サッカーの話をしよう

No.434 ラジオ中継に切り札登場

 煙山(けむやま)「FC東京ゴール前チャンス。戸田がシュート、クロスバーに当たりました! こぼれたボールをもう一回FC東京。バックスタンド側、アマラオがケリーにパス。もういちど、もういちど攻めろ。ああ!...」
 青島「拾った! シジクレイが拾ったが...」
 煙山「もう一回FC東京。アマラオ。中央にはいってくる戸田にスルーパス」
 青島「土屋がクリアだ!」
 煙山「またFC東京が拾った。右サイド、石川が下げて加地がクロスを上げる。ヘディング、アマラオ!」
 青島「ようやくキーパー掛川がつかみました」
 息詰まる実況は、東京のラジオ局「ニッポン放送」の煙山光紀サッカーパーソナリティーと、フジテレビの青島達也アナウンサーだ。

 10月19日、Jリーグ第9節のニッポン放送生中継は、東京の国立競技場から、FC東京対ヴィッセル神戸戦だった。この試合で、2年ぶりの「バトル中継」が実施された。
 煙山アナがホームの東京を、そして青島アナがビジターの神戸を担当し、ボールをもった側の担当がマイクを握る。中継自体がふたりの戦いだ。
 柔らかな声質の煙山アナ。澄んだ声の青島アナ。聴取者は、その違いでどちらの攻撃か感じ取ることができる。
 煙山アナは、Jリーグが発足したころからラジオ中継をしてきたベテラン。青島アナも、フジテレビだけでなく、スカイパーフェクTVの海外リーグ中継もこなす。ともに、ラジオとテレビの違いはあっても、現在の日本の放送界を代表する実力派だ。
 目を閉じて、そのふたりがたたみかけるように発する言葉を聴いていると、国立競技場のピッチが目の前に浮かび上がってくる。ステレオ放送だから、左から東京の大サポーターの歌声、右からは数は少ないが神戸サポーターの力強い声援がはいってくる。

 サッカーほど、ラジオ中継の難しいスポーツはない。選手は状況に応じて流動的に動き、一瞬のうちに攻守が入れ替わるからだ。
 しかし世界には、ラジオ・アナウンサーが大スターという国もある。アルゼンチンで活躍するウルグアイ出身のビクトル・ウーゴ・モラレスもそのひとりだ。スタジアムあるいはテレビで観戦しながら、ラジオをつけて彼の実況を聴くというスタイルが、アルゼンチンの常識となっている。
 流れるように試合を追って状況を正確に伝えるだけでなく、サッカーという競技に新しい意味と価値を付け加えたのが、彼の実況といわれる。
 「神よ、このような美しいゲーム、サッカーを与えてくださったことを感謝します」
 86年ワールドカップでマラドーナが5人抜きのゴールを決めたときの言葉は、あまりに有名だ。

 70年を超す歴史をもつアルゼンチンのラジオ中継文化には及ばなくても、この煙山、青島両アナの「バトル実況」は、ラジオ中継の新しい可能性を開くものだ。攻守の移り変わりが現場で見ているように伝わり、ゴール前のシーンでは急激に自分の心拍数が上るのがわかった。
 Jリーグ・スタートとともにラジオ中継を始めたニッポン放送。聴取者にわかりやすい放送をと、いろいろな工夫をしてきた。しかし「バトル中継」はひとつの「決定版」のように思える。現状では毎回の放送でできるわけではないようだが、各クラブに担当アナをひとりつけるようなことができれば、もっともっと充実した放送になるだろう。
 「楽しかった!」
 15年前にニッポン放送の試験に3回落ちたという青島アナは、あこがれの「ラジオ・デビュー」に上気した表情だった。
 「話し手」の喜びが伝わってくる放送だった。
 
(2002年10月30日)

