サッカーの話をしよう

No.554 柏事件の原因を考える

 サッカーのスタジアムで観客の集団が他の集団を襲い、負傷者が出る----あってはならないことが起こってしまった。どんな理由があろうと、一方的な暴力は正当化されない。加害者が、サッカーの中だけでなく、社会的にも罰せられるのは当然のことだ。
 運営に当たったホームクラブ、柏レイソルの責任も免れない。10年間もJリーグに参加し続け、経験豊富なスタッフをそろえながら、事件の前兆に気がつかなかったのだろうか。それとも、「大事には至らないだろう」と高をくくっていたのか。試合終了直後に適切な手段がとられていれば、防ぐことのできた事件だった。
 日立柏サッカー場のゴール裏スタンドの構造的欠陥も、この10年間、まったく省みられていなかった。このスタジアムでは、95年10月にもあと一歩で大惨事という事件があった。ゴール裏スタンドの中央に陣取ったG大阪のサポーターを両サイドから地元サポーターが取り囲み、女性や子供を含むG大阪サポーターは逃げ場をなくして非常に危険な状況になったのだ。
 このスタジアムのゴール裏スタンドは、両脇に狭い出口があるだけ。サポーター同士の衝突だけでなく、何か事件や事故が起こったときには非常に危険だと、私は指摘し続けてきたが、まったく改善されていない。放置したJリーグの責任も重い。
 そうした前提に立って、ここでは名古屋サポーターの当夜の行動について話したい。
 事件が起きた4月23日、私は柏サッカー場にいた。レイソルは非常によく戦ったが、不運な失点をはね返すことができず、0−2で敗れた。今季ホームでまだ勝利なし。下位からなかなか抜け出すことができない。柏のサポーターたちがやりきれない思いを抱きながら試合終了を迎えたのは、当然のことだった。
 しかし事件の直接の原因をつくったのは試合後の名古屋サポーターの行動だった。終了後、選手たちがやってきてあいさつをする。そこで大歓声を上げ、健闘をたたえるのは当然のことだ。しかし名古屋のサポーターは、選手が更衣室に引き揚げた後にも、反対側の柏サポーターを挑発するように、さらに声を高くして歌い始めたのだ。
 グランパスも非常によく戦い、その奮闘にふさわしい勝利を収めた。それを喜ぶのはいい。しかし名古屋のサポーターたちは、ここで柏のファン、サポーターの人びとの心情を思うべきだった。名古屋のサポーターにも、やりきれない思いを抱いてホームスタジアムを去らなければならなかった思い出は、遠くない過去にいくらもあるはずだ。それを思い起こすべきだった。
 サッカーは戦争ではない。激しくゴールを争う両チームは、結局のところ、同じひとつの試合をする仲間である。サポーター同士も同じだ。いっしょに試合を盛り上げる仲間ではないか。その感覚があれば、相手への思いやりは自然に出てくるはずだ。
 Jリーグがスタートした93年の第1ステージ、浦和とのアウェーゲームで優勝を決めた鹿島は、最下位に沈む浦和のファン、サポーターの心情を思い、その場では監督胴上げなどの派手な行為を一切しなかった。その心遣いを知った浦和のサポーターは、ピッチを去っていく鹿島の選手たちに盛大な拍手を送った。サッカースタジアムにも、当事者の心がけ次第で、立派に「思いやり」は成立する。
 挑発されたからといって、暴力が正当化されるわけではない。しかしこの事件のきっかけをつくったのが名古屋サポーターの心ない行動、あるいは、思いやりの気持ちを忘れた「喜びすぎ」だったことは、きちんと理解されなければならない。
 
(2005年4月27日)

