
キリンカップで日本に滞在中の審判員ルボス・ミシェル氏(スロバキア)の講演会で興味深いエピソードを知った。
昨年ポルトガルで開催された欧州選手権(EURO2004)を素材に、欧州サッカー連盟(UEFA)が審判員の仕事を紹介するDVDを制作した。ミシェル氏の話は、このDVDを見せながらのもので、最後に、決勝戦の前日から試合後までの審判たちを詳細に追った章があった。
地元ポルトガルと「ダークホース」ギリシャの間で戦われる決勝戦の主審はドイツのマルクス・メルク氏。「決勝戦」の章は、試合前日の記者会見から始まる。EURO決勝戦前に審判が記者会見に出るのは初めての試みだった。
「審判は、365日、心身ともに準備のできた状態にある。国内の2部リーグもEURO決勝戦もまったく変わりはない。審判にとっては、特別なことは何もない」
メルク氏は自信にあふれていた。そこに地元ポルトガルのメディアから意地の悪い質問が飛ぶ。ギリシャ代表のレーハーゲル監督(ドイツ人)が、彼の「患者」ではないかというのだ。メルク氏の「本業」は歯科医である。
「それは事実ではない。しかし審判として試合に行けば、友人といっていい選手や監督にも出会う。だからといって、判定に影響などない。私はいつも中立で、公平に笛を吹いている」
彼の毅然とした態度は地元メディアの疑念を払拭した。
さて決勝戦。試合は、これまで「弱小国」に過ぎなかったギリシャが1−0で勝ち、予期せぬ優勝を飾った。終盤、ポルトガルは懸命に攻め込んだが、ついにメルク主審が終了の笛を吹いた。メルク氏の近くにいたひとりのポルトガル選手が、「まだ時間があるだろう」と懇願するように叫んだ。するとメルク氏は穏やかな表情で二言三言話すと、慰めるように彼の肩を抱いた。
試合後の審判更衣室。メルク氏を中心に、審判団が互いをたたえ、祝福しあっている。力を合わせて大仕事をやり遂げた満足感が、小さな部屋に充満している。そのとき、そこにひとりのポルトガル選手がはいってくる。終了直後にメルク主審に叫んだ選手、ポルトガルDFのジョルジェ・アンドラーデだった。
スペインのデポルティボ・ラコルーニャ所属のアンドラーデは、このわずか2カ月半前、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝第1戦で退場処分を受けた。相手は彼の古巣FCポルト。その中心選手で、ポルトガル代表ではチームメートでもあるMFデコを、けるようなポーズをとったのを見とがめられたのだ。
後に彼は「デコは親友で、ふざけただけ」と語ったが、主審は暴力的な行為と判断しレッドカードを出した。その主審がメルク氏だった。この退場で彼は第2戦への出場を断たれ、デポルティボは0−1で敗れて敗退した。アンドラーデにとってメルク氏は幸運を運ぶ審判ではなかった。
EURO決勝戦直後、審判更衣室にはいってきたアンドラーデは、しかし、文句をつけにきたわけではなかった。彼の手には、汗で重くなったポルトガル代表背番号4の赤いユニホームが握られていた。通常なら選手同士で交換するユニホーム。しかしこの日、アンドラーデはメルク主審との交換を望んだのだ。
少し驚いたメルク主審は、ウォームアップのときに使った白いTシャツを代わりに差し出した。UEFAが進める「子供たちを戦争被害から守ろう」というキャンペーンのロゴが書かれた、彼にとっては大切なTシャツだった。
選手と審判は、けっして対立する存在ではない。互いに力を合わせ、いい試合をつくっていく仲間だ。互いへの敬意や友情は、けっして公平な判定を妨げるものではない。
(2005年5月25日)
6月8日のワールドカップ・アジア最終予選B組、北朝鮮対日本は、中立地バンコク(タイ)での「無観客試合」となった。3月の2試合での連続した観客トラブルに対する、国際サッカー連盟(FIFA)の処罰である。
ワールドカップ予選では、最近、中米のコスタリカと東欧のアルバニアが無観客試合のペナルティーを受けた。メキシコ戦で観客が審判やメキシコ選手にコインや、ビン、乾電池などを投げたコスタリカは、すでに3月26日のパナマ戦を無観客で戦った。
一方のアルバニアは、ウクライナ戦で観客がピッチに物を投げ込み、スタンドで発炎筒をたき、最後にはピッチになだれ込んでしまった結果、2試合(6月4日のグルジア戦と9月3日のカザフスタン戦)を無観客で開催しなければならなくなった。
