サッカーの話をしよう

No.1152 ピッチに立つ

 サッカーを取材して記事を書く仕事のかたわら女子のチームの監督という役割を引き受け、30年以上が過ぎた。
 週3日の練習と日曜日の試合。できる限り参加する。取材のときは高い記者席からしか見ないピッチに、週に4回は立っていることになる。
 中学3年生のときにサッカーを始めたが、高校時代に公式戦に出場できたのは1試合だけ。能力が低いうえに努力も続かないとあっては仕方がない。そんな私に心から「サッカーで生きていきたい」と思わせたのは、大学時代に取り組んだ少年サッカーの指導と、コーチ仲間でつくったチームでの試合経験だった。
 だがサッカーという競技をより深く考えさせてくれたのは、30代半ばからの「コーチ兼監督」という役割だった。
 「グラウンドに出る前に、私の仕事の9割は終わっている」と、故・近江達さんから聞いたことがある。1970年代に大阪で枚方FCというクラブを設立、圧倒的なテクニックをもつ少年たちを育成して日本中に強い刺激を与え、現在につながる日本サッカーの発展に大きく寄与した人だ。
 外科医の激務の合間に、近江さんは次々と新しい練習メニューを考案し、それを細かな字でびっしりとノートに書き込んだ。グラウンドに出ると、ノートを左手にもち、やり方を簡単に説明して見守るだけ。そしてその観察からまた新しいメニューを考えるという指導スタイルだった。
 だが自分自身でチームの指導を始めてみると、私のような凡庸な頭脳の浅慮では、机上のメニューが現実的でも効果的でもないことがとても多かった。そんなときに助けになったのが、「ピッチに立つ」ことだった。
 フルサイズだと幅68メートル、縦105メートルのサッカーピッチ。その中央だけでなく、タッチライン際やペナルティーエリアなどいろいろなところに立ってみると、プレーの光景が次々と浮かび、事前に考えてきたメニューをより実戦的なものに手直しすることができる。そしてまた、「今度はこうやってみよう」などと、新しいアイデアも湧いてくる。
 ピッチの中にははいれないが、そのすぐ脇で試合を見守る「監督」という立場も、いや応なしにさまざまなことを考えさせる。ゲームプランをたて、そのための練習を組み立てる。勝敗を左右する決断を短時間で迫られる場面も少なくない。たまには鮮やかな成功もあるが、それ以上にたくさんの失敗がある。失敗から多くのことを学んできた。
 そうした経験が、サッカーを報道するという仕事に計り知れないプラスになってきたことに、いまさらながら思い至る。年の瀬に、ピッチに立たせ続けてくれたこのチームに育てられてきたと感じる。

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提供・今井恭司=スタジオ・アウパ

(2017年12月27日) 

No.1151 ハリルホジッチを信用していいのか

 日本サッカー協会は、今後もバヒド・ハリルホジッチ日本代表監督(65)をサポートしていく方針を固めたようだ。しかし16日の東アジアE-1選手権、韓国に対する1-4の敗戦のダメージは大きい。
 38年ぶりという韓国戦大敗は痛いが、サッカーにはそうしたこともある。試合結果以上に大きな問題は、韓国に圧倒されて一方的になってしまった流れを最後まで変えられなかった点、そして変えようという努力を放棄してしまった印象を与えた点だ。
 前半の半ば、1-1の同点とされ、さらに猛攻にさらされるなかで、システムを4-3-3から4-2-3-1に変えた。中盤の守備力を強化するためだったのだろう。だが努力はそこまでだった。
 開始2分にPKで先制した後、ほぼ何もできずに45分間が終了し、1-3と差が開いていた。にもかかわらず、ハーフタイムを終えて出てきた日本代表に1人の選手交代もいなかったのにまず驚いた。
 前半は明らかに戦えていなかった。韓国のスピードを恐れ、ボール保持者にまったくプレッシャーをかけられなかったのだ。どんな監督でも、ハーフタイムには当然大声で怒鳴り、戦うことを求めるところだ。そして少なくとも1人、点差を考えれば2人の交代を行うのが当然だった。
 前半と同じ11人の戦いぶりにほとんど変化がないことはさらに大きな驚きだった。
 「ハーフタイムには選手を鼓舞した」と、試合後、監督は語った。「形を崩さずに2点目を取りに行こう」という話を聞いた選手たちは、このままでいいんだと思ったかもしれない。試合が変わらないのは当然だった。
 さらに椅子から飛び上がるほど驚いたのは次の言葉だ。
 「これはA代表ではなかった。B代表なのかC代表なのか、それともDか」
 だから勝てなくて当然と言わんばかりの発言は、この大会に招集した選手たちを侮辱するものだ。到底受け入れられるものではない。
 選手入れ替え時という難しい状況でチームを引き継いだハリルホジッチ監督。何回もピンチに陥ったが、その都度会心の試合を見せて勝利を飾り、6大会連続のワールドカップ出場に導いた。昨年11月のサウジアラビア戦、ことし3月のUAE戦、そして8月のオーストラリア戦。そのなかで、ワールドカップに向けての日本代表のサッカーはこれだという戦い方も示した。その方向性に間違いはない。
 だが韓国戦後の言動は、この人物を信じてよいのか、任せておいてよいのか、小さくない疑念を抱かせるものだった。ただ「サポートする」ではなく、日本協会からはその疑念を払拭(ふっしょく)する説明の言葉を聞きたい。

