サッカーの話をしよう

No.42 GKがつけるマル秘マーク

 先日テレビでイタリア・リーグの試合を見ていて、奇妙な「マーク」を発見した。ゴールエリアのラインから直角に50センチほどの長さのラインが3本引かれているのだ。位置は両ゴールポストおよびゴールの中心の延長上(下図の①)。明らかにゴールキーパー(以下GK)がポジションどりで目印とするマークだ。

 GKは技術的にも難しいが、はっきりと優劣を決めるのはポジショニング。ボールとゴールの両方を見ることができればたやすいことだが、それは不可能。だから「動かない」ゴールに背を向け、ボールに正対することになる。
 だが前に出たり横に動いているうちに、ゴールの位置、つまり守るべきものがわからなくなってしまう。図のようなマークがあれば非常に都合がいいのだ。
 以前は、GKはキックオフ前に自分の守るゴールの中心からハーフラインに向かって足で線を引いた。土のグラウンドでは簡単なことだった。しかしルール外のラインは、たとえ石灰で引く白い線でなくても禁止されている。
 だが、これがなかなか守られない。世界の一流GKにも、ゴールエリアやペナルティーエリアの白線を足でちょっと消してマークをつける選手がいる。
 その結果、その部分だけ芝生が傷み、イレギュラーバウンドの元になる。「それならいっそ」と、試合前のライン引きのときにGKのためのマークをつけてしまったのが、冒頭のイタリア・リーグのゲームだったようだ(イタリアでも、他のグラウンドにはつけられていない)。

 サッカーグラウンドのラインは、もう何10年も変わっていないが、90年にコーナーエリアから9.15メートル、コーナキックのときに相手側選手が離れなければならない距離にマークがつけられ(図の②)、非常に有効だった。
 これと同じように、GK用のマークも認められていくのだろうか。あのイタリアの試合はそのための「公認実験」だったのか。
 国際サッカー連盟ははっきりと否定している。コーナーキック用のマークは試合のスムーズな運営に役立つが、GK用マークは戦術的なもの。正しいポジショニングは、マークでなく、トレーニングによって身につけるべきものだからだ。

 最近のGKは、以前よりずっと多く前に出て守ることを要求されている。中盤を狭くしてプレッシャーをかけ、オフサイドトラップを多用する守備では、GKの守備範囲はペナルティーエリア外にも及ぶ。
 前に出た後、戻りながら正確にポジションをとるには、ペナルティーアークやエリアのライン、ペナルティースポットなどを目印にする。それだけで正しいポジションを取れるのがいいGKということになる。

 だが、GKのポジショニングにはもうひとつの秘密がある。それは「スタジアム勘」だ。スタンドの屋根や観客席の形、距離などが大きな助けになるのだ。
 サッカーではホームチームが圧倒的に有利。それはサポーターの数だけでなくGKのポジショニングにも差が出てしまうからだ。
 その意味では、イタリア・リーグで見た問題のマークは、悪くないアイデアではいかと思う。私と同じテレビ番組を見た人でも、このマークに気づかなかった人は多いはずだ。ほんのちょっとしたマークで芝生が傷められるのを防ぎ、アウェーのGKがいいプレーができるとしたら、禁止する理由はあまりないと思う。

(1994年2月22日=火)

No.41 強くなるために天然芝

 先週東京ドームでふたつのサッカーの試合が行われた。ドームといえば人工芝だが、シートを敷き、その上に天然芝を敷きつめた即席のフィールドだ。
 昨年夏にも同様のテストが行われたが、そのときには軟らかすぎ、そのうえ、育成地から搬送する間に少し腐ってしまい、異様なにおいもした。だが二回目のテストとなった今回は、前回の反省を生かし格段に優れたものができたようだ。

 現在、日本サッカー協会やJリーグでは人工芝では公式戦は行わない方針をとっている。東京ドームはこの「即席天然芝」で公式戦を開催したいという希望をもっているが、それは予想外に早く実現しそうだ。
 イングランドで生まれたサッカーは、芝の上でやるのが当然となっている。見た目に美しく、ケガが少ないなどの利点もあるが、何よりもプレーの質に影響を与えるからだ。

 1965年に日本サッカーリーグが始まった当時は立派な芝生のグラウンドは数えるほどしかなかった。リーグでは入場料の一部を「グラウンド建設基金」としてプールし、自ら芝生のグラウンドをつくろうとしたほどだった。
 そのころに比べれば競技場の芝生はよくなったが、学校や企業の練習グラウンド、あるいは一般貸し出しをするグラウンドは、まだ大半が土のままだ。

