サッカーの話をしよう

No.196 夏季に大事な水分の補給

 本格的な梅雨がこないままに台風がふたつ通り過ぎて、関東地方は猛烈な暑さに襲われている。
 夏休みを迎えると、小学生から高校生を中心に多くの「大会」がある。サッカーのような競技を真夏の昼間にやるのはあまり健康的ではない。本来ならこの時期の大会は避けるべきだと思うが、学校の関係で、どうしてもこの時期に集中することになる。
 であればせめて、「3日連続」や、「1日2試合」などという無茶な大会はやめてほしいと思う。大会運営の都合で少年少女やユース年代のプレーヤーの健康を損ねる権利は、教育委だろうとサッカー協会だろうと、大人たちにはない。
 ところで、選手たちにとってこの時期は、練習や試合、そして日常生活での体調の管理が重要だ。なかでも、水分の摂取はとくに大きな意味をもっている。

 サッカーの試合中に選手が水を飲むようになったのは、86年、2回目のメキシコ・ワールドカップからだった。ヨーロッパへのテレビ中継のために、メキシコでの大会では正午キックオフなどという無理が通された。70年大会ではどのチームも暑さで運動量が大きく落ち、その結果ブラジルがテクニックを生かして優勝することができた。
 しかし86年大会までにはスポーツ医科学の研究が大きく進んでいた。動きが落ちるのは体温の上昇が原因であり、体温上昇を防ぐには水分をこまめに補給することが有効であるとわかっていたのだ。
 ハーフタイムまで45分間走り回ったら渇水状態になり、体温上昇は防げない。試合中にも水分補給をしなければならない。そこで86年ワールドカップでは、ビニール袋に入れた水をピッチ内に投げ入れる方法がとられた。その結果、試合は70年大会とは比較にならないほどスピーディになった。

 その後、FIFA(国際サッカー連盟)はこうした酷暑の試合でなくても試合中の飲水を許すようになった。ただし試合中に投げ入れるのは見苦しいと、現在ではタッチラインの外に水のボトルを置き、プレーの中断中(ボールが外に出たりFKが行われる前など)に飲むことになっている。
 試合の前からたっぷりと水分をとっておく。試合中には、喉が渇く前に、よく冷えた水を1回に200cc(コップ1杯)ほど飲む。それで体温の上昇を防ぐことができる。そしてパフォーマンス(プレーの出来)を落とさずに済むのだ。
 大事なのは「よく冷えた水」という点だ。水分の吸収は小腸で行われるが、ぬるいと水は胃にとどまり、逆に動きを悪くする。それに対し冷水は胃を通過してまっすぐ小腸まで行き、すぐ吸収される。Jリーグや日本代表などでは、ハーフタイムにすべてのボトルを交換している。

 「試合中に水を飲んだほうがいい」ことは、いまではよく知られている。しかし若い選手たちはなかなかこれができない。どうしても限界までプレーしてしまい、気づいたときには動きが極端に落ちている。チームの勝敗に影響するだけでなく、選手個人の健康面にも良くない。
 「水を飲むのも技術のうち」と、日ごろから意識づけ、タイミングよく水分をとらせなければならない。
 大事なことは、こうしたことを通じて、自分の体を見つめ、自ら管理する習慣や能力を、サッカーに取り組む少年少女たちに芽生えさせることにある。コーチから「水を飲め」と言われて飲むようではいけない。あらゆる面で「自立」した選手になることが、サッカーにおいても人生においても重要なことなのだから。

(1997年7月7日)

No.195 ユース代表コーチは自信を与えるべき

 若いチームをコーチする者にとっていちばん大事な仕事とは、いったい何だろうか。マレーシアでワールドユース選手権を見ながらそんなことを考えた。
 20歳以下のユースといっても、参加チームの状況はまちまちだ。大半が若手プロのチーム、全員がアマチュアのチーム、外国のプロで働く選手が数人いるチーム。中国はチーム全員で3年間も「ブラジル留学」していたという。
 そうしたなかで、日本は数少ない「大半がプロ」のチームだった。だがそれはプロリーグが誕生したばかりで、若い選手にチャンスが与えられているからにほかならない。プレーそのものが「プロ」の名に値するかどうかは別の話だ。
 その日本の初戦の相手はスペインだった。バルセロナなど世界的な超一流クラブ所属選手を中心にしたチーム。ヨーロッパ予選では準優勝という強豪だ。

 試合が始まるとスペインが圧倒的に攻め込む。スピード、パワーだけでなく、試合運びのうまさ、個々の決断力などで日本を自陣に追い詰める。そして1点をリードする。前半の45分間を通じて日本は消極的そのもので、何もできないといった状況だった。
 だがゲームは後半になると一変する。日本がうって変わって積極的になり、次々とチャンスをつくる。抜け目のないスペインが逆襲から1点を加え、結局は1−2で敗れたものの、後半のプレーだけで日本の評価は大きく上がったのだ。
 この日、日本チームの山本昌邦監督は「最初は相手のペースになるだろうが、2、30分で疲れるはず。立ち上がりは慎重に、相手の動きが落ちてから思い切り攻めろ」と言って選手を送り出したと話した。