無観客試合はサッカーで最も重い懲罰のひとつだ。ホームチームにとって重要な収入源であるチケット販売の権利を剥奪し、ファンをも犠牲にするのだから、数百万円程度の罰金とは比較にならない打撃がある。選手、審判や観客を守り、試合を安全に運営することは、試合の勝敗や、ワールドカップ出場権でさえ問題にならない重大事である。それを徹底するためのペナルティーだと、私は理解している。北朝鮮の場合も、無観客は当然のように感じた。
ただ、「中立地開催」は、他の例と比較して厳しすぎる印象を受けた。おそらく、「観客が騒いだのは主審の責任」と主張し続けた北朝鮮サッカー協会の姿勢が問題視されたのだろう。
20年ほど前、実際に無観客試合を見た経験がある。85年のヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ1回戦、ユベントス(イタリア)対ジュネーゼ(ルクセンブルク)だった。
前シーズン、ベルギーのブリュッセルで行われた決勝戦前に、リバプール(イングランド)のサポーターが観客席でユベントスのファンに襲いかかり、39人もの圧死者が出る惨事が起こった。この事件で、イングランドのクラブにはヨーロッパの大会から5年間締め出しという厳罰が下されたたが、ユベントスにも「1試合の無観客試合」が宣告された。その試合だった。
5万人を収容するトリノのコムナーレ・スタジアム。しかしこの日は、試合前に出場選手のアナウンスがあっても、拍手したのは十数人のボールボーイだけだった。
まるで練習のような雰囲気のなか、ユベントスは攻撃のリズムをつかめず、中心選手のプラティニがいらつく場面もあった。ユベントスは4−1で勝ったが、最後に集中を欠いた守備から1点を失い、選手たちは憮然とした表情で引きあげていった。
この日、公式に発表された数字は、「記者72人、カメラマン32人」という報道陣の数だけだった。
正直なところ、無観客試合はまったく楽しくなかった。ジュネーゼがセミプロで、ユベントスにとって歯ごたえの少ないチームだったせいではない。ホームであろうとアウェーであろうと、サッカーとは、観客の声援と反応があってはじめてスペクタクルなショーになる。選手たちもそれを感じていたに違いない。
その夜、ホテルに戻ってテレビでUEFAカップのACミラン(イタリア)対オーゼール(フランス)を見た。ミランのプレーの洗練度はユベントスに比べるとはるかに劣ったが、観客の反応が鋭く、目を離せない試合だった。
ワールドカップ出場権をかけて、バンコクの酷暑のなか、日本は無人のスタンドの前で懸命に戦う。彼らにかろうじて集中を保たせるのは、もしかしたら、数千キロかなたのテレビの前で懸命に声援を送るファンの、強力な思念だけかもしれない。
(2005年5月18日)
今季のJリーグで第4節まで無敗で首位を走り、いよいよリーグ戦で優勝争いかと期待されたFC東京。しかし負傷者が続出し、5月4日まで6連敗という泥沼に陥った。最悪の状況で迎えた5月8日の大宮戦、サポーターは「ユール・ネバー・ウォーク・アローン」を歌い続けた。
いつもなら、選手入場の直前に歌うこの曲。しかしこの日は、選手たちがピッチ上でアップしているときから歌い始め、ハーフタイムにも、そしてロスタイムの失点で勝利を逃し、肩を落として引きあげていく選手たちの後ろ姿にも、力強く歌いかけた。
「どんなときでも、僕たちがついている。君たちはけっしてひとりじゃない」
「Jリーグ公式記録集」によれば、F東京がJ1に昇格した2000年の秋に「7連敗」という記録がある。しかしそれは4連敗後に1つの引き分けがはさまれており、しかも延長戦負けが1試合ある。今季の6連敗は、クラブ史上最もひどい悪夢に違いない。そのさなかにあって、そして、この日もほとんど手中にしかけていた1カ月ぶりの勝利を最後の瞬間に逃した悔しさも押し殺し、サポーターは選手たちに対して無条件の愛情を示し、励まし続けた。これこそ、本物の「サポーター」というものだ。
「ユール・ネバー・ウォーク・アローン」を初めて生で聴いたのは、74年ワールドカップでスコットランドの試合を見たときだった。ドルトムントの巨大なゴール裏スタンドを埋めたサポーターたちの歌の力強さに圧倒された。
独特の抑揚をもつこの歌は、イングランド・リーグのテレビ放送で何十回も聴いてすっかり耳についていた。しかしスタジアムでは、それが単なるコーラスではなく、ピッチに巨大なパワーを注ぎ込むものであることを知った。