 やってみればわかることだが、土のグラウンドではボールコントロールが非常に難しい。芝に比べて硬いからバウンドが大きいし、少しさわると簡単にころがっていってしまうから、ドリブルもにくい。
 だが、残念なことに、土のグラウンドで練習していれば普段から芝生でやっている選手よりうまくなれるということはできない。土のグラウンドでは、戦術能力が育ちにくいからだ。
 「戦術能力」とは、簡単にいえば、いつ、何をするかという判断力のこと。子供のころから芝のグラウンドで練習、試合をしていれば、あまりボールコントロールに気をとられずにプレーできるから、周囲を見て判断する余裕ができる。その積み重ねが戦術的能力を向上させる。

 日本では、グラウンド自体も足りないが、芝生のグラウンドは本当に少ない。少年が芝生の上でプレーするチャンスは、1年にいちどあるかないかだろう。
 練習グラウンドを人工芝にするところも少なくない。雨が降ってもすぐ使えること、管理に人手や費用がかからないことなど、人工芝の利点は多い。サッカースクールなど、たくさんの選手やチームが使うグラウンドには最適かもしれない。
 しかし人口芝は、平らということだけで、デメリットは土のグラウンドに負けないほど多い。ボールコントロールはさらに難しく、足首やヒザ、腰などにかかる負担が大きい。そのうえ転倒したときにヒザなどをひどく擦りむいてしまう。公式試合で人工芝が認められていないのは、これが大きな理由になっている。
 寒冷地や乾燥地では、次善の策として人工芝も仕方がない。実際、ワールドカップ予選が人工芝で行われた例もある。

 イングランドのように全土が芝で覆われているような国と違い、日本では、芝を育て、保つのは並大抵のことではない。だが、土や人工芝のグラウンドだけでは、日本サッカーは強くなることはできない。
 「即席の天然芝」など、見せるための施設での技術革新は大いに歓迎されることだ。だが同時に、少年たちが練習や試合をするためのグラウンドにも天然の芝生が必要であることを忘れてはならない。そのための努力を怠ってはけない。

(1994年2月15日=火)

No.40 下手な審判・程度の低い記事

 先日、名古屋のラジオ局の仕事でリネカーと話をする機会があり、審判の話題になった。そのなかで昨年の開幕戦で彼がアンラーズに対してあげたゴールが、オフサイドとして認められなかった話が出た。

 「あれはまったくオフサイドではなかった」
 と水を向けると、
 「そうだね、線審のミスだった。しかしタッチラインの外にテレビを置いてリプレーを見るわけにはいかないから仕方がないよ」
 と、彼はいつものように穏やかな笑顔で話す。
 「でもあれが認められていれば、まったく別の1年になったかもしれない」
 食い下がる私に、彼はさとすようにこういった。
 「たしかに、オフサイドでなかったプレーがオフサイドとして認められなかった。しかし別の試合では、オフサイドから入れたものが、ゴールと認められることもある。僕の経験でも、ずいぶんそんなことがあったんだ」−。

 2シーズン目のJリーグ開幕を1カ月後に控えて、いろいろなメディアで審判批判が盛んだ。ジーコのように「特定のチームに偏った判定をする」というのは極端だが、「ヘタな審判がJリーグをダメにする」という論調は少なくない。
 「審判にもイエローカードを」「いっそのこと全部外国人にしろ」などという乱暴な意見も見られる。
 非紳士的行為や後ろからのタックル、戦術的ファウルなどへの処罰基準が世界的に厳しくなったため、Jリーグの一年目はイエローカード、レッドカードが乱れ飛び、その判定を中心に審判をめぐるトラブルも少なくなかった。

 最大の問題は、何かあるたびに選手たちが審判にくってかかり、執拗に抗議を続けることだ。なかでも警告や退場になりそうなひどい反則があったときに、みんなで審判を囲んでカードを出させないようにしようとするのは、気分が悪くなるほど見苦しい。
 試合後には「あんな審判では試合ができない」とまくしたてる。審判はいっさいコメントをしないから、選手たちの不満だけが活字となり、報道される。
 昨年からことしにかけ、こうして「審判不信」の空気が醸成されてきた。このような状況ではけっしていい審判は育たないだろう。Jリーグや日本のサッカーにとって、より大きな問題はこの点にある。