(2017年12月20日) 

No.1150 Jリーグが握るなでしこジャパンの未来

 なでしこジャパン(日本女子代表)がふんばっている。先週始まった東アジアE-1選手権。苦しみながらも韓国と中国に連勝し、今週金曜日には、連勝同士、優勝をかけて北朝鮮と対戦する。
 東アジアは女子サッカーの激戦地だ。来年4月に2019年女子ワールドカップのアジア最終予選が開催されるが、不参加の北朝鮮を除く3チームがそろって出場権を獲得する可能性は十分ある。
 FIFA(国際サッカー連盟)ランキング日本8位、北朝鮮10位、中国13位、韓国も15位。東アジアは、アジアだけでなく世界でも有数の女子サッカー激戦地と言える。FIFAは女子サッカーがますます盛んになることを見越して代表チームの「世界リーグ」を検討中だというが、実現すれば東アジア勢がその一角を占めるのは間違いない。
 だが世界の女子サッカー勢力図は10年ほどの間に急速に塗り替えられている。なかでも成長著しいのが欧州勢だ。
 かつて欧州ではノルウェーなど北欧勢が強かったが、現在のFIFAランキング上位には、過去10年間に圧倒的な強さを見せてきたドイツ(2位)だけでなく、イングランド、フランス、オランダと、最近10位以内にはいった「急成長組」の名がずらりと並んでいる。ことし8月に開催された女子欧州選手権では、ドイツが準々決勝で敗退、オランダが初優勝を飾った。
 これら欧州の「急成長組」に共通するのは、この10年ほどの間に男子プロトップリーグのクラブに女子チームの保有を義務付けたことだ。それにより練習や試合環境が飛躍的に向上し、急速なレベルアップを生んだ。女子の国際試合が興業として成り立つようになり、登録女子選手数は年に7%も伸びているという。
 こうしたなかで、東アジア勢は次第にFIFAランキングを落としている。日本サッカー協会は女子の代表強化に大きな力を注いでいるが、頂点(なでしこジャパン)をより高くしようとするなら、トップリーグのレベルを上げなければならない。その切り札は、間違いなくJリーグだ。
 現在もいくつかのJリーグクラブが女子チームを保有しており、J2の東京ヴェルディは下部組織で育てたたくさんの選手をなでしこジャパンに送り込んでいる。しかしJリーグは女子チームの保有を義務付けておらず、クラブ間の温度差は極めて大きい。
 高倉麻子監督率いる現在のなでしこジャパンは、若手を大胆に起用しながらこれから数年間のうちに大きく伸びる可能性を秘めている。だが10年後、20年後の話になると、男子と同様、欧州勢に大きく引き離される恐れが大きい。Jリーグが大きな決断をなすべき時期にきている。

(2017年12月13日)

No.1149 テレビのための複雑なキックオフ時刻

 最後の最後に「ジャパン」の名が呼ばれ、日本はH組でコロンビア、セネガル、ポーランドと対戦することになった。ワールドカップ第2戦、セネガル戦の舞台となるエカテリンブルクは、来年のロシア大会の舞台11都市で最も東に位置している。
 ロシアの中央を「帯」のように縦断し、欧州とアジアを分けると言われるウラル山脈の東麓。すなわち「アジア」側に位置する。モスクワから東へ約1700キロ。モスクワとは2時間の時差がある。
 東西に約7000キロの広がりをもつ世界最大の国ロシアには、なんと11もの標準時間帯があり、時差は最大10時間にもなる。今大会会場も、最も西のカリーニングラードと東のエカテリンブルク間の時差は3時間だ。
 国際サッカー連盟(FIFA)発表の試合日程に示されたキックオフ時刻はいずれも試合地の現地時間。日本との時差は、モスクワでは6時間だが、エカテリンブルクでは4時間となる。セネガル戦は現地で6月24日の20時キックオフ。日本では翌日の深夜0時ということになる。
 世界のプロサッカーで最も早いキックオフ時刻として知られるのは2003年にFCバルセロナがスペイン・リーグでセビージャを相手にした試合。水曜日予定の試合を前日に繰り上げたいという要望を対戦相手に退けられたバルセロナは、キックオフ時刻はホームクラブが決められることをたてに水曜日の午前0時5分で強行した。それでも観客は8万を超したという。
 もちろん、ワールドカップにはこんな非常識なことはない。ただ今大会のキックオフ時刻を見ると、13時から21時まで実にさまざまであることがわかる。試合時間を分散させるのは、テレビ放映の都合だ。目の飛び出るような高額で放映権を手に入れたテレビ局ができるだけ多くの試合を生中継できるよう、最大の配慮が払われているのだ。
 1986年メキシコ大会では、決勝戦を含め全52試合中35試合が12時(正午)キックオフだった。1994年アメリカ大会では午前11時半キックオフという試合があった。このころのテレビ放映権料は現在の20分の1程度。それでも最大の「収入源」である欧州の放送局の都合を考えた結果だった。
 今大会でも、大会3日目、カザン(モスクワ標準時)で行われるC組のフランス×オーストラリアのキックオフは13時と早い。この日は4試合が行われ、3時間ずつキックオフをずらせるため、この試合をこんなに早い時間にしなければならなかったのだ。
 試合日程表をながめていると、現代のワールドカップが「観客ファースト」ではなく「テレビ・ファースト」であることがよく見えてくる。

(2017年12月6日) 

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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