No.433 フェアプレーへの気持ちを花に込めて

 Jリーグの試合を見に行って、いくつか、「これはいいな」と思うものがある。
 ひとつは、以前にも紹介したが、東京ヴェルディの試合で実施している入場直前の選手たちを映す大型映像だ。
 ロッカールームから出てきた両チームの選手たちが、互いに、そしてレフェリーたちとも握手をかわしている。「いっしょにいい試合をしよう」というメッセージが、説明の必要なく伝わってくる。
 もうひとつは、柏レイソルの試合前のアナウンスだ。
 「○○チーム、そしてそのサポーターのみなさん、柏スタジアムにようこそ。柏市、レイソル・サポーター、そして柏レイソルは、皆さんを心から歓迎します」
 すばらしい言葉だ。試合が始まれば、勝利のため、相手を倒すために全力を尽くす。しかしその前に、遠くからきてくれた相手チームとそのサポーターに敬意を表し、スタジアムにいる全員で温かく歓迎しようという、「ホスト」の意識が強く表れている。
 このアナウンスが流れると、スタンドからまばらな拍手が起きる。本当はもっと盛大な拍手であってほしいと思うが、それでも、とてもいい瞬間だ。
 そして最近、もうひとつ「お気に入り」ができた。浦和レッズの試合前、選手たちと手をつないで入場してくる子供たちだ。
 ワールドカップですっかりおなじみになった「エスコート・キッズ」。Jリーグでも、実施するクラブが増えている。しかしレッズの「エスコート」は少し変わっている。
 第1に、子供たちは11人しかいない。手をつないで入場してくるのはレッズの選手だけ。ビジターチームの選手たちにはついていない。そして第2に、子供たちはレッズの赤いユニホームではなく、黄色いシャツを着ている。
 全員が入場して整列すると、子供たちは、いっせいにビジターチームの選手たちのところに行く。そして、手にもっていた一輪の花をそれぞれの選手に手渡し、恥ずかしそうに握手すると、そのまま走ってスタンド下に消えていく。
 よく見ると、子供たちの黄色いシャツには、フェアプレー・マークがプリントされている。子供たちは、レッズの選手たちとビジターの選手たちを一輪の花で結び、双方に「フェアプレーでやろうね」と、約束させているのだ。
 ワールドカップでは、試合前に選手たちが全員すれ違いながら握手をかわした。しかし試合前の緊張感のなかで、ときに相手を威圧しようとしているようにさえ見えた。
 しかしかわいい子供たちから花を渡されて「フェアプレーをお願い」と言われたら、どんな選手の心にもずしんと響くのではないか。
 「こんな子供たちが見ているんだ。お手本になるようなプレーをしよう」----。そう思わなかったら、プロ失格だ。ワールドカップの形だけをまねるのではなく、しっかりとした理念に裏打ちされたスマートなアイデアだと思う。
 少し残念なのは、こんな素敵なメッセージが、スタンドにはあまり伝わっていないように感じられることだ。スピーカーからは「入場のテーマ」が大音響で流れたままで、サポーターの盛り上がりは最高潮。何をしているかのアナウンスも流れない。「もうひと工夫」ほしいところだ。
 子供たちが手渡す花は、ビジターのチームカラーに合わせたガーベラだという。レッズの運営担当者は、試合日の朝早く、開店前の花屋さんから11輪のガーベラを受け取ってくる。
 1本100円。合計1100円。それでも、どういうふうに使われるか知った花屋さんは、1本ずつていねいに包んでくれるという。そんな花屋さんの心も、選手や、スタンドのファン、サポーターに伝わってほしいと思うのだ。
 
(2002年10月23日)

No.432 アマラオを助っ人とは呼ばせない

 ある日曜の朝、新聞を開いて頭に血がのぼった。
 「助っ人で勝った」
 こんな見出しが出ていたからだ。Jリーグで、FC東京がエース・アマラオのゴールで勝った試合だった。
 「冗談じゃない。アマラオは『助っ人』じゃないぞ!」
 アマラオは、FC東京が「東京ガス」として旧JFLに加盟したころからの選手で、チーム最古参のはずだ。そして、チームをJFLからJ2へ、さらにJ1へと導いた立役者だ。その功労者が、なぜ「助っ人=一時的なメンバー」呼ばわりされなければならないのか。
 怒った勢いで、東京の西部、小平市にあるFC東京の練習場に向かった。
 練習中のアマラオは、誰よりも大きな声を出し、誰よりも力強く走っていた。
 「30歳を過ぎたころから、どのくらい寝ればいいか、どういうトレーニングをすればいいか、わかってきた。おかげで、20歳の選手にも走り負けないよ」
 来日した92年以来11シーズン、アマラオは驚くべきコンスタントさで得点を重ねている。293の公式戦に出場して170ゴール。1試合平均0・6点は、JFL時代(7シーズン)、J2時代(1シーズン)、そしてJ1時代(3シーズン)と、相手のレベルが上がっても、まったく落ちていない。そこに、アマラオの努力の跡を見ることができる。
 「来日当時、東京ガスは完全なアマチュアチームで、ユニホームの洗濯も練習場のライン引きも自分たちでしなければならなかった。単に2部のクラブと思って移籍してきたので、プロでなかったのは驚きだった」
 ブラジルでは、主としてイトゥアノというクラブで活躍し、トヨタカップにも出場した名門クラブ、パルメイラスでもプレーしたアマラオ。ギャップの大きさに最初はとまどったという。
 ただ、実力的にはまだまだだったが、チームメートはみなサッカーを愛し、勝ちたい、強くなりたいという気持ちをもっていた。社員として仕事をしながらサッカーに打ち込む姿勢にも感心した。
 東京ガスは次第に力をつけてJFLの上位に進出、98年には初優勝して99年に誕生したJ2への参加資格を得る。クラブ名もFC東京と改称した。そうしたなかで、アマラオはサポーターから「キング・オブ・トーキョー」の称号で呼ばれるようになる。
 「ラモスやジーコのように日本のサッカーに貢献した人がそう呼ばれるならわかる。でも僕は、まだそれに値しないと、正直とまどった」
 しかしサポーターが自分のことをそんなふうに大事に思ってくれているのだと考えるようになって、やっと受け入れられたという。
 「僕は、ひとりの選手として、そして人間として、このチームと一緒に育ってきた。感謝しているし、このチームは、僕にとって第2の家族だと思っている」
 99年、苦しい戦いの末にJ1昇格を決めたとき、サポーターも一緒になって抱き合ったり、胴上げしたりした。そのときの幸福感は、日本にきてからの10年間で、最も美しい瞬間だという。
 「みんなの力で勝ったんだと、心から思えた。そして僕も、その力の一部になれた。本当に感動的だった」
 きょう10月16日、アマラオは36回目の誕生日を迎えた。日本にきてから11回目の誕生日である。
 短く刈り込んだ髪には、だいぶ白いものが目立つようになった。しかしどの試合でもチームを勝利に導くためにゴールに向かっていく彼のプレーは、白髪の本数の何百倍、何千倍ものファンに、夢と勇気を与えてきた。
 もう絶対に、アマラオを「助っ人」などと呼ばせない。
 
(2002年10月16日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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