この曲が英国のスタジアムで歌われるようになってからわずか10年。しかしすでに、「ユール・ネバー...」は、「聖なる歌」になっていた。ただし英国生まれではない。アメリカのブロードウェイ・ミュージカルの曲だった。
1945年初演の『回転木馬』。その劇の重要な転換ポイントと、フィナーレで歌い上げられるのがこの曲だった。天国から舞い戻った男が、地上に残されて苦労するひとり娘に歌いかける曲だ。
「嵐のなかを進むときには、闇を恐れず、頭をしっかり上げなさい。嵐が過ぎ去ったら、輝くばかりの青空が広がり、ひばりのさえずりさえ聞こえるだろう。風を突きぬけ、雨を貫いて歩き続けなさい。たとえ夢が打ち砕かれても、胸に希望を失わず、歩き続けなさい。きみはけっしてひとりではない。そう、いつも私が見守っている」
やがてミュージカルは映画になり、60年代はじめに英国リバプール市の人気グループがこの曲をカバーして大ヒットさせたことで、サッカー・スタジアムでも歌われるようになる。最初に歌ったのは、リバプールFCのサポーターたちだったという。そしてこの曲がサポーターの「聖なる曲」になるには、そう時間はかからなかった。
リバプールFCのホームスタジアムのひとつの門には、「YOU'LL NEVER WALK ALONE」の文字でつくられたささやかなアーチがかかっている。クラブとサポーターの関係を過不足なく表現する言葉だ。そしてことし、リバプールは20年ぶりにUEFAチャンピオンズ・リーグ決勝進出に成功した。
苦しい時期もあった。しかしサポーターはどんな試合でも心を込めて「ユール・ネバー...」を歌い、選手たちを励まし続けた。サッカーのクラブを応援するというのはそういうものだ。きっと、F東京のサポーターたちも、それをよく知っているのに違いない。
(2005年5月11日)
サッカーのスタジアムで観客の集団が他の集団を襲い、負傷者が出る----あってはならないことが起こってしまった。どんな理由があろうと、一方的な暴力は正当化されない。加害者が、サッカーの中だけでなく、社会的にも罰せられるのは当然のことだ。
運営に当たったホームクラブ、柏レイソルの責任も免れない。10年間もJリーグに参加し続け、経験豊富なスタッフをそろえながら、事件の前兆に気がつかなかったのだろうか。それとも、「大事には至らないだろう」と高をくくっていたのか。試合終了直後に適切な手段がとられていれば、防ぐことのできた事件だった。
日立柏サッカー場のゴール裏スタンドの構造的欠陥も、この10年間、まったく省みられていなかった。このスタジアムでは、95年10月にもあと一歩で大惨事という事件があった。ゴール裏スタンドの中央に陣取ったG大阪のサポーターを両サイドから地元サポーターが取り囲み、女性や子供を含むG大阪サポーターは逃げ場をなくして非常に危険な状況になったのだ。
このスタジアムのゴール裏スタンドは、両脇に狭い出口があるだけ。サポーター同士の衝突だけでなく、何か事件や事故が起こったときには非常に危険だと、私は指摘し続けてきたが、まったく改善されていない。放置したJリーグの責任も重い。
そうした前提に立って、ここでは名古屋サポーターの当夜の行動について話したい。
事件が起きた4月23日、私は柏サッカー場にいた。レイソルは非常によく戦ったが、不運な失点をはね返すことができず、0−2で敗れた。今季ホームでまだ勝利なし。下位からなかなか抜け出すことができない。柏のサポーターたちがやりきれない思いを抱きながら試合終了を迎えたのは、当然のことだった。
しかし事件の直接の原因をつくったのは試合後の名古屋サポーターの行動だった。終了後、選手たちがやってきてあいさつをする。そこで大歓声を上げ、健闘をたたえるのは当然のことだ。しかし名古屋のサポーターは、選手が更衣室に引き揚げた後にも、反対側の柏サポーターを挑発するように、さらに声を高くして歌い始めたのだ。
グランパスも非常によく戦い、その奮闘にふさわしい勝利を収めた。それを喜ぶのはいい。しかし名古屋のサポーターたちは、ここで柏のファン、サポーターの人びとの心情を思うべきだった。名古屋のサポーターにも、やりきれない思いを抱いてホームスタジアムを去らなければならなかった思い出は、遠くない過去にいくらもあるはずだ。それを思い起こすべきだった。
