サッカーの話をしよう

No.973 審判と選手の信頼関係にかかわる事件

 日本ではJリーグの「無観客試合」に注目が集まっていた先週の週末、イングランドではアーセン・ベンゲル監督(フランス)のアーセナル指揮1000試合目での出来事が大きな話題になった。
 95年から96年にかけて名古屋グランパスの指揮をとり、96年10月にアーセナルの監督に就任したベンゲル。しかし18年間もその地位にとどまり、1000試合も経験するとは、本人でさえ想像できなかったに違いない。
 さてその1000試合目は、3月22日土曜日、アウェーのチェルシー戦。これに勝てば首位チェルシーに肉迫する重要な一戦だったが、ベンゲルにとっては「悪夢」となってしまった。なんと0-6の大敗だったのだ。
 大差がついたのは、前半7分までに2点を奪われたうえ、15分にDFギブスが退場になり、PKで3点目を奪われて残りの75分間を10人で戦わなければならなくなったからだった。そしてそのギブスの退場は、大きな判定ミスだった。
 2点を取っても猛攻を続けるチェルシーはFWアザールがシュート、アーセナルGKシュチェスニーを破る。しかしカバーしていた選手が横に跳び、左手で触れてそらす。
 マリナー主審は当初判定にとまどっていたが、副審とのコミュニケーションでハンドがあったことを確認、PKの判定を下すと、DFギブスに退場処分を申し渡した。だが実際にハンドの反則を犯したのはMFチェンバレンだったのだ。
 チェンバレンはマリナー主審のところに歩み寄り、「僕だよ」と告げた。しかしマリナー主審はその言葉をいれず、ギブスにレッドカードを突きつけた。
 プレミアリーグでは今季から電磁場を用いたゴールラインテクノロジーを使用、ゴール裏の「追加副審」は置いていない。副審からは背番号が見えず、ハンド直後の確認ではなかったこともあり、背格好が似たチェンバレンとギブスを取り違えてしまったのだ。
 誤審はどんな名審判にも起こる。見ることができない角度の出来事もある。私はそれを救うものがあるとしたら選手たちの正直さだけだと思っている。しかしこのケースでは選手が正直に話しているのに主審がその言葉を信じず、大きな誤審を犯してしまったのだ。
 試合後、事実を確認したマリナー主審はアーセナルに謝罪した。しかし試合結果への影響以上に、選手との信頼関係にかかわる事件だと思う。審判たちが深く考えるべき問題ではないだろうか。

(2014年3月26日)

No.972 横断幕禁止は過剰な措置

 2014年3月8日に埼玉スタジアムで起きた「差別的な内容の横断幕掲出」(Jリーグによる表現)は、重大な出来事だった。
 「世界の言葉」とまで言われるサッカー。それは世界中の人びとを相互の理解と敬意の下に結びつける役割を担っている。「差別」は、その対極にある。
 サッカーの場での差別的な行為に対し、当事者は断固戦う義務がある。意識の低さによる浦和レッズの対応の悪さは、それが予測されなかったわけではないことを考えれば、より罪は重い。
 「無観客試合」の処分は厳しい。しかし浦和への処分以上に、日本中のサッカー関係者やサポーターへの強いメッセージと理解しなければならない。
 浦和はいくつかの対応策を発表した。そのなかに、当面、「ホーム、アウェーを問わず、すべての横断幕、ゲートフラッグ、旗類、装飾幕などの掲出を禁止する」という一項がある。「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ということわざそのものの過剰な措置だ。
 問題の横断幕は、3人のサポーターが製作し、掲出したものだった。それを問題視して警備員に伝えたのは他のサポーターだった。これは、差別的な主張が浦和のサポーター全員もしくは大多数のものではなく、ほんの一部のものであったことを示している。「差別的だから撤去すべき」とサポーターが要求したという事実は、日本のサッカー観戦客の良識を示すものであり、今回の事件の大きな救いだった。
 試合のときにファンやサポーターが掲げる横断幕や旗は、ファンの気持ちを表現するもので、声援や応援歌と異なるところはない。サポーターたちは、全身全霊を込めて叫び歌ってもなお表現し尽くせない思いを、横断幕などに託すのだ。
 チームはプレーをする。1試合は観客を入れないが、次からは再びサポーターの歌声が響き、力強い声援が送られるだろう。横断幕やフラッグだけを禁止する意味はない。
 浦和は、サポーターを仲間あるいは同志ととらえ、どんな問題でも話し合いで解決してきた。サポーターが事件を起こしても問答無用と切り捨てるのではなく、徹底した話し合いで良い方向に進めようという努力を惜しまなかった。だからこそ「日本一」と言われるサポーターがいる。
 良識あるサポーターたちにまで旗などの禁止という犠牲を強いるのは、撤去すべき横断幕を放置したことと同じように問題の本質を見誤ったことだ。

(2014年3月19日)

