
奈良県に住む吉岡一郎さんという58歳の「オールドファン」(自称)からお手紙をいただいた。長崎県の「コスモス文学の会」が発行している『コスモス文学』という同人誌に吉岡さんが寄稿された記事「おおーい、Jリーグ!」のコピーが同封されていた。
マイナーな競技だった時代から、劣悪な環境のなかで黙々とボールをけり続けてきた世代は、「いまだに、真夏の太陽がグランドを焦がす日にも、小雪まじりの寒風がゴールをたたきつける日にも、ベンチで、生徒の試合をじっと見守ったり、どしゃぶりの中を、泥だらけになってラインズマンで走り回っていたりするのだ。地域のサッカー協会にも尽くしているだろう」(本文より)。
そうした「オールドファン」は、この急激なJリーグブームのなかですっかり取り残されてしまった。Jリーグは若い世代であふれかえっているが、50歳以上のファンは「なかなかスタンドに腰をおろす余裕がなくて、テレビ中継に血をたぎらせている」(同)。
こうした声を聞くのは、年配のファンからばかりではない。かつては簡単に買えたチケットがほとんど入手不可能。幸運にも手に入れた自由席券で見にけば、そこは「サポーター」で埋められ、座ることはおろか純粋にサッカーを楽しむことさえできない。相手チームの好プレーに拍手でもしようものなら、「どうなっても知らないぜ」と脅しをかけられる。こうして数年前まで閑古鳥が鳴く日本リーグのスタンドにいた熱心なファンはすっかり追い払われてしまった。
もちろん、最大の問題はスタジアムのキャパシティにある。Jリーグの大半の試合が4万人、5万人のスタジアムでできればこんな事態にはならないはずだ。だが、チケットに売り方には問題はないだろうか。
Jリーグのチケットは原則として各クラブが値段の決定から販売まで自主的に行っている。クラブによって一部「地元先行販売」などの方法をとっているところもあるが、基本的にはオンラインのチケットサービス会社に委託して販売するケースが多い。
手数料はかかるが、手間はかからない。全国どこからでも電話一本で買うことができる。非常に便利だ。しかしこれは、Jリーグのクラブのチケットの売り方ではないと思う。
Jリーグのクラブは、地域に密着し地域の人びといっしょに育てていくもの。とすれば、入場券は、原則としては、クラブが自らの手で地域の人びとに1枚1枚売るべきものであるはずだ。リーグ戦の入場者は、その地域の「ホームチームファン」が大半というのが原則だからだ。そして、アウェーのクラブには一定数のチケットを渡し、同行する「サポーター」向けに販売してもらう。
こうした販売方法をとることによって初めて、クラブは「誰が」観戦にくるかを知ることができる。それは、ファンやサポーターのトラブルを防ぐ「観客コントロール」に欠くことのでいない条件でもある。
同時に、クラブが細かな配慮をすることも可能となる。地域の小学校の生徒を順番に優待することもできるし、試合によって「50歳以上の人に優先販売」などの方法もとることができる。古くからの熱心なファンの期待に応えることもできる。
オンラインサービスの販売は便利で「公平」かもしれない。しかしJリーグの理念とはかならずしも合致しない。クラブが存立する地域には、若者だけでなく子供もお年寄りもいる。Jリーグは、そのみんなのものであるからだ。
(1994年1月18日=火)
マイナーな競技だった時代から、劣悪な環境のなかで黙々とボールをけり続けてきた世代は、「いまだに、真夏の太陽がグランドを焦がす日にも、小雪まじりの寒風がゴールをたたきつける日にも、ベンチで、生徒の試合をじっと見守ったり、どしゃぶりの中を、泥だらけになってラインズマンで走り回っていたりするのだ。地域のサッカー協会にも尽くしているだろう」(本文より)。
そうした「オールドファン」は、この急激なJリーグブームのなかですっかり取り残されてしまった。Jリーグは若い世代であふれかえっているが、50歳以上のファンは「なかなかスタンドに腰をおろす余裕がなくて、テレビ中継に血をたぎらせている」(同)。