 第1に、試合中のすべての決定は審判がすることを選手たちがもういちど確認し、判定に対して文句をいわないことを徹底しなければならない。日本人選手、外国人選手を問わず、各クラブがこうした行為に断固とした態度をとらないかぎり、事態は好転しない。
 審判の間違いや誤解があっても、後日クラブがリーグに対して文書で申し立てをするしかない。試合中には、キャプテンにも監督にも判定に異議を唱える権利はないのだ。

 そして第二に、マスメディアが、選手たちのコメントだけを頼りにせず、もっとルールや判定、審判技術に対する知識や見識を高めて報道に当たらなければなければならない。
 「疑惑の判定」などという記事は出るのに、「この試合の主審はすばらしかった」という記事をほとんど見ることがないのは、記者たちが独自の目で判定や審判を見ることができないことの証拠ではないか。

 「ヘタな審判」だけがJリーグを危機にさらすのではない。「程度の低い記事のほうがJリーグにとって有害」と思っている審判は少なくないはずだ。
 選手も記者(もちろん私も含め)も、リネカーの言葉をもっともっとかみしめなければならない。

(1994年2月8日)

No.39 シンプルなユニホームが好きだ

 私が一応「選手」として登録しているクラブが、ユニホームを新調した。
 町のクラブチームにとってユニホームは頭の痛い問題だ。毎年数人ずつ新人がはいる。だがメーカーが同じユニホームをつくるのはわずか3年間程度。注文すると「廃版です」。
 メーカーは次から次へと新しいデザインのユニホームをつくり、有名チームに着せるキャンペーン後に市場に出す。そしてある程度売ると、またモデルチェンジする。そのサイクルも年ごとに短くなっている。
 その結果、チームはユニホームを毎年全員で新調しなければならない。3年前からいる選手も、昨年秋にはいったばかりの選手もいっしょだ。

 メーカーの「戦略」は、町のチームばかりでなく、トップクラスのチームにも影響を与える。
 JリーグはM社と独占契約を結び、全チームにこのメーカーのユニホームをリーグ戦で着用するよう義務づけている。制作担当者の努力でなかなかハイレベルなものがそろったが、結局は流行のプリント柄のものが圧倒的に多かった。
 このプリント柄自体、メーカーの戦略そのものだ。世界的なスポーツメーカーのA社が肩から袖にかけて三本ラインを入れたユニホームでワールドカップ出場チームの多くをおさえたのが1974四年。80年代にはいると、このメーカーは次々と新デザインのユニホームを有力チームに着せ、市場をリードした。90年代にはいって、A社に対抗するように他のメーカーが出してきたのが、プリント柄のユニホームだった。

 縫い合わせでなく、プリント柄にすることによって細かな色使いができるようになった。近くで見るときれいだ。しかしこれには大きな欠陥があった。フィールド上に散った選手のをスタンドから見ると、何色も細かく使ってあるため力強さがない。テレビでは色がにじんで見える。
 Jリーグでは、マリノスとヴェルディのユニホームがとくにひどい。昨年五月の開幕戦は、パンツの色が同じ白だったこともあり、非常にみにくかった。小さなテレビではほとんど区別がつかなかっただろう。
 92年の秋に採用された日本代表のユニホームもプリント柄。背中にまで柄があるので、背番号がとても見づらい。せめて背中は青一色にすべきだ。
 最近のゴールキーパーのユニホームにいたっては、何色か、はっきり言うことさえ難しい。複雑極まりない色使いのプリント柄は、時に「フィールドプレーヤーとの識別」というGKユニホームの役割を無視したものになっている。

 メーカーも、生き残るため、限られた数のプレーヤーに毎年ユニホームを買わせため必死なのだろうが、その結果起こっていることは、選手も、ファンも、誰も幸せにはしていない。
 A社は、ことしのワールドカップで、また新しいデザインのユニホームを何種類か用意するという。それはドイツやアルゼンチンといった強豪や話題の新興チームに着られるだろう。
 A社は審判用のユニホームも担当しているが、今回はピンクや白のプリント柄のユニホームを用意しているという。
 カラフルになるのは悪いことではない。それで明るい気分になり、試合が楽しいものになればいうことはない。だがユニホームというのは、本来二つのチームを明確に分け、試合をスムーズに行うためのもの。それを忘れてはいけない。

 シンプルなユニホームが好きだ--。
 自分のチームの事情だけでではないことは、おわかりいただけるだろう。

(1994年2月1日=火)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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