
東京に新しい「サッカー名所」ができた。「日本サッカーミュージアム」。愛称を「11+(イレブン・プラス)」という。東京駅から中央線で2駅、わずか5分ばかりのJR御茶ノ水駅からゆっくりと歩いて10分、昨年9月から日本サッカー協会がはいっているビルのなかにある。月曜日以外は、毎日開いている。
1階、地下1階、地下2階の3フロアを使ったミュージアムは、昨年12月にオープンした。まだ1カ月もたたないのに、すでに1万数千人の入場者を記録している。冬休みには、家族連れの入場者が目立ったという。
1階エントランスホール正面には「世界の壁」と名づけられた白い壁がある。よく見ると、実物大のゴールポストが立てられ、これまでの日本サッカーの重要な得点がゴールのどのへんに決まったか、ボールの絵が貼られ、得点者、試合が示されている。私には、85年ワールドカップ予選で木村和司のFKが決めたポイントが印象的だった。
この1階と、すぐ下の地下1階が無料ゾーン。地下1階には、2002年ワールドカップまでの招致活動や大会準備の足跡を示した展示があり、日本代表のユニホームなどを扱うショップもある。無料ゾーンだけでも十分楽しめる。
しかしワールドカップチケットを模した入場券(大人500円、小中学生300円)を買って地下2階に下ると、そこには夢のような世界が展開されている。
日本サッカーの歴史を展示する部屋には、豊富な写真、カップ、メダルなどとともに、貴重な映像が常時流されており、見飽きない。「トレーニングサイト」と名づけられた部屋では、大型映像装置で有名選手の技術を解析、CGとビデオを同時に見ることで戦術理解を深める装置もある。
そしてここからこのミュージアムの白眉となる。「ロッカールーム」、「11+」と名づけられた部屋が続く。ワールドカップのロシア戦で使用した横浜国際総合競技場のロッカールームを忠実に再現、代表選手たちのユニホームやシューズが展示されている。
「11+」の部屋には、日本代表のユニホームを着た11人の選手が円陣を組んだ像が置いてある。周囲の壁はサポーターの写真だ。円陣でただ一カ所空いたポジションに見学者がはいり、隣の選手と肩を組むと...。代表選手たちは、毎試合こんな体験をしているのかと、少しわかる気がする楽しいアトラクションだ。
まだいくつもの展示があるが、私が印象深かったのは、「フェアプレー」と名づけられた部屋だ。選手入場のときに使われる巨大なフェアプレー旗が天井に広がり、日本のサッカーがこれまでに獲得してきた数多くのフェアプレー賞のトロフィー、ディプロマ(賞状)が展示されている。もちろん2002年に国際サッカー連盟(FIFA)から贈られた「日本のサッカー・コミュニティ」に対するFIFAフェアプレー賞もある。
「日本のサッカーには、優勝カップは少ないけれど、フェアプレー賞はたくさんあるんです」と、小野沢洋ミュージアム事務局長は話すが、優勝カップなんて、これからいくつでも取ることができる。それ以上に、優勝カップが取れない時代にも、日本がサッカーの精神を体現して正々堂々とプレーしてきたことは大きな誇りだと思う。
小さなバッジやトロフィー、貴重なユニホーム類など地味な展示にも、先人たちの情熱の跡が感じられ、じっくり見ていたら、あっという間に1日が過ぎてしまいそうだ。
私自身、これらの展示から触発されるものが多かった。チャンスがあったら、小さな展示物のひとつひとつを取り上げ、その背後にある選手や指導者たちの情熱や苦闘を掘り下げてみたいと思った。
(2004年1月21日)
ことしの高校サッカー選手権は、個性的なアタッカーがそろっていて楽しかった。しかし準々決勝あたりからは、国見のFW平山相太に話題を独占された感があった。
平山は昨年12月にアラブ首長国連邦(UAE)で開催されたワールドユース選手権で日本のベスト8進出に大きく貢献した。その疲労を引きずっての高校選手権だったに違いない。しかし大会が進むにつれ、大事なところで貴重な得点を挙げ、国見に2年ぶり6回目の優勝をもたらした。
平山ほどの才能をもった若いストライカーを見るのは、何年ぶりのことだろうか。2年連続の得点王や、大会通算得点の記録更新のことではない。190センチの長身を生かしたヘディングだけでもない。技術もスピードも左右両足のシュート力も魅力だが、何より「この選手は特別だ」と思わせるのは、最も大事な瞬間、ゴール前でボールを受けるときの冷静さだ。
