
先週土曜日のJ2大分対札幌戦で、札幌のエメルソンが後半にこの日2枚目のイエローカードを受けて退場になった。
2枚目のカードの理由は「反スポーツ的行為」だった。ゴール前のプレーで倒れたエメルソンの行為が、PKを取るために反則されたと装ったのだと、柴田正利主審は判定したのだ。
昨年のルール改正で、審判を欺いて利益を得ようとする行為にイエローカードを出すことが盛り込まれた。
「フィールド上のどこであっても、主審を欺くことを意図して反則されたように装う行為は、すべて反スポーツ的行為として罰せられる」(「決定6」)
こうした行為は、以前は「ダイビング」(飛び込み)、「チーティング」(だますこと)などと呼ばれていたが、英文ルールで「シミュレーティング・アクション」(装う行為)という表現が使われたことから、日本でも昨年から「シミュレーション」と呼ぶことにした。
98年ワールドカップの準決勝、フランス対クロアチア戦で、フランスのブランが退場処分になった。フランスのFKを待つゴール前で、ブランがユニホームをつかんだクロアチアのビリッチの胸を「離せ!」とばかりに小突いた。ビリッチはその「チャンス」を見逃さず、両手で顔を覆って大げさにひっくり返った。主審はブランがパンチを食らわしたと思い、副審と相談の上、レッドカードを出したのだ。
「ダイビング」とは、ドリブルしていた選手が相手がタックルにきた瞬間に足を引っかけられたように演技して前に飛び込む行為。ビリッチの行為は、それには当たらなかった。だから昨年のルール改正では「主審を欺くことを目的としたシミュレーティング・アクション」という表現が使われたのだ。
シミュレーションは、現代のサッカーがかかえる最も重大な問題のひとつだ。けっして新しい行為ではないが、近年、その頻度は高くなり、そして「演技」は高度になっている。
シミュレーションなのか、それとも本当にファウルがあったのか、見分けるのは簡単ではない。ハードタックルを受けるとき、選手は負傷を防ぐために自らジャンプして倒れ込むこともある。そうした「防衛本能」との判別も難しい。
「とにかくしっかり動いて、プレーをできるだけ近くから見るほかにありません」と語るのは、日本の審判の第一人者である岡田正義さんだ。
しかしビリッチのようなケースは、主審ひとりで対処できるものではない。副審や、ときには予備審判の助けも必要になる。だがこれにも限界がある。ビデオの使用は、別の問題があって現実的ではない。私は、選手たちに対する「抑止力」にするために、さらにルール改正が必要ではないかと考える。
昨年付け加えられた「決定6」では、「フィールド上のどこであっても」という文言が使われている。PK狙いのダイビングに限らず、ビリッチのような行為も警告するという、厳しい態度を示す意図だろう。
しかしもう一歩進めるべきではないか。PKを得るための、ペナルティーエリア内でのシミュレーションには、即刻レッドカードにすべきだと思うのだ。
GKがペナルティーエリアを出て手を使って守ると、「著しく不正なプレー」という理由で即座にレッドカードが出される。それならば、攻撃側がPKを得るためのシミュレーションも、「得点に直接関係する」という点で「著しく不正な行為」に当たると思うのだ。
シミュレーションは、けっして「マリシア」(悪賢さ)などではない。単なる卑劣な行為だ。サッカーというスポーツと、プレーヤー自身の価値をおとしめる愚行なのだ。
(2000年4月19日)
ヨーロッパではチャンピオンズ・リーグの準決勝に全大陸が沸き、南米ではワールドカップ予選が火ぶたを切った。しかし世界のサッカーはそうした「ビッグゲーム」だけで動いているわけではない。FIFAランキング159位。ヒマラヤの国ネパールからは、代表監督が勲章を受けた話が伝わってきた。
昨年の南アジア競技大会で銀メダルを獲得したネパール代表の英国人監督ステフェン・コンスタンチンに、去る3月24日、ビレンドラ国王が王宮で自ら勲章を与えたという。
「私などよりずっとネパール・サッカーの発展に尽くしてきた人がいる」。36歳の英国人監督は謙虚な男だった。
長い間、ネパールはアジアでも最も弱い国のひとつだった。代表チームは、過去5年間で2回しか勝ったことがなかった。日本とも何度も対戦したが、いずれも日本が大勝している。
