サッカーの話をしよう

No.981 第3GKの誇り

 フランス1部バスティアのゴールキーパー(GK)ミカエル・ランドロー(35)はフランス代表としてブラジルに行く。しかし彼がピッチに立つことは99%ない。「第3GK」だからだ。
 国際サッカー連盟(FIFA)のウェブ週刊誌に掲載されたインタビューによると、彼は2012年8月にデシャン監督が就任したときに「第3GK」に指名され、以後その地位にあるという。
 フランス代表デビューは02年。11試合の出場歴があるが、07年を最後に出場がない。すなわちデシャン監督の下では、彼は「第3GK」という役割に徹してきたことになる。
 ワールドカップ出場32チームはそれぞれ3人のGKを登録しなければならない。だが実際に使うのは、大半のチームが1人だけだ。
 2010年南アフリカ大会では2人を使ったのはわずか5チーム。27チームがGK1人で全試合を戦った。「第3GK」が出場した例は過去3大会では皆無だ。
 「ときにフラストレーションを感じるときがあるだろうが、いつでも国のために戦う準備ができていなければならない」と、ランドローは「第3GKの心得」を語る。
 「自分のほうが良い選手だと思っても、どんな決定でも受け入れる努力をしなければならない。代表チームにいるのは、祖国に奉仕するためなのだから」
 選ばれ続けてきた第一の理由はもちろんGKとしての実力だ。身長184センチ。現代のGKとしては「中背」だが、どんな状況でも相手のシュートの瞬間には両足に均等に体重を乗せている高い技術で驚異的な反応を誇る。
 だが同時に、ランドローの人格への全幅の信頼があったのは間違いない。試合に出られないことが続いてもトレーニングで全力を尽くし、前向きの精神を失わない彼に、デシャン監督は尊敬の念さえ抱いているだろう。
 川島永嗣と西川周作の間で「第1GK」の座が競われると見られる今回の日本代表。権田修一は第3GKということになる。ザッケローニ監督は就任以来一貫して権田を選んできたが出場は昨年の東アジアカップ1試合。だがそこにこそ、25歳になったばかりの権田にかけるザッケローニ監督の期待がある。
 今回は出番はなくても、第3GKの役割を全うすることで自らピッチに立つ将来のワールドカップへの財産になるに違いない。
 ランドローは今季で現役を引退する。ブラジルでの第3GKが、彼のサッカー選手としての最後の仕事だ。

(2014年5月28日) 

No.980 フェアではないフェアプレー

 J2ファジアーノ岡山を率いて5シーズン目になる影山雅永監督は、誰かが倒れても、選手が自らボールを出す「フェアプレー行為」を禁じている。

 「カウンターアタックに行かなければならない場面でプレーを止めたことがあった。うちの選手には勝負への執着心が足りない」
 5月17日のJリーグ第14節。浦和に0-1で敗れた試合後の記者会見で、C大阪のランコ・ポポヴィッチ監督があきれ顔で語った。
 まだ0-0だった後半なかば、相手陣に攻め込んだ浦和のMF宇賀神が相手と衝突して倒れた。ボールを奪ったC大阪は右タッチライン沿いにFW柿谷に送る。カウンターのチャンスだ。ところが柿谷は宇賀神が倒れたままなのを見てスピードを落とし、ボールをタッチラインの外に出してしまったのだ。
 サッカーは接触プレーのある競技。倒れて動けない選手がいたら主審の笛を待たずに選手が自主的にボールを外に出してプレーを止め、治療や診断に当たらせる―。試合相手は「敵」ではなくサッカーを楽しむ「仲間」。フェアプレー精神の表れとして、世界に広まっている行為だ。
 しかし最近のJリーグでは、状況や危険度を考えず、倒れたままなら自動的に外に出すケースが頻繁にある。出さなければならないという空気があるのも気になるところだ。
 何よりも、倒れて起き上がらない選手が多すぎる。骨折など重大な負傷ならともかく、痛いだけであることがわかっているのに寝転んだまま立たない選手はプロ失格だ。それ以前にサッカー選手としての適性に欠ける。
 プレーを止めなければならないのは、頭の強打など重大な負傷の恐れがある場合だ。また倒れたままの選手がゴール前にいてそこにボールが放り込まれるなどの状況なら、選手が自らボールを外に出すのが「仲間」としてふさわしい態度だ。
 だが浦和対C大阪戦のケースでは、宇賀神は自らの無理なプレーで倒れ、悪くても足の打撲か捻挫だった。しかも柿谷がボールを受けたのは浦和陣に10メートル以上もはいった地点。そこから攻撃しても、宇賀神には何の危険もなかった。急に止まってボールを出したのには、あぜんとした。
 ワールドカップではフェアプレーを貫いてほしい。だがボールを出すべき状況とそうでないところは決然と分けなければならない。原則は、影山監督が言うとおり、主審のプレーが吹かれるまでプレーを続けることだ。

(2014年5月21日) 

