サッカーの話をしよう

No.766 4点差に挑む

 「一つの試合に勝つことと、4点差をつけて勝たなければならないことは同じでない。それは、そそり立つ絶壁を見上げるような絶望に私たちを引きずり込むおそれがあった」(「サッカー・マガジン」1979年7月25日号『メノッティ、1353日の戦い』=世古俊文訳・牛木素吉郎監修=より)
 今夜、名古屋グランパスは大きな戦いにチャレンジする。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)準決勝第2戦。相手はアルイテハド(サウジアラビア)。ただの準決勝ではない。名古屋は4点以上の差をつけて勝たなければならないのだ。
 1週間前にジッダで行われた第1戦、名古屋は前半7分にDF竹内が退場となり、ただでさえ不利なアウェー戦の大半を10人で戦わなければならなくなった。それでも先制点を挙げ、前半を2-1で折り返したが、気温29度、湿度70%という厳しいコンディションのなか、終盤に連続失点して2-6の大差で敗れた。逆転で決勝戦に進むには、4点差以上の勝利が必要なのだ。
 実力が伯仲したプロのサッカーで4点差が必要というのは容易な状況ではない。だが不可能と言い切ることはできない。ワールドカップでこの状況から決勝へ進んだチームがあるからだ。それが1978年大会のアルゼンチンだ。
 4チームで組む2次リーグB組から決勝に進めるのは首位の1チームのみ。アルゼンチンとブラジルがともに1勝1分けで迎えた最終日、午後4時45分にキックオフしたブラジルはポーランドに3-1で勝った。その結果7時15分からペルーと対戦するアルゼンチンは、4点差以上の勝利が必要になったのだ。
 冒頭の引用は、ブラジルの試合結果を知ったときのアルゼンチン・メノッティ監督の偽らざる心境だった。しかし試合直前、更衣室に選手たちを集めると、メノッティは強い口調でこう話した。
 「いまこの大事なときに、私たちは他の試合の結果を気にするようなチームではないと信じている(中略)。決勝戦に出るか出ないかは、私たち自身の力によって決まる。(中略)。人間の一生で最大の喜びは、自らの努力と献身で成果を得ることだ。さあ行くぞ」(引用前掲に同じ)
 アルゼンチンは前半20分に先制点を挙げ、43分に追加して2-0で折り返すと、後半には4点を奪って6-0とし、決勝戦出場の権利を勝ち取った。
 名古屋にも奮闘を期待しようではないか。
 
(2009年10月28日)

No.765 238分割されたピッチ

 「見てくれ、ここがぼくの芝生なんだ」
 スタジアム前に掲出された畳何枚分もの大きな看板の一カ所を指し示しながら、中年のサポーター、ウルス・ライマーさんは得意満面の笑顔を見せた。
 「パウル・ヤネス・スタジアム」は、ドイツ・デュッセルドルフ市の東にある小ぶりなサッカー専用競技場。収容7150人。所有者は市だが、現在はこの街最大のクラブである「フォルトゥナ・デュッセルドルフ」の専用となっている。トレーニングやリザーブチームの試合に使っているのだ。
 「幸運の女神」を意味するフォルトゥナは1895年創立。1933年にはドイツ選手権で優勝したこともある名門だ。だが70年代にブンデスリーガで上位を争った後、80年代以降は低迷して一時は4部にまで落ちた。
 「30年間の低迷」のなかでクラブ経営も大変な苦労を味わった。クラブ史上最悪の「オーベルリーガ北ライン地区(4部に相当)」に降格したのは2002年だった。同時に試合に使っていたライン・スタジアムの建て替えでホームゲームをパウル・ヤネスで開催せざるをえなくなった。
 しかし7150人収容といっても座席が2000人分しかなく、あとは屋根もない立ち見の観客席を、赤いマフラーのサポーターたちが毎試合ぎっしりと埋め、声援を送り続けた。その結果2年で昇格を果たし、08/09シーズンにはブンデスリーガ3部で2位となって2部リーグ復帰に成功した。
 こうした苦労のなかで、クラブと市民が支え合う関係がはぐくまれたのは、クラブの将来を考えると幸運だった。そのひとつとして生まれたのが「ピッチ分有化」ともいうべきアイデアだった。
 パウル・ヤネスのピッチを縦に17分割、横に14分割して計238枚のパネルと想定し、それぞれの保有者を募集したのだ。ピッチのメンテナンス費用を捻出するためだった。
 地元の中小企業が争って応募した。冒頭のライマーさんは友人4人と共同で応募し、北側ゴール前の保有権を得た。スタジアム前の大看板には、どこが誰に保有されているのかが示されている。いまチームは5万人収容の新スタジアムでプレーしているが、ファンはパウル・ヤネスにも強い愛着をもち、そのピッチに自分の名が刻まれていることに大きな誇りを感じている。
 クラブの長い歴史には、必ず浮き沈みがある。それを救うのは、クラブと市民が支え合う密接な関係であることを、フォルトゥナの例は教えてくれる。
 
