サッカーの話をしよう

No.181 より面白く、ルールも進歩

 ヘディングでも、スローインでも、味方からのすべてのパスに対して、ゴールキーパーは手を使うことができなくなる? 延長戦にはいる前にPK戦をやってしまう?
 ルール改正の話題がにぎやかだ。国際サッカー評議会(IFAB)の定例会が3月1日に北アイルランドのベルファスト郊外で開催されるからだ。
 サッカーのルールを決めているのは国際サッカー連盟(FIFA)と思っている人が多いかもしれない。だが、実際には、FIFA外の組織である「国際評議会」が毎年一回の定例会ですべてを決定している。
 この国際評議会の構成がおもしろい。メンバーはイングランド、スコットランド、ウェールズ、そして北アイルランドという英国の四協会とFIFAの5者。サッカーの実力や成績、あるいは近年の「サッカー政治」とは無関係に、英国の4協会が厳然たる存在になっているのだ。

 そもそもは1882年に4協会がマンチェスターに集まり、ルール統一会議をもったことから始まった。1904年にFIFAが誕生したが、まだ力も弱く、評議会のメンバーに加えられたのは、なんと1913年のことだった。
 しかし現在は、見かけ以上にバランスのとれた組織になっている。FIFAには200近くの加盟協会があり、それを束ねたものが4協会と同じ立場ではおかしいように見えるかもしれない。だが、現在の「持ち票数」は4協会の各国「1」に対しFIFAが「4」。ルール改正は投票制で、4分の3以上の賛成が必要となっているので、FIFAが反対すればルール改正はできないのだ。
 かつてFIFAは「保守的」と非難された。1925年にオフサイドルールを「3人制」から「2人制」に改め、60年代に選手交代を認めた以外には、大きなルール改正をしてこなかったからだ。

 だが80年代以降、次々とルール改正が行われている。これは、「より観客を楽しませるサッカー」「よりスピーディーなゲーム」を目指すFIFAの方針が国際評議会に反映されている結果にほかならない。
 さて、今週土曜日の定例会ではいくつかの大きな改正が有力視されている。
 ひとつは「バックパスルールの限定条件の削除」。これまでGKが手を使うことができないのは「足」の部分を使ってのバックパスだけだったのを、味方からのパス全般に拡大しようという案だ。ヘディングでのバックパスや、スローインを受けるときにも、GKは手を使うことができなくなりそうだ。
 さらに、GKがキャッチしたボールを保持できる時間を、原則として5秒以内とする新ルールも採用されることになるだろう。

 また、PKのとき、これまでGKはキックされるまで足を動かすことはできないルールだったが、ゴールライン上に限って動いてもいいことになりそうだ。
 一方、勝ち抜きシステムの大会で、引き分けのときに延長にはいる前にPKを行い、延長で決着がつかなかったときに初めてPK戦の結果が生きるという方法は(FIFAの審判委員会の賛成にもかかわらず)、採用されないだろう。無駄な時間になるし、PK戦で勝ったほうが延長戦で消極的な試合運びになるのは目に見えているからだ。
 3月1日に国際評議会で決まった新ルールは、FIFAを通じてただちに各国協会に通知され、7月1日から世界中で施行される。それは国際試合やプロリーグだけの話ではない。少年サッカーも草サッカーも、一切例外はないのだ。
 
(1997年2月24日)

No.180 Jリーグも固定番号制に

 先週Jリーグが発表した登録選手名簿を、ちょっとニヤニヤしながら見た。今季から「背番号登録制」となったからだ。
 昨季までは試合ごとに先発選手が1から11番を付けた。交代選手は12から16番だった。今季からは選手が固有の背番号をもち、シーズンを通じてそれを付けて試合に出場する。
 カズは11番、ストイコビッチは10番、井原は4番。このへんは当然だろう。
 ガンバのMF今藤は4シーズンのうちに2番から11番まですべての番号でプレーしたが、8番に落ちつくことになった。フリューゲルスからヴェルディに移籍した前園は約束どおり7番。アントラーズの10番は昨年までヴェルディでずっと7番だったビスマルクだ。

 興味深いのは、ヴェルディが石塚に10番を与えたことだ。「才能は若手でトップクラス」と言われながら、なかなかでレギュラーポジションをとれなかったが、今季はこの背番号にふさわしい活躍を見せてくれるだろうか。
 実のところ、私は1から11番で試合をする昨年までの方法が好きだ。固定制にすれば、当然大きな番号を付けた選手が出場する。プロの雰囲気が台無しだ。シーズン途中に世界的なスター選手が移籍してきても、37などという番号になる。許しがたいことだと思う。
 とはいっても、これは純粋に「趣味」あるいは「美意識」の問題だ。サッカーの質自体には関係がない。だからあまりうるさいことは言わないことにする。
 日本のサッカーでは、固定制は目新しいものではない。1965年に日本リーグが誕生したときに、「ファンに選手を覚えてもらおう」と固定制にした。

