サッカーの話をしよう

No.17 キックインの実験に意見を

 日本が正確なキック力を誇る財前のロングキックから193センチの船越にヘディングを狙わせれば、ガーナは近くにいる選手に短くつないで攻めを組み立てる。8月21日に東京で行われたU−17(アンダーセブンティーン)世界選手権の開幕戦、両チームは「キックイン」で対照的なやりかたを見せてくれた。
 試合後、ガーナのパハ監督は「背の低いチームには不利。オフサイドがないのもよくない」と不満を表明した。その一方、日本の戦法には、この新しいルールを研究し、得点と勝利のために最大限に生かそうという姿勢が見えた。

 以前も書いたが、従来のスローインの代わりに、タッチラインから出たボールをライン上に置き、キックで中に入れるという「キックイン」は、国際サッカー連盟(FIFA)が実験としてこの大会で導入したもの。進行をスムーズにし、サッカーというゲームをより楽しいものにしようという狙いだ。
 日本チームの戦法は、その意味では狙いと逆行するものだった。キッカーが財前と決まっていたので、ゲームがストップしている時間が長くなってしまったからだ。

 この大会で肯定的な結果が得られれば、FIFAは来年夏、ワールドカップ終了後にキックインを正式なルールにする方針だ。そうなれば、子供からワールドカップまで、すべてのカテゴリーで適用されることになる。
 採用するかどうかの最終的な判断は、もちろんFIFA自身がするのだが、日本のファンやマスコミの反応も、少なからず影響を与えるはずだ。なぜなら私たちは、キックインに関しては世界のファンやマスコミを代表して現場の証人となるからだ。
 ファンの皆さんは、新聞や雑誌の投書でどんどん意見を言ってほしい。賛成、反対、好き、嫌い、ここがいい、こう変えればなど、何でもいい。
 マスコミには、この大会が終わるころに、それぞれ自分の「判定」を記事にしてもらいたいと思う。私はこの大会で報道関係を扱う仕事をしているが、できればそうした記事を集め、英訳してFIFAに渡したいと思っている。

 こうした「実験」は、今回のキックインに止まらない。Jリーグが採用しているリーグ戦での延長サドンデスも、FIFAの許可を得て、実験として導入されている。1シーズンが終わった後、Jリーグはその評価をFIFAに報告することになっている。
 これについても、日本のファンやマスコミは自分の意見を言う権利と、ある意味での「責任」を負っている。Jリーグ担当記者は、先入観にとらわれることなく、5年、10年のスタンスでサッカーにプラスになるかどうかの評価の記事を書いてほしい。そして、できうれば、Jリーグはこうした記事を自らのレポートに添付してFIFAに提出してほしいと思う。

 新しいルールや制度は、FIFAや日本サッカー協会の少数の役員が密室の会議で決定する性格のものではない。世界中のファンやマスコミの考えや意見も、当然意思決定の大きな要素となる。
 サッカーは元来、喜びにあふれたゲームである。プレーする選手たち、スタジアムにくる観衆、そしてテレビで見る人びと。その誰もが、心が豊かになる90分間を共有することが、FIFAや日本サッカー協会、そしてJリーグの願いにほかならない。
 サッカーの世界は支配の体制ではなく、世界を結ぶひとつの大きな家族であるからだ。

(1993年8月24日=火)

No.16 U−17世界選手権 21世紀の予告編

 国際サッカー連盟(FIFA)の公式世界選手権のひとつである「第2回FIFA/ビクターJVCカップ U−17世界選手権」の開幕がいよいよ近づいてきた。17歳以下の世界選手権。明日の世界のスターが初めて国際舞台に登場する大会として、世界からも大きな注目を集めている。

 FIFAは1977年に20歳以下の「ワールドユース」をスタートさせ、85年にU−16(後のU−17)を創設、そして93年からはオリンピックを23歳以下の世界選手権として位置づけた。この3つの大会の整備によって、年齢制限のないワールドカップへのステップが完成した。ではFIFAは、これらの大会の開催で何を目指しているのだろうか。

