サッカーの話をしよう

No.493 自尊心

 トヨタカップの表彰式でプレゼンターになった日本サッカー協会の小倉純二副会長(国際サッカー連盟=FIFA=理事)が、イタリアのACミランの選手たちの態度に感心したという話を聞いた。
 120分間を1−1で終え、PK戦でボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に敗れたミラン。しかし表彰台の上で、選手たちは実に堂々としていた。そして小倉副会長が準優勝のメダルを首にかけると、例外なく、しっかりと目を見て握手し、笑みを浮かべて「サンキュー」と言った。その堂々とした態度に、小倉副会長は強い感銘を覚えたという。
 カップ戦の表彰式では、まず準優勝チームにメダルを与え、次いで優勝チームにメダルとカップの授与を行う。しかし日本では、準優勝、すなわち決勝戦で敗れたチームの選手たちは、ほとんど仏頂面だという。選手たちの首にメダルをかける役員たちが途中でやめたくなるほど、選手たちの態度は良くないらしい。小倉副会長も常にそうした経験をしているから、ミランの選手たちの態度に強い印象をもったのだろう。
 「負けは恥」という観念が、日本の社会にあるように思う。だから、「自分は恥じている」と示すために、グラウンドに突っ伏したり、仏頂面で表彰式に臨むことになる。
 タイトルを目前で手中にしそこなった悔しさ、そしてまた、一生懸命に応援してくれたファンに申し訳ないという思いもあるだろう。しかし何よりも、敗者は恥じ入るべきだという社会通念のなかでの態度・行動のように思う。
 本当に「負けは恥」なのだろうか。スポーツとは、そんなものではないはずだ。2チームが戦うサッカーのような競技では、必ず一方のチーム、すなわち競技参加者の半数が敗者となる。順位を争うレースなどの競技では、首位以外は全員が敗者とも言える。勝負をするのだから、その結果として勝者と敗者が出るのは、当然のことだ。
 そして、勝敗は、往々にして女神の気まぐれで決まる。競技者にできるのは、勝利を目指して最善を尽くすこと、自分のもっているすべてを出し尽くすことにすぎない。それができたなら、誇りをもって結果を受け入れることができるはずだ。
 私は、日本の選手たちは、「自尊心」という言葉をよくかみしめる必要があると思う。好ましくないイメージで使われることもあるが、私は、「自分自身に価値を認め、大切にする」という意味で使いたい。和英辞典を引くと、「pride」という言葉のほかに、「self-respect」という表現もある。「自分自身に敬意を払う」というニュアンスが私の使う意味に近く、好きだ。
 負ければ、当然、悔いが残る。なぜあんなミスをしたのかと、自責の念にかられる。しかしそれでも、「自分はできる限りのことをした」という思いで試合を終えてほしい。それが「自尊心」の根源的な力になる。そうした思いがあれば、自ずと試合後の態度も変わってくる。
 負けても、その結果を堂々と受け入れることができるだろう。相手チームに対して、卑屈な気持ちにならずに祝福の言葉を贈ることができるだろう。そして、準優勝のメダルをもらいながら、「ありがとうございます」と、しっかりとした握手とともに笑顔で言うことができるだろう。
 自尊心は、敗戦の悔しさを忘れてしまうことではない。ミランの選手たちは、ホテルに帰るバスに乗ったとたん寡黙になったに違いない。それぞれに試合を思い起こしながら、決め切れなかったチャンスや守り切れなかったゴールを考え続けていたはずだ。
 天皇杯や高校サッカーの季節になった。その会場で、自尊心をもった敗者たちを見たいと思う。
 
(2003年12月24日)