こうした声を聞くのは、年配のファンからばかりではない。かつては簡単に買えたチケットがほとんど入手不可能。幸運にも手に入れた自由席券で見にけば、そこは「サポーター」で埋められ、座ることはおろか純粋にサッカーを楽しむことさえできない。相手チームの好プレーに拍手でもしようものなら、「どうなっても知らないぜ」と脅しをかけられる。こうして数年前まで閑古鳥が鳴く日本リーグのスタンドにいた熱心なファンはすっかり追い払われてしまった。
もちろん、最大の問題はスタジアムのキャパシティにある。Jリーグの大半の試合が4万人、5万人のスタジアムでできればこんな事態にはならないはずだ。だが、チケットに売り方には問題はないだろうか。
Jリーグのチケットは原則として各クラブが値段の決定から販売まで自主的に行っている。クラブによって一部「地元先行販売」などの方法をとっているところもあるが、基本的にはオンラインのチケットサービス会社に委託して販売するケースが多い。
手数料はかかるが、手間はかからない。全国どこからでも電話一本で買うことができる。非常に便利だ。しかしこれは、Jリーグのクラブのチケットの売り方ではないと思う。
Jリーグのクラブは、地域に密着し地域の人びといっしょに育てていくもの。とすれば、入場券は、原則としては、クラブが自らの手で地域の人びとに1枚1枚売るべきものであるはずだ。リーグ戦の入場者は、その地域の「ホームチームファン」が大半というのが原則だからだ。そして、アウェーのクラブには一定数のチケットを渡し、同行する「サポーター」向けに販売してもらう。
こうした販売方法をとることによって初めて、クラブは「誰が」観戦にくるかを知ることができる。それは、ファンやサポーターのトラブルを防ぐ「観客コントロール」に欠くことのでいない条件でもある。
同時に、クラブが細かな配慮をすることも可能となる。地域の小学校の生徒を順番に優待することもできるし、試合によって「50歳以上の人に優先販売」などの方法もとることができる。古くからの熱心なファンの期待に応えることもできる。
オンラインサービスの販売は便利で「公平」かもしれない。しかしJリーグの理念とはかならずしも合致しない。クラブが存立する地域には、若者だけでなく子供もお年寄りもいる。Jリーグは、そのみんなのものであるからだ。
(1994年1月18日=火)
正月の高校選手権で警告が72にもなり、退場も3人出た。高校生の大会でこんなにイエローカード、レッドカードが出たのはもちろん初めてのこと。「Jリーグの悪影響だ」という声も聞かれた。
試合を見ていると、後ろからの無理なタックルなどの危険なプレー、抜かれたときに手を使って相手をつかんだりする反則が目立った。これを「試合が激しくなった」と見るのは見当違い。正しい守備の技術が身についていないのだ。
ボールをあやつってドリブルで相手を抜くのは簡単な技術ではないけれど、楽しいので子供のときからみんな一生懸命に練習する。高校選手権に出てくる選手になれば、かなりできる。だが、きちんとした守備の技術や戦術を身につけた選手は稀にしかいない。
現在のサッカーでは、ディフェンダーでもボールをしっかりと扱えなければならないし、ドリブルの能力も必要とされる。だから小学校、中学校、高校と上がっていくにつれ、それまでFWをしていた選手がDFにコンバートされて「攻撃力のあるDF」がつくられていくケースが多い。
それに加え、守備の場面では「プレッシャーをかける」(ボールをもっている選手に激しく詰め寄り、自分ではボールを取れなくても相手に自由にプレーさせない)ことを要求される。
このふたつの要素が重なって、ただ激しく体当たりするだけのディフェンス、タックルできる間合いかどうかなどお構いなしにとびこんでいくプレー、背後からのタックルが続出する。競り合いのときに相手をつかみ、押しのけるのも、ひとつのテクニックだなどと勘違いされている。
これは高校サッカーだけの話ではない。残念なことだが、Jリーグ、そして世界のサッカーに共通する傾向といえる。ワールドカップでも、しっかりとした守備技術を身につけていないディフェンダーを見ることは驚くほど多い。
