サッカーの話をしよう

No.963 日本人審判3人がワールドカップ決勝の舞台に立つ?

 ことし6月16日、ブラジルのレシフェ。FIFAコンフェデレーションズカップの2日目に「世界チャンピオン」スペインが登場、南米の雄ウルグアイと対戦した。
 圧倒的にボールを支配するスペイン。ウルグアイはいら立ち、ファウルで止めようとする。険悪な雰囲気になりそうな試合を救ったのが、西村雄一主審を中心とする3人の日本人審判団だった。スペインの決勝点を「オフサイドはない」と見きわめた名木利幸副審の判定を含め、「チーム西村」は非常に高い評価を受けた。
 ブラジル・ワールドカップの年、2014年が目前となった。もちろん最大の楽しみはザッケローニ監督率いる日本代表の活躍だが、日本人審判員の活躍も期待されている。
 日本人審判員が初めてワールドカップの舞台を踏んだのは1970年メキシコ大会の丸山義行さん。86年メキシコ大会と90年イタリア大会では高田静夫さんが日本人として初めて主審を務めた。そして98年フランス大会の岡田正義さん、02年日本・韓国大会、06年ドイツ大会の上川徹さん、10年南アフリカ大会の西村さんと、4大会連続して日本人主審が活躍している。
 主審だけではない。06年には廣島禎数さん、10年には相樂亨さんが、それぞれ上川さん、西村さんと組んで副審を務めた。
 06年以降、主審と副審は「チーム」として3人ひと組で起用されるようになった。過去2大会は副審のひとりは韓国人。06大会の金大英さん、10年の鄭解相さんはふたりとも非常に優秀な副審だったが、日本人としては「日本人だけでトリオを」という思いも残った。その夢が今回は実現されそうだ。
 昨年3月にワールドカップの候補審判員52組(156人)が発表され、そのなかに、西村主審、相樂副審、名木副審のチームがはいっていたのだ。このなかから30組ほどが選ばれる見通しだが、10年大会で準々決勝を含む4試合もの割り当てを受けた「チーム西村」の実力はよく知られており、ことしのコンフェデ杯でのパフォーマンスでさらに評価が高まっていることから、選出は濃厚だ。
 選手にとって最高の目標がワールドカップ優勝であるように、審判員の究極の夢はワールドカップの決勝戦担当。ただ選手と決定的に違い、実力だけではその座は射止められない。「チーム西村」に決勝担当の可能性がない状況がひとつだけある。日本代表が決勝戦に進出したときだ。

(2013年12月25日)

No.962 バロンドールの日

 きょうは「バロンドール記念日」だ。
 57年前、1956年の12月18日に発売されたフランスのサッカー週刊誌「フランス・フットボール」の誌上で最初の「欧州最優秀選手」が発表された。
 第一回受賞者はイングランドのFWスタンリー・マシューズ。この年41歳。しかし魔法のようなドリブルと正確なクロスは健在だった。5月にロンドンで行われたブラジルとの親善試合で、彼はイングランドの攻撃をリードし、すべての得点のお膳立てをして4-2の勝利に導いた。
 フランス・フットボールの表彰は、1948年に始まったイングランドの最優秀選手表彰にならったもの。ちなみにイングランドの表彰も第1回受賞者はマシューズだった。
 フランス・フットボールは欧州16カ国のジャーナリストに投票を依頼、順位をつけて各自5人を選ばせ、その合計ポイントで勝者を選んだ。マシューズは47点。次点はディステファノ(レアル・マドリード、スペイン国籍)。この年に最初の決勝戦が行われた欧州チャンピオンズカップでレアルを優勝に導いたディステファノを、マシューズがわずか3点上回ったのだ。
 やがてフランス・フットボールは金色に輝くサッカーボールをかたどったトロフィーを受賞者に贈るようになる。「バロンドール」とは「黄金のボール」を意味する。
 長い間、欧州のクラブでプレーする欧州の選手に限定されていたが、40回目の95年に欧州外の国籍をもつ選手にも対象を広げ、07年には欧州のクラブ所属選手限定も解いて世界の選手に広げた。それに伴い投票者も世界中のジャーナリスト(1国1人)となった。
 さらに10年には国際サッカー連盟の最優秀選手賞と合併して「FIFAバロンドール」に改組。ジャーナリストだけでなく、各国代表監督と主将も投票に加わるようになった。
 ことしの投票は11月末に締め切られ、「5年連続」を目指すメッシ(バルセロナ、アルゼンチン代表)、初受賞に期待がかかるC・ロナウド(レアル・マドリード、ポルトガル代表)、そして「地元」フランスからジダン以来15年ぶりの受賞を目指すリベリ(バイエルン・ミュンヘン)の3人が、最終候補に残っている。
 発表と表彰は2014年1月13日(月)。サッカーはあくまでチームゲームだが、ひと握りの天才がそこに夢を与えてきたのも事実。世界の専門家が選ぶ世界最高の選手。ことしは誰になるのか...。

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(2013年12月18日) 