No.492 モットラム氏はFIFAに抗議を

 ボカ・ジュニアーズの見事な健闘で見応えがあったトヨタカップ。しかし同時に、レフェリングに違和感が残る試合でもあった。
 トヨタカップは、ずっと世界の超一流レフェリーが主審を務めてきた。ヨーロッパと南米の対戦なので、公平を期して、1年おきにヨーロッパと南米から主審が出る。
 今回、ACミランとボカ・ジュニアーズの対戦を担当した主審はロシアのワレンチン・イワノフ氏。ワールドカップ出場こそないが、ことし6月にフランスで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップで決勝戦の主審を任された実力派だ。ちなみに、副審のゲンナジー・クラシュク氏(ロシア)、ユーリー・ドゥパナウ氏(ベラルーシ)も、同大会決勝戦でイワノフ氏の副審を務めた。いわば、「2003年の世界最強トリオ」といった審判チームだった。
 私の「違和感」は、おそらく、Jリーグを見ているファンなら、誰でも多少は感じたのではないか。「遅延行為(時間かせぎ)」の横行だ。
 主審が笛を吹いて反則があったことを示す。すると多くの場面で、反則をした側の選手はボールを遠くにけってしまう。あるいはボールのすぐ前に立ち、味方の守備組織ができる時間を稼ぐ。ミランもボカも、当然のようにそうした行為を繰り返した。しかしイワノフ主審は、ほとんどの場合、注意も与えなかった。
 国際サッカー連盟(FIFA)は、昨年のワールドカップ以来、主審に対して、こうした行為に厳然とイエローカード(警告)で対処するよう要求してきた。Jリーグ審判員の指導にあたっているレスリー・モットラム氏は、今季半ばに「遅延行為に対して甘すぎる」と審判たちに厳しく注意し、以後、Jリーグではほんのわずかな遅延行為にもイエローカードが出されるようになった。
 その判定基準に対して、「厳しすぎる」との批判がある。しかしこうした遅延行為は断じてサッカーのプレーの一部ではない。勢い余ってしてしまう類の反則ではない。不当な手段で試合を有利にしようという卑劣な行為であり、試合への興味をそぎ、サッカーの魅力を殺す行為だ。そして同時に、選手たちの意識次第で、簡単になくすことのできる行為でもある。
 この件に関して、私は、FIFAとモットラム氏の方針を全面的に支持する。
 ところが、日本国内で世界レベルの試合を見ることができる年にいちどの機会であるトヨタカップで、超一流主審が堂々と遅延行為を見過ごしてしまったのだ。それを見て、Jリーグのレフェリングが間違っているのではないか、あるいは、「世界基準」に則していないのではないかという疑問が出るのは当然だ。
 今回、遅延行為に対してこのようなレフェリングが行われたことについて、日本サッカー協会の審判委員会、そしてモットラム氏は、「自分たちの基準は間違っていない」という明確な声明を出す必要がある。同時に、FIFA、そしてトヨタカップの当事者であるヨーロッパと南米の両サッカー連盟に対し、今回のレフェリングと選手たちの行為に対し、厳重な抗議をしなければならない。
 もしこの試合をこのまま見過ごすなら、それは、「自分たちは間違っていた。今後は、笛の後に少しぐらいボールをけっても、フリーキックの位置から離れなくても、大目に見ることにする」と認めるのと同じことだ。
 遅延行為は本当に醜い。「サッカーの常識」に毒された人びとには想像もできないかもしれないが、それは、サッカーの自殺行為に等しい。この件に関しては、世界の現実に追随するのではなく、Jリーグの基準を世界に広げていく必要がある。
 
(2003年12月17日)

No.491 U-20代表GK川島の能力

 U−20(20歳以下)日本代表が、UAEで行われているFIFAワールドユース選手権で見事な戦いを見せている。1次リーグで優勝候補のひとつと言われたエジプトを1−0で下し、決勝トーナメント1回戦では韓国との死闘を延長の末2−1で制してベスト8進出を果たした。その立役者のひとりがGKの川島永嗣(大宮)だ。
 反射神経が非常に鋭い。エジプト戦では、至近距離からの強シュートをことごとくはね返した。しかしそれだけではなかった。韓国戦の後半終了間際に見せたFKに対する守備は、この選手が非常に良い指導を受け、20歳という若さで優れた技術を身につけていることを示していた。
 延長戦突入直前の後半44分、日本は韓国にペナルティーエリアの左外でFKを与えてしまった。ゴールまで27メートル。日本は4人の選手が「壁」をつくり、GK川島はゴール内の中央に立った。

 韓国FW鄭ジョングクは、その壁の上を越える強シュートを放った。壁を越えた後に強烈なドライブがかかり、ボールはゴールの左下隅に飛んでいく。完璧と言っていいFKだった。
 川島は、ボールが壁を越えてコースが明確にわかるまで動かず、両足に均等に体重を乗せてリラックスした姿勢をとっていた。そしてボールが自分から見て右に来るのを見てとると、まず右足を内側(左側)に引いて重心を右に移し、次に左足を体の前にクロスさせるように右に大きくステップし、さらに右足を右に踏み出し、そこで初めて体を倒して、直前でワンバウンドしてゴール隅にはいろうとしているボールをはじき出した。
 しっかりとした技術のないGKは、こうした状況では、シュートを止めようと、立ったポジションからジャンプしてしまう。よく訓練されたJリーグクラスのGKでも、このときのシュートのスピードであれば、右足を1歩外側に運んで、その右足の力で右へ跳ぶのが精いっぱいだっただろう。そして、そのどちらでも、このときのシュートは防げなかっただろう。

 しかし川島は、この短時間に2歩のしっかりとしたステップを踏んだ。決定的なピンチから日本を救ったのは、この2歩だった。
 「派手にセービングするのは二流のGK」と言われる。シュートに対して体をそりながら横に跳び、ボールをはじき出すプレーは、非常に派手でかっこいい。GKという地味なポジションの選手がいちばん目立つときでもある。
 しかし一流のGKは、多くのボールを正面で処理する。キャッチする瞬間には非常に簡単なシュートが飛んできたように見える。まずシュートのコースを読み、そしてすばやくステップを踏んでそのコースで待ち構えているからだ。だから一流のGKの守りには、派手なセービングは少ない。