「ゴール前」というのは、特別な場所だ。相手守備陣は必死に食らいついてくる。好パスがきても、ストライカーに与えられる時間は本当に一瞬しかない。その一瞬を逃せば、シュートを放つことさえできない。「しめた!」と思って少しでも力がはいれば、チャンスは虹のように消える。
剣術の極意をたずねられた宮本武蔵が、畳のへりをさっと歩いて見せたという話がある。質問をした者は笑ったが、武蔵は「この『へり』の幅の橋がいかに深い谷にかかっていても平然と渡るのが剣術の極意」と答えたという。
ゴール前とは、深い谷にかかる細いつり橋のようなものだ。シュートを決めるための技術なら誰にもある。しかしそこで冷静でいられる者、100パーセントの集中力を発揮できる者は、数多くのサッカー選手のなかでもひと握りしかいない。それがストライカーの「才能」というものだ。平山には、たしかにそれがある。
平山は筑波大学への進学が決まっているが、アテネ・オリンピックを目指すU−23日本代表の候補にも選出されている。もしかすると、2006年ワールドカップの日本の切り札になるのではないかと、期待が広がる。
しかし国見の小嶺忠敏総監督は、「高木琢也、大久保嘉人など国見OBの日本代表ストライカーと比べると、平山はずっと筋力が落ちる。じっくり育ててほしい」と語る。私は、日本サッカー協会が「平山育成プロジェクト」を立ち上げるべきだと考える。
選手を年代別の代表チームに選んで訓練し、国際経験を積ませるのが、これまでの日本協会の「強化育成」のすべてだった。しかし平山の場合には、協会が総力を挙げた支援態勢を築くべきだ。
小嶺総監督が懸念するフィジカル能力のアップを、科学的に、そして計画的に進める必要がある。細かな筋肉にいたるまで詳細にチェックし、強化プログラムを組み、トレーニングをサポートする。ランニングの矯正指導も必要かもしれない。そしてメンタル面でも、適切なアドバイザーをつけ、世界のトップ・プレーヤーになるための準備をさせなければならない。
最大の課題は栄養管理だ。筑波大学とプロのクラブの環境を比べて、最も違うのはこの面ではないか。一流のトレーニングだけでは一流のアスリートは育たない。体をつくるためのしっかりとした栄養管理が必要だ。日本協会は、食費補助も含め、しっかり関与する必要がある。
「平山プロジェクト」の恩恵を受けるのは、平山ひとりにとどまらない。このプロジェクトから得られるデータや経験は、次代の選手育成強化にも役立つはずだ。そして世界的なストライカーに成長した平山が日本代表をワールドカップ上位進出に導いてくれれば、言うことはない。
(2004年1月14日)
「美しい」と思った。
元日に行われた天皇杯全日本選手権の決勝、セレッソ大阪対ジュビロ磐田で見せた磐田FW中山雅史のプレーだ。
67年9月23日生まれ、36歳。故障から回復したばかりの中山は、後半22分にピッチに送り込まれた。スコアは0−0。流れは完全にC大阪にあった。ところが中山はすべてを変えてしまう。
最初のボールタッチはヘディングだった。ゴール前で落としたボールがグラウに渡り、そこから前田のヘディングシュートが生まれた。以後、中山がボールに触るたびに、磐田にチャンスが訪れた。オーバーヘッドキックのシュートもあった。4回目のタッチでは、逆に、ゴールに飛びかけていた味方のシュートを体でブロックしてしまった。
そして6回目のボールタッチ、右サイドに流れながらロングパスを受けたところから、磐田の決勝ゴールが生まれる。ピッチに立ってからちょうど4分後の出来事だった。
「中山が出場したからムードが変わった」などと言ったら、彼はきっと不本意だろう。そんなあやふやなものではない。的確なポジショニング、ゴール前でボールから離れながらマーカーの視野から消える頭脳的な動き、そしてスペースに走り込み、同時に味方のためにスペースをつくる戦術的なランニング。それは、「名人芸」と言っていいほどの熟練したプレーだった。サッカーというスポーツのなかで無秩序から秩序をつくり出すプレーを「美しい」と感じるのは、当然のことだ。
その秘密はどこにあるのだろう。もちろん、人一倍の努力、工夫、飽くことのない向上心が大きな支えになっているに違いない。しかしそれだけでは、このプレーは説明できない。彼が積み重ねてきた「経験」こそ、最大の力になっているのではないか。