No.971 王国に挑む日本のボランチ

 「ブラジルではね、試合を決めるのは9番ではなく5番だと言われているんだよ」
 読売クラブの監督をしていた故・相川亮一さんからそんな話を聞いたのは、80年代のはじめのころだった。
 「9番」や「5番」は背番号であり、試合ごとに1番から11番まで背番号をつけるのが普通だった当時は、同時にポジション名でもあった。9番はセンターフォワード。そして5番はDFラインの選手ではなく、守備的なミッドフィルダー、現在でいう「ボランチ」のことだ。
 ワールドカップで3回目の優勝を達成した70年大会でブラジルの5番をつけていたクロドアウド、80年代初頭に不動の5番だったトニーニョセレーゾ(現鹿島監督)らのプレーを見て、ブラジルのサッカーにおける5番の重要性は私も理解していた。守備ラインの前で防御の網を張るだけでなく、ボールを受けて自在に攻撃をあやつる彼らのプレーが、自由奔放な攻撃の土台となっていたからだ。しかし「9番以上」という言葉は驚きだった。
 その後の82年ワールドカップで、ブラジルが5番のトニーニョセレーゾとともに15番(本来は5番の控え)を付けたファルカン(元日本代表監督)を並べて使い、センセーションを起こした。中盤を支配することの戦術的な重要性が大きくクローズアップされるようになったのだ。
 先週水曜日に行われた日本代表のニュージーランド戦は、課題も出たが、同時に、うれしい驚きもあった。代表4試合目の青山敏弘(広島)と9試合目の山口蛍(C大阪)のふたりが先発でボランチのコンビを組み、攻守両面でハイレベルなプレーを見せたことだ。
 昨年までのザック・ジャパンでは、ボランチは遠藤保仁(G大阪)と長谷部誠(ニュルンベルク)が鉄壁のコンビを組んでいた。しかし国内組だけで臨んだ7月の東アジアカップ(韓国)で青山と山口が好プレーを見せ、山口は11月のベルギー遠征で主力のふたりに割ってはいる勢いを示した。そしてそこに青山も加わり、選手層は一挙に厚くなった。
 ザッケローニ監督が標榜する「日本のスタイル」とは、選手の動きとパスが有機的にからむコンビネーションサッカー。その土台が安定したのは、小さからぬ意味がある。
 ブラジルは今回もパウリーニョ(トットナム)らワールドクラスのボランチを並べている。しかし日本のボランチも「王国」のファンに強い印象を与える力を十分もっている。

(2014年3月12日) 

No.970 『J-22』若手に実践の機会を

 3月の声とともにJ1とJ2が開幕。9日(日)には注目のJ3もスタートを切る。
 12チームで開幕を待つJ3。そのうちのひとつは、これまでのJリーグのチームとは大きく違う。「クラブ」ではないのだ。
 「JリーグU-22選抜」。若手に実戦経験を積ませることを目的に、日本サッカー協会が運営する。J1の18クラブ、J2の22クラブ、計40のクラブで公式戦に出られない若手選手から試合ごとに16人を選んでJ3の試合に参加するという。
 かつては「サテライトリーグ」があり、若手が経験を積む舞台になっていた。だがそのための選手を保有しなければならないなど問題が多く、現在は実施されていない。
 選手は試合で育つ。有望な若手プロにどう実戦経験の機会を与えるかは日本サッカーの大きな課題だった。J3誕生に合わせてひとつの解決策が示されたのが「J-22」だ。
 本来「22歳以下」だから、今季は1992年生まれ以降の選手のはず。しかし2016年リオ五輪に向けての強化を考え「1993年以降」で編成することにした。監督はJリーグで監督経験をもつ高畠勉。先月24日に登録選手を発表した。J1から53人、J2から36人、計89人のリストだ。
 ただし、川崎のMF大島僚太、清水のGK櫛引政敏、C大阪のMF南野拓実、神戸のDF岩波拓也、湘南のDF遠藤航など、各クラブが主力と予定している選手は最初からリスト外とされた。
 J3は原則として日曜日開催。木曜夜に各クラブと連絡を取り合って週末のリーグ戦のメンバー(18人)にはいらない選手から16人を選び、金曜日に集合、土曜日に練習をして試合に臨む。ホームスタジアムはなく、すべての試合を相手のホーム、すなわちアウェーでこなす。
 3月1日と2日にJ1とJ2の合計20試合が開催されたが、89人のうち先発したのが14人、交代出場が9人、そしてベンチ入りしながら出場できなかった選手が9人だった。もしこの週末にJ3の試合が行われていたら、この32人を除く57人が選考の対象だった。
 注目の初戦は3月9日、沖縄県陸上競技場での対FC琉球。キックオフは15時10分。テレビの生中継もある。
 「初めての試みで予測がつかない部分もあるが、精いっぱいやって優勝を目指したい。ここで活躍して、『こっちで使うからもう出せない』と所属クラブから言われるようになれば本望」と、高畠監督は意欲満々だ。

(2014年3月5日) 

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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