 イングランドのGKバンクスがブラジルのペレのヘディングシュートを防いだ70年ワールドカップの伝説のプレーのときにも、バンクスはクロスに対処して立っていた右ポスト前からすばやく4歩のステップを踏んで左に移動し、リラックスした構えから左下隅に飛んできたシュートをきれいにはじき出した。
 川島は身長185センチ。国際クラスのGKでは大きいほうではないが、まず申し分ない。しかし身長や反射神経の鋭さだけでなく、レベルの高い技術をしっかりと体得していることが、このGKの最大の魅力だ。
 韓国との延長戦を見ながら、私は「もしPK戦になったら、日本が勝つだろう」と感じていた。それはもちろん、GK川島がいるからだ。
 もしかすると、日本人で初めて、ヨーロッパの一流クラブで活躍できるGKが誕生するかもしれない。
 
(2003年12月10日)

No.490 キレるサッカー選手

 まるで「キレる若者」を見る思いだった。
 11月29日のJリーグ最終節、優勝をかけた横浜と磐田のビッグゲームの前半15分、横浜のGK榎本哲也が磐田FWグラウを突き倒し、退場処分になったのである。
 その直前、榎本がボールをけろうとしたときにグラウが飛び込んできて、体に当たったボールがあわやゴールに転がり込みそうになった。吉田寿光主審はグラウのこのプレーを反則にしたが、榎本は収まりがつかず、自陣に戻ろうとしていたグラウのところに猛然と走り寄り、そのままの勢いで突き倒したのだ。
 20歳の榎本にとって、この試合のプレッシャーがどれほどのものであったか、想像に難くない。早々と1点を失って、さらに追い詰められていたのかもしれない。しかしそれでも、あんな形の報復は、とてもサッカーの試合の中の行為とは思えない。
 その晩遅くにテレビ中継で見たワールドユース選手権では、日本のDF角田誠(京都)が、すでに一枚イエローカードを受けた直後というのに、相手FWの小さな反則に怒り、つかみかからんばかりの形相で怒鳴った。相手選手が取り合わなかったのが幸いだった。もし相手が少しでも挑発する素振りを見せたら、手が出ていた状況だった。そうなれば、榎本と同じように一発退場は免れなかっただろう。
 最近、こうした行為が多いのが気になる。退場処分になったらチームは残りの時間を10人で戦わなければならなくなるのは誰でも知っている。しかし頭にカッと血が昇った瞬間、何もかも忘れてしまうのだろう。そしてその一瞬後には後悔だけが残る。自分の軽率な行為が大きな迷惑をかける結果になった榎本は、劇的な逆転勝利でチームがJリーグの年間チャンピオンに決まった後にも、心から喜ぶことはできなかったはずだ。
 デビッド・ベッカム(イングランド代表、レアル・マドリード)には、苦い記憶がある。初めて出場したワールドカップ、98年フランス大会の決勝トーナメント1回戦。強豪アルゼンチンと2−2で迎えた後半はじめ、彼はシメオネの反則に怒り、うつ伏せに倒れたまま相手の足をけってしまったのだ。ひどいキックではなかったが、明らかに故意だった。言い訳はできない。主審は見逃さず、即座にレッドカードが出た。
 それまで「この大会最高の内容」と呼ばれるプレーを見せていたイングランドだったが、ひとり減ったことで守備を固めざるを得ず、延長まで防戦一方の試合を戦ったあげく、PK戦で敗れた。メディアは、敗戦の全責任をベッカムに押し付けた。そしてその後も、ことあるごとにそのときの退場事件を取り上げた。
 ベッカムは深く傷ついた。その傷は、2002年ワールドカップの予選最終戦で見事なFKをギリシャのゴールに突き刺して出場権をもたらしても完全に癒えることはなかった。昨年6月、2002年大会のアルゼンチン戦(札幌)で、決勝点となるPKを決めて雄叫びを上げる姿を見て、ようやく彼がその悪夢から解放されたことを知った。
 ファウルをされて冷静さを失う選手は怖くない。本当に怖いのは、日本代表の中田英寿(パルマ)のように、どんなファウルを受けても何事もなかったかのように立ち上がり、すぐに次のプレーに移っていく選手だ。
 感情をコントロールできなければ自分自身のプレーをコントロールすることはできない。どんな技術をもち、高度な戦術を身につけていても、コントロールが効かなければ勝者になることはできない。
 榎本は今回の退場を忘れてはいけない。苦い思いを抱き続け、いつか心から喜べる日を迎えられるよう、努力を続けなければならない。
 
(2003年12月3日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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