 74年にFIFA会長選挙に立候補したブラジル人のジョアン・アベランジェは、ルールの改正や、アジア、アフリカ、北米などサッカーの「発展途上地域」援助を公約に当選した。この第二の公約実現のために創出されたのが、年齢別の世界選手権だった。
 世界のサッカーのリーダーは文句なく欧州と南米。ワールドカップ優勝はこの二者に独占されてきた。他の地域がその壁を破れなかったのは、主として環境の差だった。前者にはしっかりとしたプロ組織があり、後者には満足な施設もない状態だったからだ。
 このままの状態では、両者の差は開く一方。ユースの年齢別世界選手権を開くことによって「発展途上地域」のタレントに早くからいいコーチを受けさせ、同時に国際経験を積ませてレベルを上げようというのがFIFAの計画だった。

 効果は劇的だった。2年に1回開かれるワールドユースでは、81年大会でアジアのカタール、89年にアフリカのナイジェリア、そして93年にはガーナが準優勝を飾った。
 85年に「U−16」としてスタート、91年から「U−17」となった大会では、第1回大会をナイジェリアが制覇し、89年にはサウジアラビア、91年にはガーナが優勝している。
 ワールドユースでのナイジェリアとガーナの準優勝は、U−17の優勝の数年後。そしてガーナは、このユースの選手を中心としたチームで92年オリンピックで準優勝を飾っている。オリンピックが23歳以下の世界選手権であることを考えれば、アフリカ・サッカーの実力がすでに世界のトップに迫っていることが理解できるだろう。
 90年ワールドカップでは、カメルーンが欧州と南米の強豪を倒してベスト8に進出。FIFAは、欧州の枠をひとつ削って、それまで2だったアフリカのワールドカップ出場枠を、九四年大会から3に増やさざるをえなくなった。

 サッカーは20世紀で最も人気を得たスポーツである。しかし強豪が一部の地域に偏るのは21世紀のサッカーにとって好ましい状態ではない。アフリカ、アジア、北アメリカなどのレベルを引き上げ、ヨーロッパ、南米と競わせることができれば、さらに発展が期待できるだろう。こうしたFIFAの夢は、アベランジェの会長就任から20年を経ていよいよ現実のものになろうとしている。
 今回のU−17でも、優勝候補の筆頭とされるのは前回優勝のガーナ。アジア代表の中国、オセアニアのオーストラリア、そしてアメリカも、上位進出の力をもったチームといわれる。ヨーロッパはポーランド、南米からはアルゼンチンが有力視されるが、楽な戦いはひとつもないはずだ。
 こうした力関係は、21世紀の世界のサッカーの勢力図を予言するものとなるかもしれない。

(1993年8月17日=火)

No.15 アメリカの失敗にJリーグが学ぶこと

 入場券がカードを問わずプラチナペーパーといわれるなど、Jリーグのブームはまだ陰りもない。そして外国でも想像以上にJリーグに対する関心は高い。
 海外マスコミやサッカー関係者は、おおむねJリーグを2002年ワールドカップ招致活動と同様、周到な準備に支えられたすばらしい仕事と評価している。しかし一部には、「第二の北米リーグになるのでは」と懸念する人もいる。

 北米サッカーリーグ(NASL)は、1968年にアメリカとカナダにまたがるプロリーグとして誕生、17シーズンの活動後、85年に消滅した。
 サッカーの土壌がゼロといっていい地域で、75年にペレ(当時34歳)を現役復帰させたのを期に大ブームとなり、77年に7万7691人の最多観客を記録、78年には24クラブとなった、だがその後急速に人気は落ち、84年が最終シーズンとなった。
 これまでプロサッカーがなかったところに作られ、しかもジーコなど盛りを過ぎた世界のスターを連れてくるなど、たしかにJリーグはNASLと似た要素がある。しかし両者を細かくチェックしてみれば、根本的に違うことがわかる。