No.553 フェアプレーの約束

 「2ステージ制」が廃止され、全34節になった今季のJリーグ。小さな変化は、出場停止になる累積警告の数だ。これまでの3回から、今季は4回の警告で1試合出場停止になった。名古屋のDF古賀が、第5節まで4試合連続で警告を受け、先週末の第6節、出場停止になった。本人にとってはうれしくないだろうが、記念すべき第1号である。
 今季第1節は前途多難を思わせた。浦和×鹿島では汚いやり合いがあり、浦和のDFアルパイが鹿島FW鈴木のあごをつかんで退場になった。横浜FM×磐田では、磐田MF福西の手に当たったボールが決勝点になり、日本サッカー協会審判委員会がわざわざ「誤審ではない」と発表して物議をかもし出した。
 しかしその後は大きな事件もなく、今季のJリーグは概してきれいな印象がある。出されたカードの数を調べると、第6節、54試合が終了した時点で、イエローカードは213枚(1試合平均3・94枚)、レッドカードは5枚(同0・09枚)。いずれも昨シーズンの記録(イエロー4・26枚、レッド0・31枚)を下回っている。
 6試合でわずか5枚しかイエローカードを受けていないのがF東京だ。偶然ではなく、カードを減らそうという努力の結果に違いない。長いシーズン、最後には、この努力が大きな力にもなるはずだ。
 リーグ全体のデータを見ると、レフェリーに対する異議で出されたカードがわずか11枚、10試合に1枚というのは特筆に価する。千葉、F東京、東京V、横浜FM、清水、磐田、名古屋、G大阪、広島、大分の10チームは、異議によるカードが1枚もない。「自分のプレーに集中する」というチーム姿勢の表れだろう。
 フェアプレーが浸透してきたJリーグ。ただひとつ残念なのは、それが強くアピールされていないことだ。
 選手入場のとき6人の手にもたれて先頭を切って出てくるのが黄色いフェアプレー旗だ。メインスタンドから見ると、この旗を背負って両チームが整列する形になる。国際サッカー連盟の大会で始まったこの儀式、いまではあまりに日常的に行われているため形骸化し、その意味も忘れられているが、これは両チームがファンに向かって「フェアプレーで戦います」という約束を形にしたものなのだ。
 フェアプレーとは何か、短い言葉で説明するのは難しい。しかしJリーグが始まって13シーズン、いろいろな事件があり、議論のなかでイメージが固まりつつある。「ルールを尊重し、相手を尊重し、レフェリーを尊重する。そして勝利のために全力で戦う」。Jリーグや日本サッカー協会の努力により、そうした骨子が理解されてきている。
 ならば、実際にどのように行動し、プレーするのがフェアなのか----多くの人が注目するJリーグほど、それをアピールできる場はない。もしJリーグ選手たちからの働きかけが日本全国のファンや少年少女のフェアプレー理解の助けになるなら、長期的に見れば、ワールドカップ出場以上の価値がある。
 たとえば、「フェアプレーの約束」のようなチラシをつくり、各チームが試合ごとに全観客に配布してはどうか。「レフェリーの決定に従います」のような項目をいくつか書き、そこに全選手がサインしたものを用意するのに、そう大きな出費はかからないだろう。全選手のサインがあれば、ファンは大事にもって帰り、家に飾ってくれる人もいるだろう。それは、ファンに対する選手たちからの「約束」であると同時に、ファン、なかでも少年少女にフェアプレーを教える働きをする。
 ことしのJリーグがフェアになっていることを強くアピールするとともに、さらに積極的な働きかけを期待したい。
 
(2005年4月20日)

No.552 ユース代表に注目

 0-0のまま終了かと思われた試合は、後半40分、「ホーム必勝」を期すFC東京の執拗な攻めが実を結び、MF栗澤が決勝ゴールを挙げた。アシストはMF今野。その今野を突破させる絶妙のパスを送ったのが、後半22分から交代で出場したMF梶山陽平だった。
 1985年9月24日生まれの梶山はU-20日本代表の攻撃のリーダー。昨年秋のワールドユース・アジア予選でも活躍を期待されていたが、夏に負傷し、欠場を余儀なくされた。梶山を失ったU-20日本代表は、苦戦続きだったものの、見事に6大会連続のワールドユース出場を決めた。
 その名のとおり20歳以下の選手による世界選手権であるワールドユースは、日本にとって非常に重要な大会だ。国際サッカー連盟主催の年齢別世界選手権にはこの下の年代の「U-17」もあるが、日本では中学から高校への進学期で強化が難しい。プロになって1、2年目で迎えるワールドユースは、選手たちにとって本格的な世界への挑戦の、絶好の第一歩なのだ。

 2年にいちど、奇数年に開催されるワールドユース。第15回となることしの大会は、6月10日から7月2日にかけてオランダで開催される。日本は地元オランダ、アフリカのベナン、そしてオセアニアの強豪オーストラリアとA組にはいり、開幕日に開催国オランダと戦う。
 2003年にUAEで開催された大会でベスト8進出の好成績を挙げた大熊清監督が引き続き指揮をとる現在のU-20日本代表は、昨年10月にマレーシアで開催されたアジア予選のときにはひ弱な感じのするチームだった。高校生で2003年大会に出場、昨年のアテネ・オリンピックにも出場したFW平山相太以外は、国際舞台の経験がほとんどないだけでなく、国内でもトップクラスの試合経験が不足していたからだ。

 1次リーグは3連勝で突破したものの、準々決勝以降は3試合連続のPK戦。DF増嶋竜也(F東京)を中心にした守備は粘りがあったが、攻撃の組み立てには苦労した。高い技術としっかりした戦術はもっているのだが、フィジカル面で劣り、ワールドユースでは苦戦は免れないだろう――。そう感じた。
 しかし今季のJリーグを見ていて、私はワールドユースへの期待がどんどんふくらんでくるのを感じている。F東京の梶山だけでなく、たくさんの選手がJリーグの舞台で活躍を始めたからだ。
 移籍などで主力の半数が抜けた千葉(市原)では、DF水本裕貴とMF水野晃樹がしっかりとレギュラーになり、チーム力アップに貢献している。G大阪ではMF家長昭博が左サイドに定着した。競争の激しい磐田の攻撃陣で、負傷者続出でチャンスを与えられたFWカレン・ロバートも、試合ごとに自信をつけ、本来の力を発揮し始めている。

