
2月中旬、日本代表取材でバンコクにいたときに、ワールドカップ・ヨーロッパ予選「イングランド×イタリア」のテレビ中継を見た。98年フランス大会を目指す予選のなかでも、最も注目されるカードだ。
試合はイタリアが前半にあげたゴールを守りきり、1−0で勝利を収めた。後半、イングランドが猛攻をかけ、押されっぱなしの展開になったが、イタリアの選手たちは最後まで冷静さを失わず、タフな神経で戦い抜いた。壮絶な戦いは、「予選」の厳しさをまざまざと見せつけた。
だが何より印象的だったのは、この「生か死か」というような試合が、非常にクリーンでフェアだったことだ。94年ワールドカップ決勝主審プール氏(ハンガリー)は、この夜のウェンブリー・スタジアムで、一枚のカードも出す必要がなかった。見る者に心からの感動を与えた最大の理由は、そこにあった。
3月を迎え、日本のサッカーシーズンが開幕する。Jリーグでは、今季は「大物」と呼べる外国人選手の補強はない。だがそれだけに、チームのために全力で戦う本物のプロフェッショナルばかりと期待したい。そして何よりも、日本の若い選手たちが力を伸ばし、リーグを盛り上げる活躍を見せてほしいと思う。
だが今季のJリーグに最も期待したいのは、「激しくて、しかもフェアな」ゲームだ。
Jリーグのテレビ視聴率は一昨年から大きく落ちている。その落ちた分には、Jリーグの「きたない」プレーに嫌気がさした人が少なくないはずだ。とくに最近になって初めてサッカーという競技を見た人では、その率が高いだろう。
ずっとサッカーを見てきた人には何でもない行為、あるいはサッカーをやっている人が「戦術的行為」とさえ思っているプレーが、このような人にはひどくきたないと映っているのだ。
一対一で負けそうになったときに相手のシャツやパンツをつかむ。FKのときに規程の距離まで離れようとしない。相手のFKやスローインになったときになかなかボールを渡さない。FKやPKをもらおうと、当たられてもいないのに派手に吹き飛んで見せる。何よりも、主審や副審の判定に異議を唱える。
どんなに高いテクニックとチームプレーでスピードあふれる試合を見せても、どんなに見事なゴールシーンがあっても、その間にこんな行為を見せられたら、心ある人が嫌気がさすのは当然だ。
観客数が大きく落ち込んだJリーグの各クラブは、今季、まさに「あの手この手」で入場券を買ってもらおうと努力している。だがスタンドにファンを呼び、テレビ中継の視聴者を増やすの何よりも肝心なのは、「ゲームで感動を与える」ことだ。それには「フェアプレー」が欠くことのできない要素なのだ。
フェアプレーを実現するのは、選手たちの自覚と、それを引き出すチームの姿勢にほかならない。それはサンフレッチェ広島の例を見れば明白だ。
S・バクスター監督が率いた94年まで、サンフレッチェは他を大きく引き離してイエローカードの少ないチームだった。だが95年に監督が代わると、他のチームとまったく変わらない数字になった。一方、バクスター監督を迎えたヴィッセル神戸は、昨年JFLで「J昇格」をかけた激戦を続けながらイエローカードの最少記録をつくった。
激しさを忘れてはならない。だがその上にフェアなプレーで本物の感動を与えることができるか。今季だけでなく、Jリーグの未来がそこにかかっている。
(1997年3月3日)
ヘディングでも、スローインでも、味方からのすべてのパスに対して、ゴールキーパーは手を使うことができなくなる? 延長戦にはいる前にPK戦をやってしまう?