しかしドイツ人のスピットラー監督の後を継いで昨年8月にコンスタンチン監督が就任すると、これまでのネパール協会の若手育成の努力が一気に実を結んだ。南アジア競技会でブータンを7−0で破り、次いでパキスタンにも3−1で快勝。インドには0−4で完敗したが、準決勝でモルジブを2−1で下し、見事決勝に進出した。
決勝戦、0−1とリードされたネパールが最後の攻撃を仕掛け、終了3分前にFWのハリが放ったシュートがゴールポストを叩いて真下に落ちた。ゴールにはいったと見たハリは観客席に向かって歓喜を表現した。ゴールは認められなかった。だが銀メダルは望外の成功だった。
準決勝、決勝は、首都カトマンズのナショナルスタジアムに超満員の2万人を集めた。スタジアムだけではなかった。約2000万の国民がナショナルチームに熱狂し、サッカーでひとつにまとまったのだ。
コンスタンチンは、祖国イングランドではまったく無名の存在だ。ロンドンで生まれ、ミルウォールとチェルシーのユースに在籍したが、プロのクラブとの契約にはいたらず、イングランドではセミプロの名門エンフィールドでプレーしたのが最高の経歴だった。彼はアメリカに新天地を求め、地方のクラブでサッカーをしながら生計をたてた。だが27歳のときにひざの故障で現役生活を断念、コーチで生きようと決心する。
しかし若い無名コーチが簡単に職を見つけられるものではない。ようやく彼が手に入れたのは、地中海の島国キプロスの下部リーグのコーチ職だった。
APEPというクラブの実質上の監督として2部で2位になったのが96年。だが正監督就任は拒否された。「その若さでは、主審に圧力をかけることはできない」という理由だった。
昨年8月、彼はネパールにやってきてナショナルチーム監督に就任した。高い技術をもち、素質も悪くないネパールの選手たちに、コンスタンチンは自信をもつように吹き込み、90分間戦い抜くチームに仕立て上げた。これが、南アジア競技会銀メダルにつながった。
しかしコンスタンチンが国民を熱狂させたのは、勝ったからだけではなかった。準決勝のときのひとつのパフォーマンス。彼は、ネパールの民族衣装で試合に臨んだのだ。
「あれは、どんな結果になろうと、私は選手たちの味方だということをアピールするためだったんだ」と、コンスタンチンは語る。それは選手たちの闘志を引き出し、さらにネパール国民に祖国や民族に対する誇りを思い起こさせることになった。
「サッカーを通じて幸せ」になった国ネパール。世界的な名声とはほど遠いところにいるひとりの英国人コーチの、心を込めた仕事が、サッカーを小さな「奇跡」の道具にしたのだった。
(2000年4月12日)
開幕から3連勝し、J2から昇格して1年目で台風の目となったFC東京。ピッチの上の11人とベンチの監督、交代選手の全員が心をひとつにして90分間戦い抜くこと、それがこのチームの最大の魅力であり、また力でもある。
93年、スタートとともにJリーグが人びとの心をつかんだのは、何よりも選手たちの一生懸命さからだった。だからルールも知らない人びとをスタジアムやテレビの前に引きつけたのだ。FC東京の快進撃は、Jリーグに「原点」に戻る重要性を訴えかけているように思う。
今季のFC東京は、Jリーグに新しいものももたらした。「ユーモアとウィットあふれるサポーター」だ。
開幕の横浜Fマリノス戦では、東京のサポーターたちは試合前に井原正巳選手の有名な応援歌を連発した。マリノスから戦力外通告を受け、ジュビロ磐田に移籍した選手だ。彼の放出については、マリノスのサポーターもクラブに大きな不満をもっていた。その井原選手の名前を連呼されたら、マリノス・サポーターはいたたまれない気分になったのではないか。
この試合、マリノスの選手が中盤で負傷し、ボールが外に出された場面があった。治療が終わり、スローインはFC東京。当然、マリノスに返す場面だ。
しかしサポーター席からはいっせいにこんな声が上がった。
「返すな! 返すな!」
しかしFC東京の選手はいったん味方に投げ、素直にマリノスに返した。間髪を入れず、東京のサポーターたちが叫んだ。
「クリーン東京!」
なんと気の利いた応援ではないか。世界中でサッカーを見てきたが、こんなにスマートに選手たちの気をよくさせる応援は見たことがない。