国際サッカー連盟は、この種の反則をなくさないとサッカーの魅力が失われてしまうと考え、きびしく対処する方針をとっている。そのために、イエローカードやレッドカードをためらわずに出すことを主審に義務づけている。
高校サッカーで警告、退場が多かったのは、そうしたガイドラインに沿ったまでことで、大会のプレーを見れば、一試合平均二枚近くのカードが出るのは当然という状況だ。
高校チームの指導者は、まず、何が反則であるかをしっかりと教え(それがわかっていない選手が少なくないように見える)、同時に、正しい守備技術と守備戦術を身につけられるようなトレーニングを施さなければならない。
高校サッカーでは、かつてほとんどイエローカードなど出なかった。勢い余ってファウルをする者はいても、故意に反則する選手は滅多にいなかったこともある。だが、主審が出そうとしなかったことも、理由のひとつだった。主審には先生が多く、警告や退場などの「処分」を受けることは選手本人の経歴にキズがつくと思ったからだ。なかには「就職に影響する」と考えた先生もいたそうだ。
これは間違っている。
警告や退場の理由はいろいろあるが、それはあくまでサッカーのフィールド内のこと。基本的には、その選手の人間としての価値とはまったく関係がない。
警告・退場となる反則の主要原因は守備の技術や戦術が未熟なこと。未熟さは恥ずべきことではない。恥ずかしく思わなければならないのは、その未熟さを成長させることのできない指導者たちであるずだ。
(1994年1月11日=火)
試合を見ていると、後ろからの無理なタックルなどの危険なプレー、抜かれたときに手を使って相手をつかんだりする反則が目立った。これを「試合が激しくなった」と見るのは見当違い。正しい守備の技術が身についていないのだ。
ボールをあやつってドリブルで相手を抜くのは簡単な技術ではないけれど、楽しいので子供のときからみんな一生懸命に練習する。高校選手権に出てくる選手になれば、かなりできる。だが、きちんとした守備の技術や戦術を身につけた選手は稀にしかいない。
現在のサッカーでは、ディフェンダーでもボールをしっかりと扱えなければならないし、ドリブルの能力も必要とされる。だから小学校、中学校、高校と上がっていくにつれ、それまでFWをしていた選手がDFにコンバートされて「攻撃力のあるDF」がつくられていくケースが多い。
それに加え、守備の場面では「プレッシャーをかける」(ボールをもっている選手に激しく詰め寄り、自分ではボールを取れなくても相手に自由にプレーさせない)ことを要求される。
このふたつの要素が重なって、ただ激しく体当たりするだけのディフェンス、タックルできる間合いかどうかなどお構いなしにとびこんでいくプレー、背後からのタックルが続出する。競り合いのときに相手をつかみ、押しのけるのも、ひとつのテクニックだなどと勘違いされている。
これは高校サッカーだけの話ではない。残念なことだが、Jリーグ、そして世界のサッカーに共通する傾向といえる。ワールドカップでも、しっかりとした守備技術を身につけていないディフェンダーを見ることは驚くほど多い。
国際サッカー連盟は、この種の反則をなくさないとサッカーの魅力が失われてしまうと考え、きびしく対処する方針をとっている。そのために、イエローカードやレッドカードをためらわずに出すことを主審に義務づけている。
高校サッカーで警告、退場が多かったのは、そうしたガイドラインに沿ったまでことで、大会のプレーを見れば、一試合平均二枚近くのカードが出るのは当然という状況だ。
高校チームの指導者は、まず、何が反則であるかをしっかりと教え(それがわかっていない選手が少なくないように見える)、同時に、正しい守備技術と守備戦術を身につけられるようなトレーニングを施さなければならない。
