サッカーの話をしよう

No.557 レフェリーと選手の友情

 キリンカップで日本に滞在中の審判員ルボス・ミシェル氏(スロバキア)の講演会で興味深いエピソードを知った。
 昨年ポルトガルで開催された欧州選手権(EURO2004)を素材に、欧州サッカー連盟(UEFA)が審判員の仕事を紹介するDVDを制作した。ミシェル氏の話は、このDVDを見せながらのもので、最後に、決勝戦の前日から試合後までの審判たちを詳細に追った章があった。
 地元ポルトガルと「ダークホース」ギリシャの間で戦われる決勝戦の主審はドイツのマルクス・メルク氏。「決勝戦」の章は、試合前日の記者会見から始まる。EURO決勝戦前に審判が記者会見に出るのは初めての試みだった。
 「審判は、365日、心身ともに準備のできた状態にある。国内の2部リーグもEURO決勝戦もまったく変わりはない。審判にとっては、特別なことは何もない」
 メルク氏は自信にあふれていた。そこに地元ポルトガルのメディアから意地の悪い質問が飛ぶ。ギリシャ代表のレーハーゲル監督(ドイツ人)が、彼の「患者」ではないかというのだ。メルク氏の「本業」は歯科医である。
 「それは事実ではない。しかし審判として試合に行けば、友人といっていい選手や監督にも出会う。だからといって、判定に影響などない。私はいつも中立で、公平に笛を吹いている」
 彼の毅然とした態度は地元メディアの疑念を払拭した。
 さて決勝戦。試合は、これまで「弱小国」に過ぎなかったギリシャが1−0で勝ち、予期せぬ優勝を飾った。終盤、ポルトガルは懸命に攻め込んだが、ついにメルク主審が終了の笛を吹いた。メルク氏の近くにいたひとりのポルトガル選手が、「まだ時間があるだろう」と懇願するように叫んだ。するとメルク氏は穏やかな表情で二言三言話すと、慰めるように彼の肩を抱いた。
 試合後の審判更衣室。メルク氏を中心に、審判団が互いをたたえ、祝福しあっている。力を合わせて大仕事をやり遂げた満足感が、小さな部屋に充満している。そのとき、そこにひとりのポルトガル選手がはいってくる。終了直後にメルク主審に叫んだ選手、ポルトガルDFのジョルジェ・アンドラーデだった。
 スペインのデポルティボ・ラコルーニャ所属のアンドラーデは、このわずか2カ月半前、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝第1戦で退場処分を受けた。相手は彼の古巣FCポルト。その中心選手で、ポルトガル代表ではチームメートでもあるMFデコを、けるようなポーズをとったのを見とがめられたのだ。
 後に彼は「デコは親友で、ふざけただけ」と語ったが、主審は暴力的な行為と判断しレッドカードを出した。その主審がメルク氏だった。この退場で彼は第2戦への出場を断たれ、デポルティボは0−1で敗れて敗退した。アンドラーデにとってメルク氏は幸運を運ぶ審判ではなかった。
 EURO決勝戦直後、審判更衣室にはいってきたアンドラーデは、しかし、文句をつけにきたわけではなかった。彼の手には、汗で重くなったポルトガル代表背番号4の赤いユニホームが握られていた。通常なら選手同士で交換するユニホーム。しかしこの日、アンドラーデはメルク主審との交換を望んだのだ。
 少し驚いたメルク主審は、ウォームアップのときに使った白いTシャツを代わりに差し出した。UEFAが進める「子供たちを戦争被害から守ろう」というキャンペーンのロゴが書かれた、彼にとっては大切なTシャツだった。
 選手と審判は、けっして対立する存在ではない。互いに力を合わせ、いい試合をつくっていく仲間だ。互いへの敬意や友情は、けっして公平な判定を妨げるものではない。
 
(2005年5月25日)
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