 両者の相違点は、おおざっぱに以下の4点だ。
 第一は、リーグづくりの動機。Jリーグは旧日本サッカーリーグの改革から生まれ、日本サッカー協会が主導権をとった。目的は日本のサッカーを強くすること、サッカーを盛んにすること。それに対しNASLはビジネスマンがつくったもの。プロスポーツはビッグビジネス。アメリカンドリームをかけた男たちが投資家を募り、各地にクラブをつくったのだ。
 相違点の第二はテレビに対する考え方。Jリーグは「テレビは第二義的。スタジアムに観客を呼ぶことを第一としたい」という方針だが、NASLではテレビこそ生命線。CBSネットワークとの中継契約がなければ、NASLは誕生することもなかっただろう。
 第三は国際サッカー連盟(FIFA)との関係。Jリーグ参加チームの経営者たちに強調されたのは、リーグはFIFAと日本サッカー協会の管理下にあるということ。NASLはサッカーを知らない北米の人びとを引きつけるために、ゴールから30メートルまでオフサイドをなくし、独特の勝ち点方式などを採用した。FIFAはこれに強く反発、他国との交流禁止の脅しまでしたが、NASL側は最後まで折れなかった。サドンデス導入に当たってJリーグが何度もFIFAと交渉したのとは大きく違う。
 そして第四の相違点、それは、その国の選手の存在だ。Jリーグでは、外国人選手は登録は最多5人、出場できるのは1試合につき3人まで。しかしNASLでは、アメリカまたはカナダ生まれの選手を1人だけ出場させればいいという規約だった。当時の北米にはトップクラスのサッカーはなかったから、大半をヨーロッパや南米からの貸し出し選手でまかなった。

 こうした流れを見ると、Jリーグが今後どのような方向に行くべきか、いくつものヒントがある。
 まずサッカーを盛んにする、日本のサッカーを強くするという理念や目標を見失わないこと、第二に常にスタジアムをいっぱいにする努力を払うこと、第三に若い世代の育成に努め、日本人選手のなかからリーグをリードするスターを一人でも多く生み出すこと。
 こうした面で、現在のJリーグは正しい方向に進んでいると言っていい。歴史は学ばれるためにある。Jリーグは歴史の教訓を見事に生かしている。

(1993年8月10日=火)

No.14 グラウンドに礼をする無礼な男

 夏休みを迎え、全日本少年大会など、各地で少年サッカーが盛んだ。この季節になると、十数年前、サッカー専門誌の編集者をしていたころに受け取った一通の投書を思い出す。
 「私は少年サッカーの指導者だが、子供たちには、いつもボールを大事にしなさいと言っている。しかし先日の貴誌には日本代表の監督が練習中にボールに腰かけている写真が載っていた。私はこれからどう話せばいいのか」
 ボールを「かわいがる」のはサッカー上達の基本。サッカーボールは腰かけたくらいで傷むほどやわではないが、単なるしつけとしてではなく、サッカーをする心構えとしてこうしたことにまで気を配る指導者がいることに、とても感心させられた。もちろんその後は気をつけた。

 少年サッカーの指導者の狙いは人によって違う。将来の日本代表選手を育てたいと夢見る人もいれば、楽しくできればいいと思っている人もいる。そしてもちろん、教育の一環ととらえている人も多い。
 ときどき見かけるのが、一列に並んでグラウンドにあいさつするチームだ。グラウンドを道場とでも考えているのだろうか。こうした儀礼には決定的に欠ける点があるように思う。それは「人間」の存在だ。

 数年前の夏、都内のあるグラウンドで練習していたときのことだ。隣には野球グラウンドがあった。すると、サッカーグラウンドの中央をゆっくりと歩き抜けていく人がいる。野球のユニホームを着た大柄な紳士だった。練習中のグラウンドを横切るのは不作法で礼儀知らずなことだと思うが、誰も彼に文句を言おうとはしなかった。
 その紳士は、私たちの練習を値ぶみでもするように見回しながらゆっくりと歩き、まだ無人の野球場にはいっていった。そして右手で帽子をとり、深ぶかと頭を下げた。彼には、私たちという人間よりも、グラウンドのほうが敬意を払う対象だったのだ!