先週の土曜、柏の葉競技場での対レイソル戦では、先制点を許した東京のGK土肥洋一選手(昨年までレイソル)にレイソル・サポーターが「ミラクル・ヨーイチ!」という揶揄(やゆ)の声をあげた。東京サポーターは、土肥がファインセーブを見せると、即座に「ミラクル・ヨーイチ!」とたたえ上げた。
大応援幕には、「Sexy Football」とある。
「楽し都、恋の都、夢のパラダイスよ、花の東京」。テーマソングは藤山一郎の「東京ラプソディー」だ。
アマラオが判定に怒ると、
「落ち着けアマラオ、落ち着けアマラオ!」の連呼。
執拗に抗議するアマラオに主審がイエローカードを出すと、
「もったいない! もったいない!」とくる。
日本代表サポーターのリーダーでもある「カリスマ」的なサポーターが中心にいるのはもちろん大きな要素だ。しかしそれ以上に、全員がよく選手やサッカーを知っていて、しかも試合に集中して、流れに応じた声を上げていることが、「楽しさ」の最大の要因になっている。とにかく、試合とサポーターの声との呼応が楽しいのだ。
「組織があるわけじゃない。ただなんとなく試合のときに集まって声を合わせているだけ。面白くしようとしているわけでもない。ただ、オレたちほど試合をしっかりと見ている人間は、このスタジアムにはいないと思う。オレたちは、そこで思ったことをストレートに表現してるだけなんですよ」
サポーターのひとりは、こう言って胸を張った。
サポーターといえば、非常に攻撃的だったり、負けるとブーイング、相手チームを威嚇する声ばかり出してきたこれまでのJリーグ。そのJリーグのスタジアムに、東京のサポーターは「ユーモア」をもちこんだ。
ここから何か新しい「文化」が始まっていくのでは、とさえ思えるのだ。
(2000年4月5日)
先週の土曜日、等々力競技場でJ1の川崎フロンターレ×サンフレッチェ広島、次いで駒場スタジアムでJ2の浦和レッズ×大宮アルディージャの試合を見た。ともに1−0で、決勝点はPK(ペナルティーキック)だった。そして双方のPKとも、疑問の残る判定だった。
川崎では、後半42分のプレーがPKの判定をもたらした。ゴール前に浮いたボールをフロンターレの大塚がクリアしようと左足を上げて振ったところに、サンフレッチェの藤本が体でボールを押し出そうとはいってきて、その腹部をける結果となった。藤本がはいってくるのは、大塚にとっては死角で見えなかったはずだ。
浦和では、後半18分、レッズの大柴のドリブル突破がPKを生んだ。ゴールライン沿いにはいった大柴の足元にアルディージャGK白井が飛び込み、ボールを押さえたかに見えた。しかし同時に大柴が倒れた。
PKの判定に怒ったアルディージャの選手たちが血相を変えて主審に詰め寄り、ひとりの選手が主審を左手で小突いた。主審に手を出すのはサッカーのなかでも最も重大な違反行為。即座に退場のケースだ。しかし主審は何の処罰も下さなかった。PKの判定とともに、主審は二重のミスをしたと思う。
主審は、川崎の試合が辺見康裕さん、浦和の試合が片桐正広さん。誤解を受けないように言っておきたいが、この記事の目的は両主審の「誤審」を責めるものではない。試合の勝因や敗因を語るのと同じように、審判の判定についても、もっと議論があってもいい。そのためにも、主審や副審の名前ぐらいしっかりと報道すべきだと思うのだ。
サッカーとは、果てしなく続く「ミス」のゲームだ。どんな大選手でもミスをする。守備とは攻撃側のミスを誘う行為であり、攻撃とは守備側のミスを利用する行為とまでいっても過言ではないだろう。そして審判たちもミスをする。
もちろん、ミスはないほうがいい。選手同士ではなく、審判のミスによって勝負が決まるというのは、後味のいいものではない。しかしそういう試合もあるのがサッカーなのだ。だからこそ、単発の勝ち抜き戦方式の大会ではなく、数多くの試合をして総合成績で順位を決するリーグ戦方式の大会が世界中で重視されているのだ。
ミスは避けられない。私たちにできるのは、それを減らすための努力だけだ。そのためには、オープンな議論が必要だ。
ミスは不可避なのだから、審判員の名前を出しても名誉を傷つけることにはならない。むしろ名前を出すことでより正確な議論が可能になる。
さらに言えば、審判は背中や胸に自分の名前を入れてもいいのではないか。そしてたとえば、試合前に両チームの選手の一人ひとりと握手をして、初めてなら自己紹介をし、互いの健闘を祈るなどの「交流」があってもいいのではないか。