No.961 Jリーグ 謙譲の美徳を葬れ

 最初に断っておくが、私はサンフレッチェ広島のJリーグ優勝を高く評価している。
 大きな補強もなく、逆に主力が流出するなか、チーム一丸の戦いで2連覇を達成。ただ1チーム、実質プレー時間が1試合平均60分間を超え、2年連続で優勝とフェアプレー賞のダブル受賞。広島は美しく優勝したのだ。
 だがそれでも、ここ5年間ほどのJリーグは絶対的な強さをもったチームがなく、予測不能な展開の末、たまたま最終節に首位に立ったチームに優勝が転がり込むという印象はぬぐえない。
 今季は、横浜F・マリノスが開幕ダッシュで7節まで首位を走り、その後、昨季途中からの負け知らずの記録をつくった大宮アルディージャが9節にわたって首位に立った。
 その大宮がシーズン半ばでまったく不可解な失速状態になると、「前半戦」最後の第17節に広島が首位に。しかしわずか4節でその座を手放し、残り14節のうち11節は横浜が首位をキープした。
 ところが横浜も最後にエネルギー切れ状態となる。2節を残して2位に4勝ち点もの差をつけながら、連敗で広島に優勝をさらわれる結果となった。
 今季に限った話ではない。首位に立っては敗れて陥落するというパターンが毎年のように続いているのだ。
 「私たちなんか首位にいるのはおこがましい。さあ、どうぞどうぞ」とでも言っているような展開。「謙譲の美徳」は、多分世界に例を見ないだろう。
 そうした予測不能現象は、節ごとだけでなく1試合のなかにも現れる。見事なプレーをしていたチームが試合半ばで失速し、以後がたがたになるのを、1シーズンに何度も見る。両者には同じ「根」があるように思う。
 サッカーは90分、リーグは34節。そんな明白なことを、実は選手たちが理解していないのではないか―。
 90分間を戦い抜いて勝つには、劣勢の時間帯にどうプレーするかが重要だ。シーズン中に調子が落ちた時期には、何よりも辛抱が大事。そして首位に立ち続けるには、重圧に耐える強い精神力が必要だ。チャンピオンとは本来そうした能力を備える選手をそろえたチームであるはずだ。
 広島は今季後半に2回首位に立ち、そのたびに直後の試合で敗れて陥落。そして3度目に首位に立った34節でリーグが終了した。
 広島の連覇は称賛されるべきだが、本物の強さを見せる王者が出ないと、Jリーグはまるでドタバタ喜劇のようになってしまう。

(2013年12月11日) 

No.960 川又堅碁 準備はしていた

 「予想はしていなかったけれど、準備はしていた」
 「コメント・オブザイヤー」に選びたくなるひと言だった。
 発したのはアルビレックス新潟のFW川又堅碁(けんご)(24)。11月30日、J1優勝を目前にした横浜F・マリノス戦の先制点について、試合後にこう話した。
 0-0で迎えた後半27分、新潟に与えられた左CK。ボールはファーポスト側に落ち、落下点にいた横浜DF栗原がヘディング。だが空中で味方選手と新潟の選手と体をぶつけ合う形になって思い通りのクリアができず、ボールはゴール前へ。
 川又はキックに合わせてニアポストに走り込んでいたが、振り向いたところにいきなりボールがきた。しかしあわてなかった。左足を一歩踏み込むと、右足を鋭く振り抜いて横浜ゴールの「天井」に突き刺したのだ。
 驚くべき反応と思い切りの良さ。普通の選手なら止めるのがやっとだっただろう。しかし止めたらシュートはできなかった。至近距離に横浜DF中澤がいたからだ。
 川又は愛媛県出身。県立小松高校から2008年に新潟に加入したがなかなかポジションを得られないなか、昨季J2の岡山に期限付き移籍、18得点を挙げて得点のコツを会得し、今季新潟に戻った。
 新潟は2004年にJ1昇格以来、常にブラジル人選手の得点力を頼りに戦ってきた。しかし今季は4月末から日本人主体の攻撃陣に切り替えた。第8節に初先発した川又が、次の清水戦でJ1初ゴールを記録、以後堂々たるエースとなったからだ。
 横浜戦のゴールは今季22得点目。川崎の大久保(26得点)に次ぐランキング2位だが、1シーズンで20点を超えた選手が昨年までの5年間で3人しかいなかったことを知れば、そのすごさがわかる。
 183センチ、75キロの大型FW。ダイナミックな走りと体を張ることをいとわない闘志、そして左足の強烈なシュートが特徴の川又。しかしゴール前のこぼれ球をワンタッチで叩き込む形も多い。どんなときにもシュートへの「準備」ができているからに違いない。
 私の好きなクラブマークに、スコットランドのレンジャーズのものがある。クラブ名とともに「READY」の文字が入れられている。「いつでも準備ができている」というクラブモットーをそのまま記したものだ。
 考えても考えても予測しきれないのがサッカーという競技。だからこそ常に「準備」ができた状態であることが大きな意味をもつ。

(2013年12月4日) 

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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