高校サッカーでは、かつてほとんどイエローカードなど出なかった。勢い余ってファウルをする者はいても、故意に反則する選手は滅多にいなかったこともある。だが、主審が出そうとしなかったことも、理由のひとつだった。主審には先生が多く、警告や退場などの「処分」を受けることは選手本人の経歴にキズがつくと思ったからだ。なかには「就職に影響する」と考えた先生もいたそうだ。
これは間違っている。
警告や退場の理由はいろいろあるが、それはあくまでサッカーのフィールド内のこと。基本的には、その選手の人間としての価値とはまったく関係がない。
警告・退場となる反則の主要原因は守備の技術や戦術が未熟なこと。未熟さは恥ずべきことではない。恥ずかしく思わなければならないのは、その未熟さを成長させることのできない指導者たちであるずだ。
(1994年1月11日=火)
新しい「サッカーの年」が明けた。1994年、ワールドカップ・アメリカ大会の年だ。
だが、組分け抽選会など大会のニュースがはいってくるごとに、悔しい気持ちがまたふつふつと湧いてくる。それは日本のサッカー関係者、ファンのすべてに共通することだろう。
だがもっと悔しいのは、「日本の実力ではワールドカップに出ても勝つことはできない。負けてよかったんだ」などと言う人がいることだ。こうした意見はとくに「サッカー関係者」といわれる人に少なくない。
「日本が出ていればどうなったか」などという仮定の話をするつもりはない。ただ、1993年の日本代表チームの実力とプレー内容が、世界のサッカーのなかでどのような地位のものであったについて、私の見解を書いておきたい。オフト前監督がいう「ヒストリー」についての正しい評価がなければ、今後の道を誤る危険性があるからだ。
1968年のメキシコ五輪以来「世界」から遠ざけられた日本のサッカー。親善試合や遠征で対戦することはあっても、ワールドカップなどの「実戦」で鍛えられるのは大きく違う。いわば、親善試合という「出島」を残した鎖国状態だったといっていいだろう。
そこにやってきたオフトは、選手たちのなかに可能性を発見し、わずか1年半のうちにすばらしいチームをつくり上げた。すばらしかったのはチームが強くなったことだけではない。現代的で、しかも選手の才能に信頼を置いた攻撃的なチームが完成したことだ。
現代のサッカーは勝利があまりに重視され、コーチたちはその目標をクリアすることだけに心を奪われている。魅力的な攻撃を見せるチームは、世界中を探してもごくわずかしかない。
そうしたなかで、オフトと選手たちがつくり出したサッカーは、個性が生かされ、攻撃やゴールに対する個々の選手の情熱が十分に表現されたものだった。そしてチームに浸透した近代的な戦術の理解は、過去のアジア・サッカーのなかでは傑出したものだった。
世界中がシニカルに、守備的に、そして退屈なプレーになった1993年、日本代表のサッカーはひときわ魅力あるものとして光を放った。その光を「予選突破」に結びつけることができなかった要因は、25年間にもわたる「鎖国」状態、国際的な真剣勝負での経験不足だけだった。
カタールで行われた最終予選は、ある意味でアジア・サッカーの立ち遅れを示すものだったが、けっして「簡単」な大会ではなかった。欧州や南米の強豪がきたとしても、楽に全勝できるチームはなかったろう。そんな大会で、経験不足からくる緊張でつまずきながら、予選突破の直前までもっていった日本の実力は、並々ならぬものであったことがわかるはずだ。
国際サッカー連盟が出している「代表チームランキング」(93年末で日本は43位)は、過去8年間の国際試合の成績を集計したもの。「24位以内ではないのだからワールドカップに出る資格はない」という意見は見当はずれだ。
ワールドカップという最高の舞台で、日本代表がその真の価値を証明する機会を得られなかったことが残念でならない。そして「日本のサッカーはまだまだダメだ」と言えば、「そのへんのサッカーファン」と一線を画せると勘違いしている「サッカー関係者」が少なくないことは悲しい。
昨年の日本代表ほど魅力的な攻撃プレーをできるチームが、世界にいくつあるか。この夏にアメリカで行われるワールドカップで、それがわかるだろう。
