サッカーの話をしよう

No.839 番狂わせ記念日

 6月29日は「番狂わせ記念日」である。61年前、1950年のこの日、「サッカー史上最大の番狂わせ」が起こったのだ。
 ワールドカップ・ブラジル大会の1次リーグ第2組、アメリカ対イングランド。ベロオリゾンテでの試合だ。
 第二次世界大戦による中断を経て再開されたワールドカップ。ブラジル国民は自国の初優勝を願う一方、「サッカーの母国」イングランド代表の大会初出場に熱狂していた。
 戦前の3大会は不参加だったイングランド。だがいまだホームで敗れたことはなく、世界的なスターを並べて「銀河軍団」と呼んでいい存在だった。
 アメリカはセミプロと言っても1試合5ドル程度の報酬でプレーする選手が数人いるだけで残りはアマチュア。開幕2週間前に集合、数日間の合宿をこなした後、3日間をかけ、7便もの飛行機を乗り継いで、疲れ切ってブラジルに着いた。大西洋をゆったりと船で渡ってきて体調十分のイングランドとは、何もかも対照的だった。
 青シャツ、白パンツのイングランド。対するアメリカは、白シャツに紺のパンツ。気温27度。ブラジルの6月は冬だが、高原に位置するベロオリゾンテは「常春の街」だった。
 満員の観客のお目当てはイングランドのスターたちのプレーだった。期待に応え、イングランドは前半10分までに6本ものシュートを見舞った。だがことごとくアメリカGK、元プロ野球捕手のボルギがはね返した。
 そして前半38分、アメリカに先制点が生まれる。MFバーがドリブルで前進して右からシュート。ボールは力なく飛び、イングランドGKが簡単にキャッチするように見えた。
 だがそのとき、ひとりのアメリカ選手が猛烈な勢いで走り込み、大きくジャンプして頭で触れた。ボールはふわりと上がり、イングランド・ゴールに落ちていった。決めたのはハイチからアメリカに留学していたFWゲティエンスだった。
 後半、再びイングランドの猛攻。だがアメリカは反則覚悟の猛タックルで防いだ。若いアメリカは体力には自信をもっていた。そして90分間が過ぎた。
 アメリカ1-0イングランド。誰にも信じられない結果だった。間違いと思い込んだロンドンのある新聞が、「10-0でイングランドが勝った」と報じたほどだった。
 優勝して当然と思われていたイングランドだが、スペインにも0-1で敗れ、1次リーグで姿を消した。そして屈辱的な負けを喫したアメリカ戦の青いユニホームを、再び着ることはなかった。
 
(2011年6月29日)

No.838 アウェーゴール・ルール

 キーワードは「アウェーゴール」だ。
 来年のロンドン五輪を目指すU-22日本代表は、19日(日)にアジア2次予選の第1戦を豊田スタジアムで戦い、クウェートに3-1で勝った。
 ホームアンドアウェーの2戦制で行われている2次予選。23日(木)にクウェートで行われる第2戦で勝つか引き分けなら文句なく3次予選進出が決まる。しかし負けると状況は複雑になる。
 負けても1点差なら2戦通算得点は日本のほうが多いから問題はない。3点差だと当然アウトだ。しかし2点差なら? ここで登場するのが「アウェーゴール・ルール」だ。
 2試合合計得点が同じになった場合には、アウェーで得た得点が多いチームが勝ちというルール。0-2の負けだと合計得点は3-3だが、アウェーで1点取っているクウェートの勝ち。2-4での負けだと逆に日本の勝ちということになる。
 1-3だとややこしい。第2戦は30分間の延長戦となるのだ。今予選の規約では、延長が0-0ならPK戦決着となるが、延長戦のスコアが同点でもゴールが記録されたときには、アウェーゴール・ルールが適用されて日本の勝ちとなる。
 アウェーゴール・ルールが日本で使われるようになったのは06年以来。ナビスコ杯とJ1・J2の入れ替え戦で採用され、J1の福岡とJ2の神戸の間での入れ替え戦は神戸で0-0、福岡で1-1と2引き分けだったものの、神戸がJ1復帰を果たしている。
 だが制度が生まれたのは1960年代と古い。欧州のクラブカップで採用されたのが始まりだった。当時、アウェーではがちがちに守備を固めて0-0の引き分けに持ち込むという戦術が横行、試合がつまらなくなった。そこでアウェーでも攻める姿勢を出させようと考案されたのだ。
 豊田での第1戦、日本は後半16分にカウンターから見事な3点目を決め、安全圏に逃げ込んだかと思った。ところがその6分後に守備の判断ミスが出て絶対に与えたくなかった「アウェーゴール」を与えてしまった。
 予報では日中の気温が45度にもなり、夜でも31度までしか下がらないという23日のクウェート。キックオフは現地時間で19時45分(日本時間24日午前1時45分)だが、過酷なコンディションとなるのは間違いない。
 ホームで失った1点はけっして軽いものではない。それを帳消しにするには、先制点を狙う積極果敢なサッカーが必要だ。
 