サッカーは戦争ではない。激しくゴールを争う両チームは、結局のところ、同じひとつの試合をする仲間である。サポーター同士も同じだ。いっしょに試合を盛り上げる仲間ではないか。その感覚があれば、相手への思いやりは自然に出てくるはずだ。
Jリーグがスタートした93年の第1ステージ、浦和とのアウェーゲームで優勝を決めた鹿島は、最下位に沈む浦和のファン、サポーターの心情を思い、その場では監督胴上げなどの派手な行為を一切しなかった。その心遣いを知った浦和のサポーターは、ピッチを去っていく鹿島の選手たちに盛大な拍手を送った。サッカースタジアムにも、当事者の心がけ次第で、立派に「思いやり」は成立する。
挑発されたからといって、暴力が正当化されるわけではない。しかしこの事件のきっかけをつくったのが名古屋サポーターの心ない行動、あるいは、思いやりの気持ちを忘れた「喜びすぎ」だったことは、きちんと理解されなければならない。
(2005年4月27日)
「2ステージ制」が廃止され、全34節になった今季のJリーグ。小さな変化は、出場停止になる累積警告の数だ。これまでの3回から、今季は4回の警告で1試合出場停止になった。名古屋のDF古賀が、第5節まで4試合連続で警告を受け、先週末の第6節、出場停止になった。本人にとってはうれしくないだろうが、記念すべき第1号である。
今季第1節は前途多難を思わせた。浦和×鹿島では汚いやり合いがあり、浦和のDFアルパイが鹿島FW鈴木のあごをつかんで退場になった。横浜FM×磐田では、磐田MF福西の手に当たったボールが決勝点になり、日本サッカー協会審判委員会がわざわざ「誤審ではない」と発表して物議をかもし出した。
しかしその後は大きな事件もなく、今季のJリーグは概してきれいな印象がある。出されたカードの数を調べると、第6節、54試合が終了した時点で、イエローカードは213枚(1試合平均3・94枚)、レッドカードは5枚(同0・09枚)。いずれも昨シーズンの記録(イエロー4・26枚、レッド0・31枚)を下回っている。
6試合でわずか5枚しかイエローカードを受けていないのがF東京だ。偶然ではなく、カードを減らそうという努力の結果に違いない。長いシーズン、最後には、この努力が大きな力にもなるはずだ。
リーグ全体のデータを見ると、レフェリーに対する異議で出されたカードがわずか11枚、10試合に1枚というのは特筆に価する。千葉、F東京、東京V、横浜FM、清水、磐田、名古屋、G大阪、広島、大分の10チームは、異議によるカードが1枚もない。「自分のプレーに集中する」というチーム姿勢の表れだろう。
フェアプレーが浸透してきたJリーグ。ただひとつ残念なのは、それが強くアピールされていないことだ。
選手入場のとき6人の手にもたれて先頭を切って出てくるのが黄色いフェアプレー旗だ。メインスタンドから見ると、この旗を背負って両チームが整列する形になる。国際サッカー連盟の大会で始まったこの儀式、いまではあまりに日常的に行われているため形骸化し、その意味も忘れられているが、これは両チームがファンに向かって「フェアプレーで戦います」という約束を形にしたものなのだ。
フェアプレーとは何か、短い言葉で説明するのは難しい。しかしJリーグが始まって13シーズン、いろいろな事件があり、議論のなかでイメージが固まりつつある。「ルールを尊重し、相手を尊重し、レフェリーを尊重する。そして勝利のために全力で戦う」。Jリーグや日本サッカー協会の努力により、そうした骨子が理解されてきている。
ならば、実際にどのように行動し、プレーするのがフェアなのか----多くの人が注目するJリーグほど、それをアピールできる場はない。もしJリーグ選手たちからの働きかけが日本全国のファンや少年少女のフェアプレー理解の助けになるなら、長期的に見れば、ワールドカップ出場以上の価値がある。
たとえば、「フェアプレーの約束」のようなチラシをつくり、各チームが試合ごとに全観客に配布してはどうか。「レフェリーの決定に従います」のような項目をいくつか書き、そこに全選手がサインしたものを用意するのに、そう大きな出費はかからないだろう。全選手のサインがあれば、ファンは大事にもって帰り、家に飾ってくれる人もいるだろう。それは、ファンに対する選手たちからの「約束」であると同時に、ファン、なかでも少年少女にフェアプレーを教える働きをする。
ことしのJリーグがフェアになっていることを強くアピールするとともに、さらに積極的な働きかけを期待したい。
(2005年4月20日)