(1994年1月4日=火)
だが、組分け抽選会など大会のニュースがはいってくるごとに、悔しい気持ちがまたふつふつと湧いてくる。それは日本のサッカー関係者、ファンのすべてに共通することだろう。
だがもっと悔しいのは、「日本の実力ではワールドカップに出ても勝つことはできない。負けてよかったんだ」などと言う人がいることだ。こうした意見はとくに「サッカー関係者」といわれる人に少なくない。
「日本が出ていればどうなったか」などという仮定の話をするつもりはない。ただ、1993年の日本代表チームの実力とプレー内容が、世界のサッカーのなかでどのような地位のものであったについて、私の見解を書いておきたい。オフト前監督がいう「ヒストリー」についての正しい評価がなければ、今後の道を誤る危険性があるからだ。
1968年のメキシコ五輪以来「世界」から遠ざけられた日本のサッカー。親善試合や遠征で対戦することはあっても、ワールドカップなどの「実戦」で鍛えられるのは大きく違う。いわば、親善試合という「出島」を残した鎖国状態だったといっていいだろう。
そこにやってきたオフトは、選手たちのなかに可能性を発見し、わずか1年半のうちにすばらしいチームをつくり上げた。すばらしかったのはチームが強くなったことだけではない。現代的で、しかも選手の才能に信頼を置いた攻撃的なチームが完成したことだ。
現代のサッカーは勝利があまりに重視され、コーチたちはその目標をクリアすることだけに心を奪われている。魅力的な攻撃を見せるチームは、世界中を探してもごくわずかしかない。
そうしたなかで、オフトと選手たちがつくり出したサッカーは、個性が生かされ、攻撃やゴールに対する個々の選手の情熱が十分に表現されたものだった。そしてチームに浸透した近代的な戦術の理解は、過去のアジア・サッカーのなかでは傑出したものだった。
世界中がシニカルに、守備的に、そして退屈なプレーになった1993年、日本代表のサッカーはひときわ魅力あるものとして光を放った。その光を「予選突破」に結びつけることができなかった要因は、25年間にもわたる「鎖国」状態、国際的な真剣勝負での経験不足だけだった。
カタールで行われた最終予選は、ある意味でアジア・サッカーの立ち遅れを示すものだったが、けっして「簡単」な大会ではなかった。欧州や南米の強豪がきたとしても、楽に全勝できるチームはなかったろう。そんな大会で、経験不足からくる緊張でつまずきながら、予選突破の直前までもっていった日本の実力は、並々ならぬものであったことがわかるはずだ。
国際サッカー連盟が出している「代表チームランキング」(93年末で日本は43位)は、過去8年間の国際試合の成績を集計したもの。「24位以内ではないのだからワールドカップに出る資格はない」という意見は見当はずれだ。
ワールドカップという最高の舞台で、日本代表がその真の価値を証明する機会を得られなかったことが残念でならない。そして「日本のサッカーはまだまだダメだ」と言えば、「そのへんのサッカーファン」と一線を画せると勘違いしている「サッカー関係者」が少なくないことは悲しい。
昨年の日本代表ほど魅力的な攻撃プレーをできるチームが、世界にいくつあるか。この夏にアメリカで行われるワールドカップで、それがわかるだろう。
(1994年1月4日=火)
Jリーグの1年が終わった。日本サッカー、いや日本スポーツの「平成維新」といっていいほどJリーグの登場は衝撃的で、同時にたくさんの人に21世紀の日本社会とスポーツのつながりを考えさせた。
「Jリーグ理念」の理解を広めるのは、オフサイドルールをわからせるより難しいことと思っていた。だが年末の「ヴェルディ移転事件」では、その理念をたくさんのメディアが語り、多くの人が理解を示した。それは1年目のJリーグが大成功を収めたことの何よりの証明だ。
しかし川淵チェアマンがいうとおり、Jリーグは前進しながら考え、成長していくもの。大成功を収めたからといって手放しで喜んでいるわけにはいかない。さらによいリーグにするために考えなくてはならないことは少なくない。そのひとつが「サドンデス」方式の再検討だ。