試合中、主審は選手を呼ぶのによく「○番!」と背番号を使う。選手は主審を「レフェリー!」と呼ぶ。これでは両者が好ましい関係を築くことは難しい。外国のようにファーストネームで呼び合えなくても、「○○さん」と名前で呼べるようになったら、互いにとってずっといい試合ができるはずだ。
「審判は神聖」ではない。トルシエの進退問題のように、もっとオープンな議論の対象にして技術の向上に努めるべきだ。同時に、議論とともに選手たちとの正常な関係づくりの前提として、審判員の顔と名前をはっきりと示すべきだと思う。
審判は黒いウエアを着ていることが多いが、けっして「黒子」ではない。サッカーという試合の不可欠な「キャスト」の一部なのだ。
(2000年3月29日)
私たちはどんな「日本代表」をもちたいと願っているのだろうか。先週、神戸で行われた中国との国際親善試合を見た夜、私はそのことを考え続けた。
0−0の引き分け。ホームで、昨年9月のイラン戦に続く引き分けだ。多くのファンから不満の声がもれるのは、ある面で当然のことだ。しかしこの試合のプレーの内容が、98年秋にフィリップ・トルシエ監督が就任して以来、A代表が見せた最高のものだったことも、また多くの人が認めたことだった。
イタリアで活躍する中田英寿と名波浩、そしてスペインの城彰二の3人を呼び戻し、小野伸二、稲本潤一ら若いメンバーと合わせて、初めて現在考えうる最高の布陣を敷いた日本は、見事なパスワークで中国を圧倒した。攻撃面でイニシアチブを取ったことで相手が自陣に深く引く形となり、日本は守備もほとんど危なげがなかった。
しかしそれでも、心から喜べないものが残る。日本代表はいつでも強くあってほしい。どんな相手に対しても、ゴールを決め、勝ってほしい。
だが--ここで私は考える --私たちが本当に望んでいるのは、とにかく勝利なのだろうか。どんな内容の試合でも、勝てば満足できるのか。
頭に浮かんだのは、96年アトランタ・オリンピックのブラジル戦だった。「マイアミの奇跡」。日本が1−0で優勝候補筆頭のブラジルを破った。
このときのブラジル代表は、単なるオリンピック代表ではなかった。ロナウド、リバウド、ベベトらを並べ、つい1週間前には世界選抜チームを2−1で下したばかりだった。「このままワールドカップに出しても優勝候補」とまでいわれたブラジル・サッカー史上最強のオリンピック・チームだった。そのブラジルを日本が破ったのだ。
しかしマイアミのスタジアムで試合終了のホイッスルを聞いたとき、私の胸には複雑な思いが交錯した。日本は徹底的に守備を固めただけで、「サッカー」をしなかったからだ。決勝ゴールは、「万にひとつ」の幸運から生まれたものだった。
なりふりかまわぬ試合でも、幸運に恵まれたといっても、ブラジルに勝ったのはすばらしいことだ。しかしこの勝利で「日本のサッカー」が大きく前進したとは感じられなかった。「私は日本人だ」と、胸を張る試合とは思えなかった。
ひとつの国の代表チームとは、その国のサッカーの状況を11人の選手に反映させたものということができる。
どれだけ普及が進んでいるか。少年たちに適切な指導が行われているか。ハイレベルなリーグ組織があるか。そこからどんな選手を生み出しているか。協会とチームの信頼関係が存在するか。チームに対してどんな協力体制がとられているか。こうしたものすべてのものの「結晶」が、代表チームなのだ。
もちろん、勝ってほしい。ゴールを決めて、相手を叩きつぶしてほしい。しかし私が日本代表に望むのは、何よりも、技術と才能をプレーの質の高さのなかで発揮することだ。日本がいかにすばらしい「サッカー選手」を生み出しているかを示すことのできる試合なのだ。
ゴールこそなかったが、先週の中国戦はまさにそうした試合だった。圧倒的な身体能力を誇る相手を、技術と才能と高度なチームプレーで圧倒した試合だった。そしてそのうえに、高いスピリットもあった。
それこそ、私が「日本代表」に求めているものだった。あのジョホールバルでのイラン戦以来、ずっと待ち望んでいたものだった。私たちが誇るに足る日本代表だった。
サッカーは、ときとして内容に正直でない結果をもたらす競技なのだ。
(2000年3月22日)