サッカーの話をしよう

No.431 ワールドカップの黒字をtotoに戻せ

 「財団法人2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会(JAWOC)」が、73億円もの黒字(残余金)を出す見通しだという。
 大会1年前の昨年春には、スポンサー決定の遅れなどで収入の確保が難しい状況だった。そのため、財団設立当時の97年に2億4000万円ずつ拠出していた10の開催自治体から、さらに1億円ずつの追加負担を得た。
 この大会だけで解散となる財団法人である。赤字を出すわけにはいかない。JAWOCは必死の努力で経費を削減した。会場設営費は、当初の予算より十数億円を節約することに成功したという。
 「人類の祭典」と呼ばれるワールドカップ。その華やかな舞台の陰で、1円の無駄もなくそうと、血の出るような努力があったのだろう。

 「日本のワールドカップ」はけっして豪華ではなかったが、心のこもった温かみのある大会だった。世界の人びとも、「すばらしい運営だった」と絶賛した。JAWOCの努力に、心から感謝したい。
 「為替差益」という思いがけない味方もあった。JAWOCは1ドルを108円として予算をたてていたが、海外で販売した入場券の代金を受け取る時点では120円ほどになっていた。これが15億円もの差益を生んだ。
 その結果が73億円もの黒字だった。しかし財団法人だから、利益を残すわけにはいかない。残余金をゼロにして仕事を閉じなければならない。
 まず何よりも、巨大なスタジアムをつくり、道路などのインフラ整備を一手に引き受けた開催10自治体に還元する必要がある。追加負担分を含めた総額34億円の返還は当然のことだ。
 しかしそれでも、40億円近く残る。それをどうするか。

 日本サッカー協会に寄託して、今後のサッカーの発展に役立てるという考え方もある。サッカーだけでなく、スポーツ全般の振興のために使うという考え方もあるだろう。
 思い起こしてほしいのが、JAWOCが「スポーツ振興くじ(toto)」から巨額の助成を受けている点だ。
 昨年本格的にスタートしたtotoは、ことし6月に第1次の助成金配布を行った。配布総額は67億円あまり。今秋の追加配布を加えても、総額71億円という規模だった。
 totoで生まれたスポーツ振興資金は、オリンピック選手の養成などの競技力向上事業とともに、身近なスポーツ環境の整備にも分配される。そして後者は、自治体などのスポーツ施設整備とともに、地域のスポーツクラブの活動への助成に重点が置かれている。第1次助成の1644件のうち、約16パーセントにあたる257件が、地域スポーツクラブ関連の事業になのである。

 注目したいのは、昨年から増え始めたスポーツNPO(非営利法人)への助成が非常に手厚く行われていることだ。その背景には、これまで同好の集まりに過ぎなかった団体を、地域スポーツの核として積極的に育成しようという姿勢がある。総合型地域スポーツクラブの事業には、一律800万円の助成があった。
 その一方で、totoの資金はJAWOCにも交付された。交付額は22億円である。第1次交付総額の3分の1にも当たる額が、ワールドカップの運営資金補助として交付されているのである。
 JAWOCが助成を申し込んだ時点では、まだ収支の見通しがつかず、最後の頼みとしたのだろう。しかし最終的に大幅な黒字が出た以上、22億円はそっくりtotoに返金すべきだろう。
 返金は100パーセント次回の交付に回され、全国のスポーツ振興に役立てられる。全国のスポーツ振興を犠牲にしてJAWOCの危機を救おうという性格の助成だったのだから、返金は当然だ。
 
(2002年9月25日)

No.430 審判の危機

 審判が危機だ。
 9月15日、DF田中が退場になって2点のリードを守りきれず、鹿島アントラーズに2−3で逆転負けを喫した東京ヴェルディのロリ監督は、試合後、上川徹主審を徹底攻撃した。
 「30年間サッカーをやってきたが、あんなケースは初めて見た。日本サッカー協会が厳しい処分をしなければならない。半年間の出場停止と2年間の研修が必要だ」
 問題のシーンは前半40分。鋭い縦パスが出て鹿島の柳沢が抜け出そうとしところ、懸命にマークした田中と接触し、ゴール正面、ペナルティーエリアのわずか外で倒れた。上川主審は、「決定的な得点機会をファウルで阻止した行為」として、田中にレッドカードを示した。