サッカー選手にとって「時間」ほど残酷なものはない。技術面、肉体面でピークを迎えるのは20代の前半だ。しかしこのころはまだ経験が足りず、精神的にも十分な成熟を迎えていない。経験を積み、精神的にも熟するのは、30歳に近づくころだ。そこからは時間との戦いとなる。肉体面の下降を食い止めるためにあらゆる努力を払い、経験を積んでプレーの質を高めていく。そうやってサッカーというスポーツの「真実」に近づいた者だけに可能になるのが、天皇杯決勝の中山のようなプレーなのだろう。
この決勝では、もうひとり、中山の域に近づきつつある選手がいた。C大阪のMF森島寛晃だ。72年4月30日生まれ、31歳。キックオフから磐田を圧倒したC大阪の攻撃を、森島は惜しむことのない献身的な動きでリードした。守備に回ってもまったく手を抜かず、攻撃になるとふたりのFWを追い越して相手ゴール前に出て行く動き、その純粋な情熱は、感動的でさえあった。
試合前に最も注目されていたのは、C大阪の日本代表FW、21歳の大久保嘉人だっただろう。彼は何度も豊かな才能を発揮してスタンドを沸かせ、チャンスをつくった。しかしその才能と情熱も、無秩序から秩序をつくり出すという面で中山に及ばず、情熱の純粋さにおいて森島の比ではなかった。
大久保を批判しているのではない。彼には中山や森島のような経験もなく、精神的にも発展途上なのだから、当然のことなのだ。
天皇杯決勝が見応えのある試合になったのは、大久保のような若い才能の活躍だけでなく、中山や森島のような経験豊富な選手たちが、その経験をチームの勝利のためにフルに使い切っていたからだ。
若さは美しい。しかし経験を力として生かし切っている選手たちのプレーの美しさには、遠く及ばない。
(2004年1月7日)
トヨタカップの表彰式でプレゼンターになった日本サッカー協会の小倉純二副会長(国際サッカー連盟=FIFA=理事)が、イタリアのACミランの選手たちの態度に感心したという話を聞いた。
120分間を1−1で終え、PK戦でボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に敗れたミラン。しかし表彰台の上で、選手たちは実に堂々としていた。そして小倉副会長が準優勝のメダルを首にかけると、例外なく、しっかりと目を見て握手し、笑みを浮かべて「サンキュー」と言った。その堂々とした態度に、小倉副会長は強い感銘を覚えたという。
カップ戦の表彰式では、まず準優勝チームにメダルを与え、次いで優勝チームにメダルとカップの授与を行う。しかし日本では、準優勝、すなわち決勝戦で敗れたチームの選手たちは、ほとんど仏頂面だという。選手たちの首にメダルをかける役員たちが途中でやめたくなるほど、選手たちの態度は良くないらしい。小倉副会長も常にそうした経験をしているから、ミランの選手たちの態度に強い印象をもったのだろう。
「負けは恥」という観念が、日本の社会にあるように思う。だから、「自分は恥じている」と示すために、グラウンドに突っ伏したり、仏頂面で表彰式に臨むことになる。
タイトルを目前で手中にしそこなった悔しさ、そしてまた、一生懸命に応援してくれたファンに申し訳ないという思いもあるだろう。しかし何よりも、敗者は恥じ入るべきだという社会通念のなかでの態度・行動のように思う。
本当に「負けは恥」なのだろうか。スポーツとは、そんなものではないはずだ。2チームが戦うサッカーのような競技では、必ず一方のチーム、すなわち競技参加者の半数が敗者となる。順位を争うレースなどの競技では、首位以外は全員が敗者とも言える。勝負をするのだから、その結果として勝者と敗者が出るのは、当然のことだ。
そして、勝敗は、往々にして女神の気まぐれで決まる。競技者にできるのは、勝利を目指して最善を尽くすこと、自分のもっているすべてを出し尽くすことにすぎない。それができたなら、誇りをもって結果を受け入れることができるはずだ。
私は、日本の選手たちは、「自尊心」という言葉をよくかみしめる必要があると思う。好ましくないイメージで使われることもあるが、私は、「自分自身に価値を認め、大切にする」という意味で使いたい。和英辞典を引くと、「pride」という言葉のほかに、「self-respect」という表現もある。「自分自身に敬意を払う」というニュアンスが私の使う意味に近く、好きだ。