リーグ戦に引き分けを認めず、サドンデスの延長戦を行うというのは、世界に例を見ない方式。国際サッカー連盟(FIFA)から最初は禁止されたが、再度の交渉で「実験」として認められた。
半年前の本コラムで、私はサドンデスを「リーグ戦の興味を盛り上げる究極の形」と書いた。現代のサッカーは、勝つことばかりにこだわり、観客を楽しませる攻撃的な姿勢が消えていること、簡単にいうと得点が減少していることが、大きな問題だからだ。
そうした視点でサドンデスを見ると、結果は成功ということができる。全185試合中、延長戦が45試合。ちょうど4分の1。そのうち90分間終了時に0−0だったのは15試合にすぎない。しかも15試合中延長戦でもゴールがなかったのは7試合。96六%の試合で得点が記録されたことになる。
サッカーの大きな魅力はやはり得点シーン。Jリーグのサドンデス方式は、たくさんのファンになにがしかの満足を与えたはずだ。
だが、サッカー自体の価値がサドンデスによって高められたわけではない。
最初はスピード感や激しさばかりクローズアップしていたマスメディアも、シーズンが進むにしたがってスターたちの天才ぶり、高度なチームプレー、そして戦術の妙などに目を向けるようになった。それによって、サッカーに関する知識は大きくふくらんだ。
もはや人びとはゴールシーンや勝者がはっきりと決まることだけでは満足しない。ジーコやディアスの天才プレー、ヴェルディ川崎の見事な組織力、井原の抜群の読みといった「特別なもの」を見たいと思ってスタジアムに足を運び、テレビ中継に注目する。
引き分けが単なる「勝負なし」ではなく、「勝ち点1」にとてつもなく重い意味があることも、「カタールの悲劇」を通じて多くの人が理解した。
サッカーのリーグ戦は、毎週優勝が決まるプロゴルフとは違う。勝ち点を積み重ね、「継続の力」で栄光を勝ち取るものだ。そのなかで引き分けの占める地位は低くはない。
サドンデスの面白さに異論はない。観客数の減少に悩む欧州や南米のリーグが採用すれば大きな「カンフル剤」となるはずだ。だがサッカーの本当の面白さが理解されつつあるJリーグに必要とは思えない。
攻撃的な姿勢を崩させないためには、ワールドカップでも採用が決まった「勝利に3、引き分けに1」の勝ち点方式で十分。Jリーグが自らの「サッカー」自体の価値を高めたいと考えるなら、サドンデスはしばらく金庫のなかにしまっておくべきだろう。
(1993年12月28日=火)
「Jリーグ理念」の理解を広めるのは、オフサイドルールをわからせるより難しいことと思っていた。だが年末の「ヴェルディ移転事件」では、その理念をたくさんのメディアが語り、多くの人が理解を示した。それは1年目のJリーグが大成功を収めたことの何よりの証明だ。
しかし川淵チェアマンがいうとおり、Jリーグは前進しながら考え、成長していくもの。大成功を収めたからといって手放しで喜んでいるわけにはいかない。さらによいリーグにするために考えなくてはならないことは少なくない。そのひとつが「サドンデス」方式の再検討だ。
リーグ戦に引き分けを認めず、サドンデスの延長戦を行うというのは、世界に例を見ない方式。国際サッカー連盟(FIFA)から最初は禁止されたが、再度の交渉で「実験」として認められた。
半年前の本コラムで、私はサドンデスを「リーグ戦の興味を盛り上げる究極の形」と書いた。現代のサッカーは、勝つことばかりにこだわり、観客を楽しませる攻撃的な姿勢が消えていること、簡単にいうと得点が減少していることが、大きな問題だからだ。
そうした視点でサドンデスを見ると、結果は成功ということができる。全185試合中、延長戦が45試合。ちょうど4分の1。そのうち90分間終了時に0−0だったのは15試合にすぎない。しかも15試合中延長戦でもゴールがなかったのは7試合。96六%の試合で得点が記録されたことになる。