(2011年6月22日)

No.837 商品の内容量を増やせ

 ゴールキック24秒、コーナーキック29秒、フリーキック23秒、スローイン11秒、ペナルティーキック1分18秒、そして失点後のキックオフ42秒。
 日本サッカー協会審判委員会がJリーグでリスタートにどれだけ時間がかかっているか調査した。右の数字は昨年のJ1全306試合で出た1回あたりの平均時間である。
 「これから細かな分析が必要だが、海外と比較するとゴールキック(GK)とコーナーキック(CK)に時間がかかっているのは確か」と、松崎康弘委員長は説明する。
 昨年のワールドカップで調べたデータでは、スペインが平均15秒でGKをけっていたのに対し、日本は28秒もかかっていた。出場32チーム中最長時間だった。そしてCKは、イタリアの16秒に対し、日本は27秒(19位)。GKやCKが遅いのは、日本サッカーのスタイルあるいは文化と言っていいようだ。
 05年以来、審判委員会は試合中の実質的なプレー時間(アクチュアルタイム)を調べ、それを増やす方法を研究してきた。レフェリングの問題もある。しかし最も大きいのは選手の姿勢だ。
 昨年のJ1では1試合平均54分43秒だった。アディショナルタイムを含めれば、プレーしていない時間が40分近くあることになる。そしてこの時間はチームによるばらつきが大きく、最も長い60分22秒を記録した広島に対し、最も短い鹿島は51分30秒だった。
 「アクチュアルタイムが長いこと即ち良い試合というわけではない。過去数年間の数字を見ると、選手たちの意識が変わり、努力してくれているのがわかる」と松崎委員長。
 だがJリーグの試合をひとつの「商品」と考えれば、プレーしている時間(内容量)に15%もの違いがあるのは、「購買者(観客)」に失礼だろう。リスタートにかける時間を1回につき1秒でも削る努力が、プロサッカーリーグとして当然の義務ではないか。
 先週土曜日に行われたJ1第14節9試合の公式記録では、GKは175回(1試合平均19.4回)、CKは90回(10回)、フリーキックは264回(29.3回)、ペナルティーキックは1回(0.1回)、失点後のキックオフは23回(2.6回)あった。公式記録に残されていないスローインを除いても、単純に昨年の平均時間をかけると9試合で約4時間近くにもなる。
 この数字を、「プロサッカー選手」たちはどう考えるだろうか。
 
(2011年6月15日)

No.836 アラ・フバイルの悲劇

 バーレーン代表FWアラ・フバイル(28)が同じく代表MFの兄モハメド(29)とともに逮捕されたのは、4月5日のことだった。以来2カ月、彼らはいまも留置されたままだ。