 さらに、昨年のアジア予選時には選ばれなかったMF本田圭佑が、1月のU-20代表カタール遠征で大活躍し、加入したばかりの名古屋でも早くもチームを動かす司令塔の役割を果たしている。東京Ⅴの「怪物」FW森本貴幸(まだ16歳)も、ナビスコ杯で2ゴールを決めた。気がつくと、Jリーグの舞台でU-20代表選手たちが生き生きと躍動しているのだ。
 大熊監督は、こんどの日曜(17日)から選手を集め、4日間のミニ合宿を行う。しかし来週の後半には、選手たちを所属クラブに帰さなければならない。U-20代表の大半の選手が、Jリーグに出場するか、ベンチ入りを期待されているからだ。
 この年代では、Jリーグの1試合1試合が大きな成長の糧になる。Jリーグで彼らのプレーをチェックしながら、ワールドユースを楽しみに待ちたいと思う。
 
(2005年4月14日)

No.551 東京Ⅴと千葉、豊かになったJリーグ

 日曜日に味の素スタジアムに出かけた。Jリーグ第3節、東京ヴェルディ対ジェフ千葉市原の対戦だった。ともに今シーズンになって初めて見るチームだ。
 東京Ⅴは、アルディレス監督の指導が浸透して元日の天皇杯決勝で快勝し、久々のタイトルを手中にした。DF李康珍(韓国U-20代表)、MF小林大、相馬崇人、FW平本一樹らの若手が自信をつけ、今季新加入のブラジル代表FWワシントンの得点力が優勝争いへと引っ張ってくれるのではないかという期待のうちに新シーズンにはいった。
 一方の千葉は、クラブ名に千葉市の名前を入れ、ユニホームもこれまでの黄色と緑から、黄色と紺に一新した。ことし秋には千葉市に新しいスタジアムが完成する。心機一転、大きな飛躍を期す年である。にもかかわらず、日本代表DFの茶野、代表にあと一歩といわれる左サイドのMF村井が磐田に移籍し、外国人選手も総入れ替えになって、不安の残る開幕だった。

 東京Ⅴは、天皇杯で見せたポジティブなサッカーに磨きがかかり、生き生きとしたサッカーを見せた。左ウイングバックの相馬の攻撃力を生かすためにインサイドMFの平野が的確に、そして献身的に動いた。
 平野は、98年ワールドカップに出場したベテランである。ワールドカップ当時は名古屋の所属だった。その後、京都、磐田、神戸と渡り歩いたが、能力を発揮しきれず、2003年に東京Ⅴにやってきた。アルディレス監督は彼を辛抱強く使い、見事に復活させた。
 平野の特徴は、左サイドで鋭く縦に抜けて入れる正確なクロスにある。その役割の主役を若い相馬に譲りつつ、相馬の動いた穴をカバーし、チャンスと見れば自ら得意の左サイドに出て果敢な突破を見せる。開始早々2点をリードされた東京Ⅴが前半のうちに同点にすることができたのは、左サイドを有効に使うことができたからだ。

 東京Ⅴの良さは予想できたが、千葉がこんなに良くなっているとは思わなかった。抜けた外国人選手の穴は、オーストリア、ルーマニア、ブルガリアの代表クラスを補強して埋めたが、左からの攻め上がりでこのチームの攻撃を特徴づけてきた村井の穴は埋めがたいだろうと思っていた。
 しかし昨年まで右ウイングバックでプレーしていた坂本が左に回り、村井とは違ったスタイルながら、それ以上に効果的な動きを見せていたのには驚いた。前半1分、FKをすばやくFWハースにつなぎ、間髪を入れずにサポートして左サイドを突破、FW巻の先制点を演出したのは坂本だった。
 茶野が抜けたDFには水本、坂本が左に回った右サイドには水野の、19歳コンビがはいって見事なプレーを見せた。ふたりとも、6月にオランダで行われるワールドユース選手権での活躍を期待されている伸び盛りの選手だ。

 新外国人のFWハース、DFストヤノフはすでにチームにしっかり溶け込んで中心的な役割を担っている。しかしそれだけでは千葉は戦力を落としていただろう。今季の千葉が昨年にも増して良くなったのは、DF斉藤、MF阿部、佐藤、羽生、FW巻などの選手たちが、例外なく昨年より何パーセントか力を伸ばし、自信をつけ、動きを増やしているからにほかならない。
 それが「チームをつくる」ということなのだろう。オシム監督の手腕に、改めて感心させられた。
 勝敗をめぐって胃が痛くなるようなワールドカップ予選を見た水曜日の週末に、気が晴れ晴れとするような積極的な攻め合いの美しいサッカーを見せてもらえた。日本のサッカーも豊かになったのだとつくづく感じた日曜日。試合は2-2の引き分けだった。
 
(2005年4月6日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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