 青少年に対するスポーツ指導のなかに教育的要素がはいるのを否定するわけではない。むしろこのふたつは不可分のものだと思う。しかしその教育は、少なくともまず、「人間」を大事にすることを教えるものであるべきだと思うのだ。
 試合後、両チームの選手がそれぞれ相手ベンチ前に整列し、キャプテンの号令一下「ありがとうございました」と頭を下げる光景も少年に限らずよく見る。
 だがそうした形式だけの儀礼に、どれだけの「心」があるのか。こうした儀礼は、試合を戦った者同士が互いに尊敬し合う心を育てることができるのか。本部役員や審判へのあいさつは本当に感謝する心を培うことができるのか。
 形式儀礼だけをたたき込まれた選手は、たとえばファウルで相手をケガさせた場合、相手を気づかうより先に主審に頭を下げ、FKがすぐけられないように妨害することばかり考えるようになってしまう。

 規律はなくても、試合をした者同士が心から握手し、肩をたたき合って互いの健闘をたたえ合う姿のほうがずっと美しい。負傷させたと思ったら、プレーが続いていても相手を気づかう選手のほうが、人間としては質が上だ。
 試合には勝敗があるが、それが示すのは数十分間のプレーの結果だけであって人間としての価値とは何の関係もないこと、グラウンドよりもボールよりも、大事なのは人間そのものであること。
 青少年期のスポーツ指導と教育が切り離せないのなら、形式だけの礼儀ではなく、こうした点を彼らに伝えてほしい。

(1993年8月3日=火)

No.13 システム考

 「野球はポジションがはっきりしているが、サッカーは入り乱れてプレーするのでわかりにくい」という声をよく聞く。今回はサッカー観戦の基礎知識の第二弾として、「システム」について解説しよう。

 サッカーのポジションを大きく分けると、ゴールキーパー(GK)、ディフェンダー(DF)、ミッドフィルダー(MF)、そしてフォワード(FW)。ラフな言い方をするとDFは守備、FWは攻撃、MFはその両者をつなぐ役。GKを除く三種類のポジションに十人の選手をどう配置するか、それが「システム」ということになる。

 現在のJリーグで最も多いのが4−4−2。DFとMFが四人、FWが二人のシステムだ。鹿島アントラーズやヴェルディ川崎がその例。DFの四人は両サイドバックと二人のセンターバック。中央を二人のセンターバックのコンビネーションで守る「ゾーンディフェンス」をとるチームが多い。
 ではなぜDFラインは四人なのか。フィールドの幅68メートルを四人で守ると一人の担当は17メートルとなる。DFは互いにカバーしなければならない。互いの距離はこれくらいが限界なのだ。
 MFには守備的な役割が一人。二人は右と左を分担し、一人が攻撃重点でFWをサポートする。アントラーズでいえば本田が守備的MF、サントスが右、石井が左、そしてジーコが攻撃的なMFだ。
 FWの二人は自分の個性に合わせて自由に攻撃プレーをする。ヴェルディではカズは広く動いてチャンスをつくり、武田は中央でシュートを狙うことが多い。

 横浜マリノスは4−5−1。これは4−4−2の変形だ。FWディアスのキープ能力が特別に高いからできるシステムだ。彼に相手DFの注意を引きつけ、右から山田、左から水沼が突破してチャンスをつくるのが得意パターンだ。
 これに対し、ジェフ市原の3−5−2システムは守備方法が基本的に違う。DFのうち二人はFWを「マンツーマン」で厳しくマーク、その後ろにリベロがいる。互いにカバーするのではなく、カバーの専門職を置いている点が特徴だ。
 MFの五人のうち二人は攻撃時には果敢に前進するが、守備時になると四人DFのサイドバックのポジションにはいる。5−3−2ともいえるシステムだ。

 監督に「システムは何ですか」と聞いても、答が返ってこない場合が多い。別に秘密にしているわけではない。個々の選手には試合によって果たすべき役割がある。勝負はそれができるかどうかで決まるのであって、システム自体がゲームの目標ではないからだ。
 だがそれでも、急に突飛な選手の配置はできない。結局は、なんらかのシステムでプレーする形になる。
 それぞれのチームがどんなシステムでプレーしているのか、そして誰が誰をマークしているのかに注意して試合を見ると、選手たちのポジションどりやプレーの意味もわかるようになってくる。そうすれば、サッカーはもっともっと楽しいものになるはずだ。

(1993年7月27日=火)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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