ルール改正の話題がにぎやかだ。国際サッカー評議会(IFAB)の定例会が3月1日に北アイルランドのベルファスト郊外で開催されるからだ。
サッカーのルールを決めているのは国際サッカー連盟(FIFA)と思っている人が多いかもしれない。だが、実際には、FIFA外の組織である「国際評議会」が毎年一回の定例会ですべてを決定している。
この国際評議会の構成がおもしろい。メンバーはイングランド、スコットランド、ウェールズ、そして北アイルランドという英国の四協会とFIFAの5者。サッカーの実力や成績、あるいは近年の「サッカー政治」とは無関係に、英国の4協会が厳然たる存在になっているのだ。
そもそもは1882年に4協会がマンチェスターに集まり、ルール統一会議をもったことから始まった。1904年にFIFAが誕生したが、まだ力も弱く、評議会のメンバーに加えられたのは、なんと1913年のことだった。
しかし現在は、見かけ以上にバランスのとれた組織になっている。FIFAには200近くの加盟協会があり、それを束ねたものが4協会と同じ立場ではおかしいように見えるかもしれない。だが、現在の「持ち票数」は4協会の各国「1」に対しFIFAが「4」。ルール改正は投票制で、4分の3以上の賛成が必要となっているので、FIFAが反対すればルール改正はできないのだ。
かつてFIFAは「保守的」と非難された。1925年にオフサイドルールを「3人制」から「2人制」に改め、60年代に選手交代を認めた以外には、大きなルール改正をしてこなかったからだ。
だが80年代以降、次々とルール改正が行われている。これは、「より観客を楽しませるサッカー」「よりスピーディーなゲーム」を目指すFIFAの方針が国際評議会に反映されている結果にほかならない。
さて、今週土曜日の定例会ではいくつかの大きな改正が有力視されている。
ひとつは「バックパスルールの限定条件の削除」。これまでGKが手を使うことができないのは「足」の部分を使ってのバックパスだけだったのを、味方からのパス全般に拡大しようという案だ。ヘディングでのバックパスや、スローインを受けるときにも、GKは手を使うことができなくなりそうだ。
さらに、GKがキャッチしたボールを保持できる時間を、原則として5秒以内とする新ルールも採用されることになるだろう。
また、PKのとき、これまでGKはキックされるまで足を動かすことはできないルールだったが、ゴールライン上に限って動いてもいいことになりそうだ。
一方、勝ち抜きシステムの大会で、引き分けのときに延長にはいる前にPKを行い、延長で決着がつかなかったときに初めてPK戦の結果が生きるという方法は(FIFAの審判委員会の賛成にもかかわらず)、採用されないだろう。無駄な時間になるし、PK戦で勝ったほうが延長戦で消極的な試合運びになるのは目に見えているからだ。
3月1日に国際評議会で決まった新ルールは、FIFAを通じてただちに各国協会に通知され、7月1日から世界中で施行される。それは国際試合やプロリーグだけの話ではない。少年サッカーも草サッカーも、一切例外はないのだ。
(1997年2月24日)
先週Jリーグが発表した登録選手名簿を、ちょっとニヤニヤしながら見た。今季から「背番号登録制」となったからだ。
昨季までは試合ごとに先発選手が1から11番を付けた。交代選手は12から16番だった。今季からは選手が固有の背番号をもち、シーズンを通じてそれを付けて試合に出場する。
カズは11番、ストイコビッチは10番、井原は4番。このへんは当然だろう。
ガンバのMF今藤は4シーズンのうちに2番から11番まですべての番号でプレーしたが、8番に落ちつくことになった。フリューゲルスからヴェルディに移籍した前園は約束どおり7番。アントラーズの10番は昨年までヴェルディでずっと7番だったビスマルクだ。
興味深いのは、ヴェルディが石塚に10番を与えたことだ。「才能は若手でトップクラス」と言われながら、なかなかでレギュラーポジションをとれなかったが、今季はこの背番号にふさわしい活躍を見せてくれるだろうか。
実のところ、私は1から11番で試合をする昨年までの方法が好きだ。固定制にすれば、当然大きな番号を付けた選手が出場する。プロの雰囲気が台無しだ。シーズン途中に世界的なスター選手が移籍してきても、37などという番号になる。許しがたいことだと思う。