 この日の上川主審は、激しくても積極的なプレーの意図のある接触は、極力続行させようとしているように見えた。これは日本協会技術委員会からの要望でもある。日本選手が国際試合で接触プレーに弱いのは、身体接触があるとすぐに笛を吹く日本国内の審判基準にも原因があるのではないかと、技術委員会はかねてから指摘していたからだ。
 しかしその一方で、意図的な時間の浪費や、不正なプレーで守るなどの行為に対して、上川主審は断固とした態度をとった。そのひとつが、田中に対する退場処分だった。
 私が「危機」だと思うのは、この判定が正しかったかどうかということではない。以前から良かったとはいえない審判とチーム(選手や監督)との関係が、ことしになってさらに、しかも急速に悪化しているように見えるからだ。
 ワールドカップ後のJリーグだけでも、いくつもの「トラブル」が発生している。7月27日にはデンマーク人主審のフィスカー氏が市原と磐田との対戦のなかで1試合に5本ものPKを与え、磐田の鈴木監督を激怒させた。

 9月7日の柏−名古屋戦では、布瀬直次主審が4人もの退場選手(柏3人、名古屋1人)を出した。名古屋のベルデニック監督は何もコメントしなかったが、柏のマルコ・アウレリオ監督は強い不満を示した。前半12分にレッドカードを受けて、その後の試合展開に大きな影響を与えた名古屋のウェズレイの退場処分に関してさえ、「理解できない」と語った。
 人間のする行為だから、審判にミスがあるのは当然だ。それを受け入れなければサッカーはできない。しかし一般的に審判とチームとの信頼関係が崩れかけている現状は看過できるものではない。
 そして私は、問題の一端が、審判の指導・評価と試合への指名を一手に預かる「審判委員会」のあり方にあるのではないかと感じている。

 重大なミスがあったときにも、どうしても「仲間」をかばう形になる。そして、実質上の「処分」があっても、それは「しばらく指名しない」という「処置」や「配慮」にとどまり、発表されることもない。審判委員会は非常に閉鎖的に見える。
 審判問題について、より広い意見を吸収する仕組みが必要なのではないか。
 判定が正しかったかどうかを検証するために、元審判員だけでなく、元選手や元監督などを含めた特別のボードを組織し、その結果を審判や審判委員会に伝える仕組み。Jリーグの監督たちと定期的にディスカッションし、彼らの考えと審判たちの判断をすり合わせていく仕組み。何か問題があったときに、それを徹底的に調査し、結果をチームやファンに向けて公表していく仕組み...。
 審判問題は、サッカーそのものの問題だ。審判委員会のなかですべてを解決しようというのではなく、サッカー界全体で信頼関係確立に努めなければならないと思うのだ。
 
(2002年9月18日)

No.429 CKをはやくけろう

 試合を見るときには取材ノートをつける。両チームのメンバーや布陣、そして得点場面や主要なチャンスなどを記録するノートだ。試合後に記事を書くときになくてはならないものだ。ワールドカップでも、Jリーグと同じようにノートをつける。
 そうしたなかで、世界と日本のサッカーの思いがけない違いを見つけることがある。ずっと気になっていたのは、コーナーキック(CK)がけられるまでの時間の違いだ。
 守備側がゴールラインからボールを出すと攻撃側に与えられるCK。大きなチャンスがかろうじて防がれた結果であることも多い。当然、そのプレーはノートに記録すべきことの対象になる。誰から誰にパスが出て、どんなチャンスになったか、守備側はどう対処したかなどをノートに記す。そしてCKを見るために顔を上げる。

 「思いがけない違い」を感じるのは、このときだ。
 Jリーグでは、キッカーがボールをセットし、片手を上げて中央の選手に合図している場面となっていることが多い。しかしワールドカップをはじめとした世界のサッカーでは、ノートに手間取っていると、CKが行われてしまうのだ。スタンドの雰囲気(それでける瞬間がわかる)を気にしながらすばやくメモを終わらせるか、あるいは、後回しにしなければならない。
 ワールドカップとJリーグの試合のビデオを見比べながら、ボールが出てからCKがけられるまで実際にどれくらいの時間がかかっているか、計ってみた。
 ワールドカップのある試合では、90分間に両チーム合わせて20本のCKがけられ、1本のキックに要した時間は平均19・7秒だった。ところが、Jリーグの試合では、9本のCKに平均34・1秒もかかっていた。

 そのJリーグの試合では、前半のなかばに先制点がはいり、1−0のまま90分が終わった。1点リードの状況で長い時間を戦ったチームのCKは4本、平均所用時間は38・3秒だった。
 CKが与えられると、あらかじめ決められたキッカーがゆっくりとコーナーに向かってゆく。そして、長身のDFたちが上がってきて相手ゴール前に到達するまで20秒。それからキッカーがボールを置き直し、合図をして、ようやくキックする。
 一方、負けているチームは、キッカーが少し急いで走っていくが、同じようなものだ。前半の1本は35秒、後半、急いだときも平均して25秒以上かかっていた。
 ワールドカップでサンプルにしたのは、コスタリカ対ブラジルで、最終スコアは2−5、前半10分に先制点を挙げたブラジルがコンスタントに得点を挙げて快勝した試合だ。コスタリカは14本ものCKを1本平均20秒そこそこでけった。そして大量リードのブラジルも、平均18・7秒しかかけなかった。