 日本リーグ時代には、実力があっても新人の年にはレギュラー番号を与えられないケースも多かった。あの釜本さえ、一年目は背番号20だった。カズもブラジルから帰国した1年目には24番を背負っていた。現在のファンに想像できるだろうか。
 Jリーグに移行するときに廃止した固定制を復活させたのは、ヨーロッパの流れに追随しているからにほかならない。
 イングランドでは数年前に固定制を導入た。これによってシャツの背中に選手名がはいり、レプリカユニホームの売り上げなどマーチャンダイジングの面で大きな成功を収めた。それを見たイタリアが95年に固定制に変え、他の西ヨーロッパ諸国も昨年までに大半が切り替わった。
 Jリーグでは選手名ははいらないようだが、レプリカユニホームはよく売れるようになるだろう。

 ところで、固定背番号というと、どうしても外すことのできない話がある。
 オランダ・リーグでは、70年にファン獲得のために固定制を採用した。当時のヨーロッパでは画期的なことだった。そのとき、アヤックスのある若い選手が「何番にする?」と聞かれてこう答えた。彼は当時すでに国内のトップスターだったから、何番でも優先的に選ぶことが許された。
 「10番といえばペレ、9番といえばディステファノのイメージだ。僕は、誰でもない、僕のイメージをつくりたい」
 そう言って彼が選んだのが14番だった。ヨハン・クライフ。この若者はほどなく世界のトップスターとなり、14番は世界中のサッカー選手の新しいあこがれの番号となったのだ。
 せっかく固定制にしたのなら、どの選手も、自分の番号が少年たちにあこがれられるようがんばってほしい。番号が選手をスターにするわけではない。選手のすばらしいプレーが、番号を光り輝かせるのだ。
 
(1997年2月17日)

No.179 フランスめざし笛の予選

 日本代表チームはワールドカップへの道を3月23日のオマーン戦でスタートする。だが4人の日本人が、その1カ月前に「フランス98」の予選の舞台に立つことは、残念ながらあまり注目されていない。
 2月22日に香港で行われるアジア第1次予選のグループ6「香港×韓国」戦に、主審として小川佳実氏、副審として広島禎数氏と石山昇氏、そして予備審判として片山義継氏が国際サッカー連盟(FIFA)から指名されたのだ。
 アジアの予選は昨年9月にグループ10の6試合が行われたが、その他の9グループはすべてことしにはいってから。香港×韓国戦は、その皮切りとなる重要な試合だ。 
 そうした試合の主審に小川氏が指名されたのは、昨年10月のアジアユース選手権(韓国)で見事な笛を吹き、絶賛されたことが大きい。小川氏は決勝戦の主審を任されたのだ。

 昨年12月にUAEで行われたアジアカップでは、やはり日本の岡田正義氏が「大会ナンバーワン」の評価を受けた。この大会で岡田氏は準決勝まで3試合の主審を務めたが、いずれもすばらしい出来。豊富な運動量、スピード、ゲームの流れの読み、そしてアドバンテージの適用など、文句のつけようがなかった。
 昨年の途中まで「線審」あるいは「ラインズマン」と呼ばれていた副審(アシスタント・レフェリー)にも、優れた人材がそろってきた。
 以前は副審は主審より地位が低いと考えられがちだったが、FIFAが「国際副審」を導入し、「副審は専門家に任せる」という方針をとったことから、「副審としてワールドカップに行きたい」と志す人も出てきた。広島氏、石山氏らはJリーグでも副審専門で活動している。

 Jリーグでは、批判されることはあっても滅多にほめられるこなどないレフェリーたち。しかし日本人レフェリーのレベルは、Jリーグの誕生が刺激となり、また世界的な名手のスピーディーなプレーがすばらしい経験となって、ここ数年間で大きく上がっている。2月のワールドカップ予選への指名、岡田氏の活躍はその何よりの証明だ。
 ワールドカップは、世界中の選手にとっての夢である。決勝戦終了後にあの黄金のカップを受け取ることを夢見ない少年はいない。Jリーグのスターたちも、日本代表になってワールドカップに出場することを大きな目標としている。
 だが同時に、レフェリーたちにとっても、ワールドカップは大きな夢なのだ。まず参加すること、そして一試合でも多く笛を吹き、あるいは副審を務めて、決勝戦に近づいていくこと。そこに向かって努力を続けていない人はいない。

 ワールドカップに参加できるレフェリーは世界中でほんの数十人。アジアからは主審、副審を合わせてもせいぜい4、5人だろう。そのなかにはいることは至難の業といっていい。
 過去、2人の日本人レフェリーがワールドカップの大舞台に立っている。丸山義行氏が70年メキシコ大会で線審を務めて先鞭をつけ、86年メキシコ、90年イタリア大会では高田静夫氏が計3試合の主審を務めた。
 そしていま、新しい世代が日本の審判界をリードし始めようとしている。経験と実力だけでなく、若さもある。岡田氏、小川氏、片山氏、石山氏は全員30代後半、そして広島氏は34歳だ。
 来年のフランスで、日本代表の青いユニホームとともに、日本人レフェリーのはつらつとした審判ぶりが必ず見られるはずだ。

(1997年2月3日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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