とはいっても、これは純粋に「趣味」あるいは「美意識」の問題だ。サッカーの質自体には関係がない。だからあまりうるさいことは言わないことにする。
日本のサッカーでは、固定制は目新しいものではない。1965年に日本リーグが誕生したときに、「ファンに選手を覚えてもらおう」と固定制にした。
日本リーグ時代には、実力があっても新人の年にはレギュラー番号を与えられないケースも多かった。あの釜本さえ、一年目は背番号20だった。カズもブラジルから帰国した1年目には24番を背負っていた。現在のファンに想像できるだろうか。
Jリーグに移行するときに廃止した固定制を復活させたのは、ヨーロッパの流れに追随しているからにほかならない。
イングランドでは数年前に固定制を導入た。これによってシャツの背中に選手名がはいり、レプリカユニホームの売り上げなどマーチャンダイジングの面で大きな成功を収めた。それを見たイタリアが95年に固定制に変え、他の西ヨーロッパ諸国も昨年までに大半が切り替わった。
Jリーグでは選手名ははいらないようだが、レプリカユニホームはよく売れるようになるだろう。
ところで、固定背番号というと、どうしても外すことのできない話がある。
オランダ・リーグでは、70年にファン獲得のために固定制を採用した。当時のヨーロッパでは画期的なことだった。そのとき、アヤックスのある若い選手が「何番にする?」と聞かれてこう答えた。彼は当時すでに国内のトップスターだったから、何番でも優先的に選ぶことが許された。
「10番といえばペレ、9番といえばディステファノのイメージだ。僕は、誰でもない、僕のイメージをつくりたい」
そう言って彼が選んだのが14番だった。ヨハン・クライフ。この若者はほどなく世界のトップスターとなり、14番は世界中のサッカー選手の新しいあこがれの番号となったのだ。
せっかく固定制にしたのなら、どの選手も、自分の番号が少年たちにあこがれられるようがんばってほしい。番号が選手をスターにするわけではない。選手のすばらしいプレーが、番号を光り輝かせるのだ。
(1997年2月17日)
日本代表チームはワールドカップへの道を3月23日のオマーン戦でスタートする。だが4人の日本人が、その1カ月前に「フランス98」の予選の舞台に立つことは、残念ながらあまり注目されていない。
2月22日に香港で行われるアジア第1次予選のグループ6「香港×韓国」戦に、主審として小川佳実氏、副審として広島禎数氏と石山昇氏、そして予備審判として片山義継氏が国際サッカー連盟(FIFA)から指名されたのだ。
アジアの予選は昨年9月にグループ10の6試合が行われたが、その他の9グループはすべてことしにはいってから。香港×韓国戦は、その皮切りとなる重要な試合だ。
そうした試合の主審に小川氏が指名されたのは、昨年10月のアジアユース選手権(韓国)で見事な笛を吹き、絶賛されたことが大きい。小川氏は決勝戦の主審を任されたのだ。
昨年12月にUAEで行われたアジアカップでは、やはり日本の岡田正義氏が「大会ナンバーワン」の評価を受けた。この大会で岡田氏は準決勝まで3試合の主審を務めたが、いずれもすばらしい出来。豊富な運動量、スピード、ゲームの流れの読み、そしてアドバンテージの適用など、文句のつけようがなかった。
昨年の途中まで「線審」あるいは「ラインズマン」と呼ばれていた副審(アシスタント・レフェリー)にも、優れた人材がそろってきた。
以前は副審は主審より地位が低いと考えられがちだったが、FIFAが「国際副審」を導入し、「副審は専門家に任せる」という方針をとったことから、「副審としてワールドカップに行きたい」と志す人も出てきた。広島氏、石山氏らはJリーグでも副審専門で活動している。
Jリーグでは、批判されることはあっても滅多にほめられるこなどないレフェリーたち。しかし日本人レフェリーのレベルは、Jリーグの誕生が刺激となり、また世界的な名手のスピーディーなプレーがすばらしい経験となって、ここ数年間で大きく上がっている。2月のワールドカップ予選への指名、岡田氏の活躍はその何よりの証明だ。
ワールドカップは、世界中の選手にとっての夢である。決勝戦終了後にあの黄金のカップを受け取ることを夢見ない少年はいない。Jリーグのスターたちも、日本代表になってワールドカップに出場することを大きな目標としている。