 20秒でけることのできるCKに30秒をかけると、1試合あたり10本のCKとしても合計すると2分間近い時間の浪費になる。それだけではない。緊張感なくだらだらとコーナーに歩いていく姿は、「サッカーらしさ」、「サッカーの魅力」から最も遠くにあるものだ。
 息がきれるほどのダッシュは必要ない。しかしCKが与えられたら、きびきびと走ってポジションにつき、時間をロスせずにCKを行うようにする習慣をつけなければならない。
 ワールドカップでサッカーに興味をもった人びとがJリーグのスタジアムに行く。そして「何か違う」と感じる。試合のステータスやスターの名前ではない。CKでの10秒間のロスのような細かなことが、目の肥えたファンに大きな「違和感」を与えているのだ。
 
(2002年9月11日)

No.428 マウンドのあるサッカーグラウンド

 もう30年以上も前、神奈川県の高校生だった私にとって、試合のグラウンドは大半が学校のグラウンドだった。サッカー専用のグラウンドなど県下にいくつかしかなかったから、公式戦でも大半は、広い校庭をもつ学校の施設を使わざるをえなかった。
 学校のグラウンドは、普段は部活動に使われている。多くのグラウンドでは、サッカーのピッチ内に野球のピッチャーズ・マウンドがあった。初めて行く試合会場では、まずマウンドの位置を確認しなければならなかった。
 そんなことを思い出したのは、最近練習で使ったグラウンドのペナルティーエリア内にマウンドがあったからだ。ある区の区営施設だったが、ほぼ真四角の施設の4隅に野球の土の内野がとられ、外野の部分は芝生になっている。

 サッカーで使う場合には、野球の2面分をひとつのピッチにする。ペナルティーエリアの大半は内野の土だが、左3分の1ほどは芝生だ。
 サッカーにとって理想の形とはいえない。しかしそれでも、現在の東京では、サッカーのために使えるグラウンドがあるというだけで非常に貴重なことだ。
 ワールドカップでサッカー人気が高まっている。サッカーがこれほど日常的な話題になるのは、93年のJリーグ・スタート時以来のことではないか。見るだけでなく、自分自身でサッカーを楽しもうという人の数も、間違いなく増えている。ところが、それがなかなか長続きしない。その最大の原因が、「グラウンド不足」にあるのは確かだ。
 11人を集めてチームをつくるのは、簡単とはいえないが、いまのようにサッカーに対する関心が高い時期ならそう難しくもない。ユニホームをそろえるのは、ずっとやさしい。しかし試合をしようとすると、大きな壁にぶつかる。手軽に借りられる公共のグラウンドがほとんどないからだ。とくに大都市圏では、サッカー・グラウンドの数は極端に不足している。

 民間でやっている時間貸しのフットサル(5人制サッカー)のコートは、どこも盛況だ。テニスコートをやめてフットサル・コートに切り替えるところも多い。
 しかし広大な土地を必要とする正規のサッカー・グラウンドの時間貸し事業など、民間では成り立たない。サッカー・グラウンドといえば、公共の施設に頼らざるをえないのだが、その公共の施設づくりが、サッカー愛好者の伸びにまったく追いついていないのが現状なのだ。
 一方、早くから広まっていただけに、野球のための公共の施設は多い。東京のある区には45面の区営野球場があるが、サッカー場はわずか3面だ。このグラウンド数が野球愛好者の要望を完全に満たすものではないかもしれないが、それでも、サッカーと比べると状況は大きく違う。

 私の提案は、そうした野球グラウンドのいくつかにサッカー・ゴールを配備し、サッカーにも使えるようにすることだ。小さなピッチしかつくれないところなら、小ぶりな少年用のゴールを配備して小学生以下用ということにしてもいい。野球に使用しないとき、あるいは、時間配分を定めて野球グラウンドをサッカーでも使えるようにできれば、施設がより有効に活用されることにもなる。
 サッカーのゴールは1セットで数十万円する。ことしから配分が始まった「サッカーくじ」からのスポーツ振興資金は、このようなものにこそ使われるべきだと思う。
 ペナルティーエリアの半分が芝で半分が土でも、ピッチのなかにマウンドがあってもいい。広いグランドを使うことができるようになれば、「思い切りサッカーをしたい」と思いながらままならない多くの人の救いになるはずだ。
 
(2002年9月4日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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