 04年に中国で行われたアジアカップの大会中に、バーレーン代表と同じ飛行機に乗り合わせたことがある。日本との準決勝で延長戦に突入する大熱戦の末3-4で敗れた翌日とは思えないほど、彼らは若く、元気で陽気だった。まるで修学旅行中の高校生。搭乗待ちのターミナルでは、隠れてトイレでタバコを吸う選手までいた。
 それまで「弱小国」のひとつだったバーレーンだが、この大会で4位になったことで一躍アジアの強豪の仲間入りをした。06年、08年のワールドカップ予選では他大陸との最終プレーオフに進出、ともに出場権獲得まであと一歩まで迫った。
 78年に初対戦して以来26年ぶりの対戦が04年アジアカップ。以後8回対戦して日本の6勝2敗だが、大半が1点差の試合。10年ワールドカップ予選では、3次予選、最終予選とたて続けに対戦、3次予選のアウェー戦(08年3月)では0-1の苦杯を喫している。
 この試合で決勝点を決めたのがFWアラ・フバイル。同国代表歴代2位の24得点の記録をもつアラは間違いなく国民的英雄だった。
 兄弟の運命が激変したのはことしにはいってから。昨年12月に始まったチュニジアの民主化運動が1月にはいって過熱し、ついに独裁政権が倒された。その熱気がエジプトに飛び火し、北アフリカから中東まで、まるでドミノ倒しのように民主化運動が起こった。
 ペルシャ湾の島国バーレーンも例外ではなかった。71年独立以来のハリーファ王家の政権に反対するデモが2月14日に始まり、急速に激化。4月5日、救急救命士の資格をもつアラ・フバイルは、政府の武力鎮圧で負傷したデモ参加者の手当てに現場で当たっていたが、デモに参加していた兄モハメドとともに夜遅く逮捕された。テレビでの過激な反政府発言が、国民的英雄逮捕の引き金となった。
 フバイル兄弟だけではない。バーレーン代表の長身DFモハメド・アドナン(28)、右サイドバックのアッバス・アヤド(24)も獄中にいる。今回の騒乱のなか逮捕されたスポーツ選手や役員は、150人にものぼるという。
 アジアのライバル国の代表選手が政治的問題で競技生命を脅かされている。私たちは、事態を見守るしかないのだろうか。
 
(2011年6月8日)

No.835 バルサの時代

 「バルサの時代」を象徴する勝利だった。
 5月28日、FCバルセロナ(スペイン)はUEFAチャンピオンズリーグ(UCL)決勝でマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)に3-1で快勝、4回目の優勝を飾った。シュート数16対3、ボール支配率63%対37%。スコア以上の圧勝だった。
 06年、09年に続き、21世紀にはいって3回目の優勝。さらに言えば、このバルセロナの選手を中心とし、バルセロナのスタイルで戦うスペイン代表が、08年の欧州選手権、10年のワールドカップと連続して国際大会を制している。まさに「バルサの時代」だ。
 バルセロナの細かなパスワークを断ち切ろうと、ユナイテッドはキックオフから激しくプレスをかけた。序盤はその勢いに圧倒されたように見えたバルセロナだったが、15分が過ぎるとペースをつかみ、そのままボールを支配して押し切った。
 「ポゼッション(ボールを保持する)サッカー」。バルセロナのスタイルはそう表現される。しかしただパスを回すだけのサッカーではない。
 ゲーム分析を専門とする庄司悟さんによると、バルセロナのプレーには「1アクション・3リアクション」を引き出すパスが隠されているという。「リアクション」とは相手チームの「反応」。バルセロナは、1本のパスで相手選手を3人も引きつけてしまうことがあるというのだ。
 多くのコーチが局面で「数的優位」の状況を生むことに心血を注いでいる。攻守両面でボールの周囲に相手より多くの選手を投入できれば、負けることはないはずだからだ。
 だが肝心なところで数的優位をつくるには逆にどこかで「数的劣勢」が必要になることに気付かなければならないと、庄司さんは話す。1本のパスで3人を引きつける(意図的に数的劣勢の状況をつくる)から、ゴール前など決定的な場面で数的優位ができる。
 06年のUCL優勝時には決勝戦の先発11人のうちスペイン人選手はたった3人だった。それが09年には6人、今回は7人もいた。アルゼンチンのメッシを含め、シャビもイニエスタもクラブのユース育ち。革命的と言っても過言でないサッカーを、バルセロナはユース時代からの練習を通じて生み出したのだ。
 プレーのスタイルからチームづくりの手法まで、バルセロナは、今後の世界のサッカーに、大きな、そして好ましい影響を与えるに違いない。
 
(2011年6月1日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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