負ければ、当然、悔いが残る。なぜあんなミスをしたのかと、自責の念にかられる。しかしそれでも、「自分はできる限りのことをした」という思いで試合を終えてほしい。それが「自尊心」の根源的な力になる。そうした思いがあれば、自ずと試合後の態度も変わってくる。
負けても、その結果を堂々と受け入れることができるだろう。相手チームに対して、卑屈な気持ちにならずに祝福の言葉を贈ることができるだろう。そして、準優勝のメダルをもらいながら、「ありがとうございます」と、しっかりとした握手とともに笑顔で言うことができるだろう。
自尊心は、敗戦の悔しさを忘れてしまうことではない。ミランの選手たちは、ホテルに帰るバスに乗ったとたん寡黙になったに違いない。それぞれに試合を思い起こしながら、決め切れなかったチャンスや守り切れなかったゴールを考え続けていたはずだ。
天皇杯や高校サッカーの季節になった。その会場で、自尊心をもった敗者たちを見たいと思う。
(2003年12月24日)
ボカ・ジュニアーズの見事な健闘で見応えがあったトヨタカップ。しかし同時に、レフェリングに違和感が残る試合でもあった。
トヨタカップは、ずっと世界の超一流レフェリーが主審を務めてきた。ヨーロッパと南米の対戦なので、公平を期して、1年おきにヨーロッパと南米から主審が出る。
今回、ACミランとボカ・ジュニアーズの対戦を担当した主審はロシアのワレンチン・イワノフ氏。ワールドカップ出場こそないが、ことし6月にフランスで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップで決勝戦の主審を任された実力派だ。ちなみに、副審のゲンナジー・クラシュク氏(ロシア)、ユーリー・ドゥパナウ氏(ベラルーシ)も、同大会決勝戦でイワノフ氏の副審を務めた。いわば、「2003年の世界最強トリオ」といった審判チームだった。
私の「違和感」は、おそらく、Jリーグを見ているファンなら、誰でも多少は感じたのではないか。「遅延行為(時間かせぎ)」の横行だ。
主審が笛を吹いて反則があったことを示す。すると多くの場面で、反則をした側の選手はボールを遠くにけってしまう。あるいはボールのすぐ前に立ち、味方の守備組織ができる時間を稼ぐ。ミランもボカも、当然のようにそうした行為を繰り返した。しかしイワノフ主審は、ほとんどの場合、注意も与えなかった。
国際サッカー連盟(FIFA)は、昨年のワールドカップ以来、主審に対して、こうした行為に厳然とイエローカード(警告)で対処するよう要求してきた。Jリーグ審判員の指導にあたっているレスリー・モットラム氏は、今季半ばに「遅延行為に対して甘すぎる」と審判たちに厳しく注意し、以後、Jリーグではほんのわずかな遅延行為にもイエローカードが出されるようになった。
その判定基準に対して、「厳しすぎる」との批判がある。しかしこうした遅延行為は断じてサッカーのプレーの一部ではない。勢い余ってしてしまう類の反則ではない。不当な手段で試合を有利にしようという卑劣な行為であり、試合への興味をそぎ、サッカーの魅力を殺す行為だ。そして同時に、選手たちの意識次第で、簡単になくすことのできる行為でもある。
この件に関して、私は、FIFAとモットラム氏の方針を全面的に支持する。
ところが、日本国内で世界レベルの試合を見ることができる年にいちどの機会であるトヨタカップで、超一流主審が堂々と遅延行為を見過ごしてしまったのだ。それを見て、Jリーグのレフェリングが間違っているのではないか、あるいは、「世界基準」に則していないのではないかという疑問が出るのは当然だ。
今回、遅延行為に対してこのようなレフェリングが行われたことについて、日本サッカー協会の審判委員会、そしてモットラム氏は、「自分たちの基準は間違っていない」という明確な声明を出す必要がある。同時に、FIFA、そしてトヨタカップの当事者であるヨーロッパと南米の両サッカー連盟に対し、今回のレフェリングと選手たちの行為に対し、厳重な抗議をしなければならない。
もしこの試合をこのまま見過ごすなら、それは、「自分たちは間違っていた。今後は、笛の後に少しぐらいボールをけっても、フリーキックの位置から離れなくても、大目に見ることにする」と認めるのと同じことだ。
遅延行為は本当に醜い。「サッカーの常識」に毒された人びとには想像もできないかもしれないが、それは、サッカーの自殺行為に等しい。この件に関しては、世界の現実に追随するのではなく、Jリーグの基準を世界に広げていく必要がある。
(2003年12月17日)