No.979 ザッケローニの『夢』

 「私が夢を見るのは寝ているときだけ。監督として目の前にあることをしっかりと把握するよう努めている」
 ワールドカップ日本代表チーム発表の記者会見で、アルベルト・ザッケローニ監督(61)はこんな話をした。一瞬でも気を抜いたりあいまいにすることを許されないプロのサッカー監督としての自負が感じられる言葉だ。
 しかし歴代の日本代表監督のなかでも、彼ほどのロマンチストはいないのではないか。選ばれた23人のメンバーを見ながら、そんな思いを抱いた。
 メンバー選考には、監督の考え方が最も顕著に出る。失点を防ぐことから考える人、攻撃をつくることに主眼を置く人...。ザッケローニ監督に聞けば「どちらでもだめ。バランスが大事」と答えるだろうが、間違いないのは、今回の23人がサッカーを「つくる」ためのチームであり、「こわす」ためではないということだ。
 ボランチには、ずっと選ばれてきた細貝萌(ヘルタ・ベルリン)ではなく青山敏弘(広島)を選んだ。2年以上も選ばなかったFW大久保嘉人(川崎)をチームに加えた。DF8人、MF4人、FW8人というバランスは、まさに「攻撃の手を休めないぞ」というメッセージそのものではないか。
 ザッケローニ監督は就任当初から日本選手たちの攻撃的な才能を認め、それを最大限に生かすことが日本のサッカーを成長させる力になると考えてきた。アルゼンチンと対戦した彼の日本初戦でも、メッシなど相手の名前を恐れずに攻めることを求め、1-0の勝利をつかんだ。昨年アウェーで戦ったベルギー戦でも、攻撃し続けることで勝利に導いた。
 それは、彼の祖国イタリアと違い、守ろうとしても守りきる力はないとの判断の裏返しでもある。守りに回らず攻め続けるところにこそ勝機が訪れる...。結果としてロマンチストにならざるをえなかったのかもしれない。だがおかげで、日本代表を見る喜びはこの4年で大きくなった。
 「チームに成績のノルマを課することはしない。相手を気にするより、自分たちのサッカーに集中して、勝利に近づきたい」
 ザッケローニ監督と23人の選手たちは、4年間で積み上げたパスをつなぎながら集団で攻め崩すサッカーを引っ提げて「ブラジル」に臨み、上位進出を目指す。それが可能かどうか、いまやすべてはコンディションづくりにかかっている。私たちもその夢を共有し、応援していきたい。

(2014年5月14日) 

No.979-1 ダニ・アウベスの衝撃(未掲載)

 ブラジル人ダニエウ・アウベス・ダ・シウバは、きのう5月6日に31歳になった。職業はサッカー選手。スペインのバルセロナに所属し、通称「ダニ・アウベス」。ポジションは右サイドバックだ。
 ブラジル代表72試合は平凡な選手の記録ではない。といってペレやマラドーナといった歴史的な名選手でもない。だがダニ・アウベスの名は、もしかすると、サッカー史のなかで大きく輝く存在になるかもしれない。
 4月27日のスペインリーグ、アウェーのビジャレアル戦で、投げ込まれたバナナを拾って皮をむき、ひと口ほおばって平然とCKをけった姿は、世界中に衝撃を与えた。
 猿の鳴きまねやバナナの投げ込みなどの人種差別行為は、10年以上前から欧州のスタジアムで繰り返されてきた。欧州社会の急激な国際化により、人種間のあつれきが大きくなった結果だった。
 ブラジル北東部のバイア州で生まれ、サルバドールのエスポルチ・クラブでプロになったダニ・アウベスは、2003年、19歳のときにスペインのセビージャに移籍、08年には名門バルセロナの一員となった。その間、たびたび差別行為に悩まされてきたという。
 06年にバルセロナのFWエトオ(カメルーン代表)が試合中に観客から受けた差別行為に怒り、自らピッチを去ろうとして大きな事件になった。国際サッカー連盟(FIFA)が差別行為の懲罰規定を大幅に変え、重くしたのは、この事件がきっかけだった。
 だが、応援するクラブが無観客試合や勝ち点剝奪といった重大な懲罰を科されても、差別行為は一向になくならない。問題の根源が社会にある以上、サッカー側の対処だけでは根絶は難しい。
 そんななかで起こった今回のバナナ事件。ダニ・アウベスの毅然(きぜん)とした態度は、差別行為をする側に大きな衝撃を与えたはずだ。
 「投げた人は大恥をかいたに違いない」とダニ・アウベス。
 衝撃はそれに止まらない。世界中でたくさんの選手がバナナを食べる写真を流し、ダニ・アウベスへのサポートを表明している。
 激怒しても、撲滅運動でも、罰しても、根を絶つことができなかった差別行為。しかしもしかしたら、バナナを食べるという簡単な行為が「コロンブスの卵」のように流れを大きく変える力になるかもしれない。そして、「ダニ・アウベス」の名がサッカー史にペレやマラドーナより大きく記されることになるかもしれない。

(2014年5月7日 未掲載) 

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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