(2009年10月21日)

No.764 ワールドカップ予選はドラマ

 危うく「ブエノスアイレスの悲劇」になるところだった。
 後半3分に得た「虎の子」の1点を守ろうと必死のアルゼンチンだったが、ロスタイム突入のわずか15秒前、ペルーに同点ゴールを許してしまったのだ。引き分けならワールドカップ出場も風前のともしびになる。
 だが叩きつけるような豪雨のなかでアルゼンチンは不屈だった。2分後に右CKを得る。はね返されて左に流れたが、アルゼンチンが拾って中央に入れる。これもペルーの壁に阻まれて右へ。そこにCKをけったMFインスアがはいってくる。
 得意の左足にもちかえてシュート。両チームの大半の選手がはいって密集するペナルティーエリアのなかで、誰かに当たってわずかにコースが変わったボールは、左ポストの前にいたFWパレルモの足に当たり、ゴールに吸い込まれた。
 劇的な勝ち越し点。ベンチから全員が飛び出し、優勝したような騒ぎとなる。マラドーナ監督まで、水が浮いたグラウンドに「ヘッドスライディング」をして歓喜を表現した。2回にもわたって...。
 2010年南アフリカ大会を目指すワールドカップの地域予選はきょう14日に最初のクライマックスを迎える。この日で、アフリカ地域を除く世界の全地域で予選の全日程が終わり、11月のプレーオフを残すだけとなるのだ。アルゼンチンも、きょうのウルグアイ戦(アウェー)に出場権獲得を懸ける。
 すでに18カ国の予選突破が決まっている。きょう新たに4カ国が決まり、残るはアフリカの3とプレーオフにかけられる6の座。これに開催国南アフリカが加わって32の出場国が出そろう。
 予選のプレーぶりと決勝大会の成績が必ずしも結びつかないのは誰もが知っている。アルゼンチンは02年大会の南米予選で圧倒的な強さを見せ首位で突破したが、決勝大会では1次リーグで敗退した。一方南米予選を苦しみながら3位で通過したブラジルは、見事優勝を飾った。
 先週土曜日に劇的な形でペルーを下して出場権獲得に大きく前進したアルゼンチンだが、実は危うく勝利をフイにするところだった。パレルモの勝ち越し点直後、ペルーはMFトーレスがキックオフから破れかぶれのロングシュートを放った。それがアルゼンチンGKの手をかすめ、バーを直撃したのだ。
 予選突破も敗退も紙一重。ワールドカップ予選はドラマにあふれている。
 
(2009年10月14日)

No.763 首位の押し付け合い

 「ヘルプストマイスター」というドイツ語がある。意味は「秋のチャンピオン」。8月に開幕するドイツのシーズン。前半戦は12月で終わる。その時点で首位に立つチームのことだ。「前期王者」というところか。
 ドイツのブンデスリーガでは、前半戦を折り返したところで首位にいるチームがそのシーズンのチャンピオンになることが多いという。ドイツらしく、まことに論理的だ。
 我がJリーグでは「前期王者」など何の意味もない。18クラブの1シーズン制になった05年から昨年までの4年間で「前期王者」が優勝した例は06年の浦和だけだ。
 それどころか、シーズン終盤に近いところまで2位以下に大きく水を開けながら逆転されて優勝を逃すことも珍しくはない。07年には、10月下旬まで独走状態だった浦和が最終節に鹿島に抜かれた。そして今季は、その鹿島が、8月からの4連敗で、11勝ち点もの差をつけていた清水に追いつかれ、ついに首位の座を明け渡した。
 しかし7月から先週まで13試合も負けなし(8勝5分け)の快進撃を続けてきた清水がこのまま初優勝に向け突っ走るか、それもはなはだ怪しい。Jリーグには「首位の譲り合い」という不思議な伝統があるからだ。
 見事な試合を重ねてきてようやく首位に立ったチームが、次節にはまるで別のチームのようなまずいプレーで敗れ、首位陥落という例を、これまでに何十回見ただろうか。Jリーグの「首位争い」がまるで「首位を押しつけるための争い」に思えることさえある。他国のリーグではまず見ることのない現象だ。
 なぜ日本のチームは「首位という状況」にこれほど弱いのか。それはもちろん、精神的な問題に違いない。
 優勝にいちばん近いところに立てば自信が生まれ、戦いぶりにも余裕ができて優位を生かすというのが、ドイツなどに見られるポジティブな反応だ。
 ところが日本のチーム(選手たち)にはネガティブな反応が表れてしまう。首位に立った瞬間に自分自身を見失い、それまでの良さが出せなくなってしまうのだ。メディアなど周囲の見る目の変化に浮き足立ってしまうのかもしれない。
 節ごとに首位が変わるジェットコースターのような優勝争いは、見る側にはおもしろいかもしれない。しかしそれは「成熟」にはほど遠い現象だ。そろそろ「譲り合い」にピリオドを打たなければならない。
 
(2009年10月7日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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