてしまうという守備戦術だ。ルールができたときの精神からすると、このFWは卑劣な方法をとったわけではないが、今日の解釈ではこれもオフサイドの反則となってしまう。
 大変なのはラインズマンだ。真横から見ていると、DFとFWが出たりはいったりする。パスが出た瞬間にどちらが前にいたか、正確に見るのは至難の業なのだ。その結果、ワールドカップのような世界の一流の審判が集まる大会でも誤審が起こる。オフサイドの判定は直接得点チャンスにつながる。だから大きな議論となることが多い。

 先日のヴェルディ対ガンバ戦のカズの決勝ゴールもその例だった。百人が百人オフサイドという印象をもつ場面だったので、なおさらだった。しかしVTRを詳細に見ると、判定は正しかったようだ。
 笛が吹かれる前に「オフサイド!」と言って周囲の尊敬をかちとる秘密の方法がある。ラインズマンを見ることだ。オフサイドの反則があったとき、ラインズマンはその場に止まって旗を真上にあげる。「これは?」と思ったときにすばやくラインズマンを見れば、いち早くオフサイドを知ることができるのだ。

(1993年6月22日=火)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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