サッカーの大きな魅力はやはり得点シーン。Jリーグのサドンデス方式は、たくさんのファンになにがしかの満足を与えたはずだ。
だが、サッカー自体の価値がサドンデスによって高められたわけではない。
最初はスピード感や激しさばかりクローズアップしていたマスメディアも、シーズンが進むにしたがってスターたちの天才ぶり、高度なチームプレー、そして戦術の妙などに目を向けるようになった。それによって、サッカーに関する知識は大きくふくらんだ。
もはや人びとはゴールシーンや勝者がはっきりと決まることだけでは満足しない。ジーコやディアスの天才プレー、ヴェルディ川崎の見事な組織力、井原の抜群の読みといった「特別なもの」を見たいと思ってスタジアムに足を運び、テレビ中継に注目する。
引き分けが単なる「勝負なし」ではなく、「勝ち点1」にとてつもなく重い意味があることも、「カタールの悲劇」を通じて多くの人が理解した。
サッカーのリーグ戦は、毎週優勝が決まるプロゴルフとは違う。勝ち点を積み重ね、「継続の力」で栄光を勝ち取るものだ。そのなかで引き分けの占める地位は低くはない。
サドンデスの面白さに異論はない。観客数の減少に悩む欧州や南米のリーグが採用すれば大きな「カンフル剤」となるはずだ。だがサッカーの本当の面白さが理解されつつあるJリーグに必要とは思えない。
攻撃的な姿勢を崩させないためには、ワールドカップでも採用が決まった「勝利に3、引き分けに1」の勝ち点方式で十分。Jリーグが自らの「サッカー」自体の価値を高めたいと考えるなら、サドンデスはしばらく金庫のなかにしまっておくべきだろう。
(1993年12月28日=火)
1993年は日本のサッカーにとって歴史的な年だった。新聞・雑誌には過去数10年間に日本で印刷された全記事に匹敵する量の情報があふれ、テレビでは時間にして数倍の番組やニュースが流れた。
これを可能にしたのが、スタジアムのすばらしい盛り上がりぶりだった。選手の意識が変わって試合も迫力十分になった。それを満員のスタンド、そしてサポーターの存在が支えた。
「Jリーグ」とともにすっかり時代の言葉になってしまった「サポーター」。視覚と聴覚に訴える彼らの存在は、プロサッカーに欠くことのできない要素だ。かつて、日本のサッカーが「つまらない、迫力がたりない」と思われ続けた大きな要因は、がらがらのスタンドと、サポーターの不在だったからだ。
だが、ヨーロッパや南米などの「サッカー先進国」では、「サッカーの重要な一部」であるべきサポーターが時として大きな問題となっている。スタンドでの暴力、スタジアム周囲での暴行などを起こす一部の青少年は「フーリガン」(ならず者)と呼ばれ、社会問題化している。失業率の高さなど、若者にとって「明日」に希望がもてない社会が、その背景にある。
12月11日の天皇杯2回戦で、浦和レッズのサポーターが宇都宮のグリーンスタジアムの警備員とトラブルを起こした。テレビのニュースはサポーターが物を投げたり、警備員ともみ合うシーンを流し、スポーツ紙は「フーリガン」と報じた。逆転負けのはらいせという理由だった。
紙くずや空き缶を投げたり、「審判を出せ」と本部に押しかけるなどの行為は許されるものではない。しかし事実はそう単純ではなかったようだ。
初めて見るレッズのサポーターの迫力に、警備担当者が過剰に反応したこと、ゴール裏のサポーターではなく、一般席のファンから投げられた物もある。それをすべて、「サポーターが悪い、フーリガンだ」で片づけるのは、あまりに短絡的ではないか。
以前も書いたが、レッズばかりでなく日本のサポーターの中心は外国の状況をよく知っている。自分たちのなかからフーリガンを出さないためにどうしたらいいか、非常にしっかりと考え、行動している。
9月3日にレッズが浦和でヴェルディに0−6で負けたとき、スタンドの一般ファンが物を投げ始めた。すると、サポーターたちはいっせいに叫び、「レッズが好きなら投げるのはやめろ、投げるならオレたちに向かって投げろ」と言ったという。