だが同時に、レフェリーたちにとっても、ワールドカップは大きな夢なのだ。まず参加すること、そして一試合でも多く笛を吹き、あるいは副審を務めて、決勝戦に近づいていくこと。そこに向かって努力を続けていない人はいない。
ワールドカップに参加できるレフェリーは世界中でほんの数十人。アジアからは主審、副審を合わせてもせいぜい4、5人だろう。そのなかにはいることは至難の業といっていい。
過去、2人の日本人レフェリーがワールドカップの大舞台に立っている。丸山義行氏が70年メキシコ大会で線審を務めて先鞭をつけ、86年メキシコ、90年イタリア大会では高田静夫氏が計3試合の主審を務めた。
そしていま、新しい世代が日本の審判界をリードし始めようとしている。経験と実力だけでなく、若さもある。岡田氏、小川氏、片山氏、石山氏は全員30代後半、そして広島氏は34歳だ。
来年のフランスで、日本代表の青いユニホームとともに、日本人レフェリーのはつらつとした審判ぶりが必ず見られるはずだ。
(1997年2月3日)
「前園問題」はいつ決着がつくのだろうか。
横浜フリューゲルスと契約更改交渉が決裂した前園真聖選手(23)に対し、ヴェルディ川崎が獲得の意思を示しているが、「移籍金」がネックになって交渉は難航している。
日本サッカー協会(Jリーグではない)は「選手移籍規程」に基づき「移籍金算定基準」を定めている。規程の文言は非常にわかりにくいので、少し「翻訳」して紹介しよう。
「所属クラブとの契約が満了したプロ選手が、プロ選手として他のクラブに移籍するとき、契約満了後30カ月以内の移籍なら、移籍元のチームは移籍先チームに『算出基準』で算出される金額を上限とする移籍金を請求できる」(選手移籍規程第九条第四項)
「22歳以上25歳未満の選手の移籍金は、年俸の6倍である」(移籍金算出基準第三条第一項)
フリューゲルスが4億5000万円と伝えられる移籍金を要求するのは、これらの規程を根拠としている。ところがヴェルディは「出せても3億円程度」と、話がまとまらない。
Jリーグ誕生以前は、移籍は自由だった。1つの会社を辞職して同業他社に就職するようなものだったからだ。だから柱谷哲二選手(日産からヴェルディ)など大物の移籍もあった。
そのままでプロにしたら大混乱になると、移籍規程が整備されたのが92年。「算出基準」も、そのときに定められたものだ。
Jリーグ開幕の前年に作られた規程である。プロとして成功するかどうかまったく未知数の年。当然、年俸が現在のように高騰するとは、誰にも予想できなかった。だから六倍などという係数が生まれたのだ。
だがJリーグは1年目から成功を収め、年俸の伸びも予想を大きく上回った。当然、移籍金も莫大な額となり、以来、積極的な移籍はひとつもなかった。
ジェフ市原の城彰二選手の横浜マリノスへの移籍が決まるなど、時代は急速に変わりつつある。だが積極的な移籍を行おうと考えたとき、現行の基準は大きなネックとなっている。「前園事件」は、まさにその事例なのだ。
ところで、移籍金は通常どう決まるのだろうか。
ひとつは選手の「能力開発」にかけた費用の回収である。国際サッカー連盟も「移籍金」の正当性の根拠をここに置いている。
もうひとつの要素が「市場価格」だ。プロのサッカーが成熟したヨーロッパでは、選手の市場価格は妥当な範囲で決まっている。だがこれまで日本には「マーケット」がなかった。
契約更改交渉の経過で前園選手とフリューゲルスの間で大きなすれ違いがあったのは確かだ。どちらかの誠意が欠けていたのか、慣れないための不手際だったのか、あるいは誰かの「悪意」があったのか、それは定かではない。
しかしここまできたら、フリューゲルスはビジネスに徹し、移籍(商売)を成立させることに全力を注ぐべきだ。これまで前園選手にかけてきた費用、彼がチームになしてきた貢献、そして23歳のドメスティックなスター選手の適正な市場価格を、冷静に判断しなければならない。考えるべきことは、この移籍で得る資金をクラブの将来、チームの強化のためにどう役立てるかであるはずだ。
同時に、前園選手は、この移籍で移籍先のクラブに対してこれまで以上の大きな責任が生まれることを自覚しなければならない。
こうしてクラブや選手が移籍を積極的に考え、行動することは、日本のプロサッカーの成熟に大きなプラスになるはずだ。
(1997年1月27日)