天皇杯の1回戦では、レッズの試合の後にダブルで組まれた横浜フリューゲルス対田辺(関西リーグ)戦で、レッズのサポーターたちが田辺に熱狂的な声援を送った。初めてサポーターの歌声を背に試合をした田辺はすばらしい戦いを展開し、終盤には1点を奪う健闘を見せた。
試合後、感激した田辺の選手たちは、自社の応援団へのあいさつの後、全員でレッズのサポーター席に向かった。後日、感謝状まで届いたという。
いまやサポーターの存在は当然のものとなり、だれもその価値を語ろうとはしない。だが、日本のサポーターはまだ完全に根づいたものとはなっていない。周囲の扱い方ひとつで、消えてしまうかもしれないし、フーリガンと化すことも十分考えられる。
サポーターがサッカー文化の重要な一翼を担うものであるなら、周囲の関係者やマスメディアの責任は大きい。日本で本格的なサポーターが定着するか。この歴史的な年の暮れ、私たちはその岐路に立っている。
(1993年12月21日=火)
これを可能にしたのが、スタジアムのすばらしい盛り上がりぶりだった。選手の意識が変わって試合も迫力十分になった。それを満員のスタンド、そしてサポーターの存在が支えた。
「Jリーグ」とともにすっかり時代の言葉になってしまった「サポーター」。視覚と聴覚に訴える彼らの存在は、プロサッカーに欠くことのできない要素だ。かつて、日本のサッカーが「つまらない、迫力がたりない」と思われ続けた大きな要因は、がらがらのスタンドと、サポーターの不在だったからだ。
だが、ヨーロッパや南米などの「サッカー先進国」では、「サッカーの重要な一部」であるべきサポーターが時として大きな問題となっている。スタンドでの暴力、スタジアム周囲での暴行などを起こす一部の青少年は「フーリガン」(ならず者)と呼ばれ、社会問題化している。失業率の高さなど、若者にとって「明日」に希望がもてない社会が、その背景にある。
12月11日の天皇杯2回戦で、浦和レッズのサポーターが宇都宮のグリーンスタジアムの警備員とトラブルを起こした。テレビのニュースはサポーターが物を投げたり、警備員ともみ合うシーンを流し、スポーツ紙は「フーリガン」と報じた。逆転負けのはらいせという理由だった。
紙くずや空き缶を投げたり、「審判を出せ」と本部に押しかけるなどの行為は許されるものではない。しかし事実はそう単純ではなかったようだ。
初めて見るレッズのサポーターの迫力に、警備担当者が過剰に反応したこと、ゴール裏のサポーターではなく、一般席のファンから投げられた物もある。それをすべて、「サポーターが悪い、フーリガンだ」で片づけるのは、あまりに短絡的ではないか。
以前も書いたが、レッズばかりでなく日本のサポーターの中心は外国の状況をよく知っている。自分たちのなかからフーリガンを出さないためにどうしたらいいか、非常にしっかりと考え、行動している。
9月3日にレッズが浦和でヴェルディに0−6で負けたとき、スタンドの一般ファンが物を投げ始めた。すると、サポーターたちはいっせいに叫び、「レッズが好きなら投げるのはやめろ、投げるならオレたちに向かって投げろ」と言ったという。
天皇杯の1回戦では、レッズの試合の後にダブルで組まれた横浜フリューゲルス対田辺(関西リーグ)戦で、レッズのサポーターたちが田辺に熱狂的な声援を送った。初めてサポーターの歌声を背に試合をした田辺はすばらしい戦いを展開し、終盤には1点を奪う健闘を見せた。
試合後、感激した田辺の選手たちは、自社の応援団へのあいさつの後、全員でレッズのサポーター席に向かった。後日、感謝状まで届いたという。
いまやサポーターの存在は当然のものとなり、だれもその価値を語ろうとはしない。だが、日本のサポーターはまだ完全に根づいたものとはなっていない。周囲の扱い方ひとつで、消えてしまうかもしれないし、フーリガンと化すことも十分考えられる。
サポーターがサッカー文化の重要な一翼を担うものであるなら、周囲の関係者やマスメディアの責任は大きい。日本で本格的なサポーターが定着するか。この歴史的な年の暮れ、私たちはその岐路に立っている。
(1993年12月21日=火)