 百戦錬磨のチームなら的確な指示だろう。だが日本のユース選手たちはゲームのなかで「流れの変化」をつかみ、プレーを変えられるほど成熟してはいなかった。だから45分間を無駄にしてしまったのだ。
 「君たちのもっているものをすべて出せば必ず勝てる。相手を恐れず、日本のサッカーをやろう」
 山本監督はこう言って送り出すべきだった。そうすれば、前半の45分間はまったく違ったものになったはずだ。
 日本の若い世代は、技術面ではすで世界でも高いところにいる。ただ国際経験が足りず、相手の「名前」に遠慮してしまう。
 サッカーというのは、心理面が非常に大きな要素を占めるゲームだ。自らの力に自信がもてないチームはそれだけで大きなハンデを負うことになる。

 Jリーグの名古屋グランパスと浦和レッズは93、94年に下位に低迷した。だが95年に急速に力をつけ、優勝を争うまでになった。この年に就任したベンゲル、オジェックの両監督が何よりも優先したのが、選手たちを勇気づけ、「自分たちにもできる」と自信をもたせることだった。
 若い伸び盛りのチームでは、「自信」のもつ要素がことに大きい。そして彼らは、どの程度力がついたのか、自分自身では正確に知ることはできない。コーチの役割はより重要だ。
 日本ユース代表の山本監督は優秀なコーチだ。チームづくりもうまいし、ゲームに対する洞察力も鋭い。しかし今回のユース代表に必要だったのは、何よりも大会準備の段階で選手たちに「自信」を植えつけることではなかったか。
 若いチームをコーチする者にとっていちばん大事な仕事とは、何よりも彼らに自分自身の力を信じさせることに違いない。「自分にもできる」と心から思うことによって、選手は初めて成長が可能になるのだ。

(1997年6月30日)

No.194 CM出演にも責任感を

 マラソンの有森裕子選手が「プロ」になる問題でひとつ驚いたことがある。競技ではなくCM出演の可否が争点だったことだ。「レースに出ずにプロになる」という、スポーツ選手としては本来矛盾した話が、堂々と新聞に載るのにはびっくりした。
 
 しかし、その有森選手が出演するCMが最近テレビで流れるようになって、私は「なるほどな」と感心した。有森選手が、出演するCMを選んでいるのではないかと推測されるからだ。牛乳やスポーツ飲料など、「スポーツのプロ」にふさわしい商品のCMだ。
 野球やサッカーなど、たくさんのプロスポーツ選手がテレビのCMに出演している。しかしそのなかには「プロ選手」としてふさわしくないものが少ないないように思える。
 スポンサーがプロのスポーツ選手をCMに起用する理由は「知名度」だけではない。スポーツがもつさわやかではつらつとしたイメージ、そして何よりも、十代の少年少女たちに強くうったえる力をもっているからにほかならない。
 
 とくにサッカーは、若い世代に人気のあるスポーツだ。サッカー選手がCMに起用されるのは、小学生から高校生ぐらいまでの男の子をターゲットにした商品が圧倒的に多い。
 だが残念なことに、現在サッカー選手が出演しているCM商品には、少年たちの健全な発育に良くない影響を与えるものが少なくない。スナック菓子、インスタントラーメン、炭酸ドリンク・・・。これらはすべて、成長期の少年たちの発育を妨げるものだ。
 しかも、Jリーグの各クラブでは、プロ選手としてどんな食生活をすべきかをしっかりと教育している。選手たちは、こうした食品の弊害をよく知っているはずである。それを少年たちに勧めているのだ。
 
 このような事態はサッカー選手に始まったことではない。日本では、「CM出演者の責任」が問われることはまずないからだ。
 欠陥商品、ときには詐欺商品が摘発されても、その商品の販売に「貢献」したCM出演者の責任は追求されることはない。だから歌手も俳優も、ひとつの「条件のいい仕事」として気楽にCMに出演する。だがプロのスポーツ選手もそれでいいのだろうか。
 Jリーグの選手たちの生活は、少年を中心としたファンに支えられている。その少年たちを害する商品のCMに出演することは、重大な裏切りではないか。
 
 「青少年に害悪」といえば、最も重大なのがタバコだろう。以前、国際サッカー連盟(FIFA)はタバコをワールドカップの公式スポンサーのひとつとして認めていたが、現在ではそれを排除している。(日本サッカー協会は依然としてスタジアム内に掲出する広告看板にタバコを許している。それは全国でテレビを見ている少年たちに「タバコを吸いなさい」と勧めているのと同じだ)。
 現在では、タバコのCMに出演しているスポーツ選手はいない。ここには、はっきりと「線引き」がされているのだ。
 とすれば、いましなければならないのは、この「線引き」の基準を選手自身が見直すことではないか。
 
 スポーツ選手のCM出演には、それにふさわしい基準があるはずだ。とくに青少年に人気のあるサッカーでは、無責任なCM出演は慎まなければならない。
 選手たちは、自分のドリブルやシュートにあこがれる少年たちが、自分の「スタイル」をすべて真似しようとすることを強く意識しなければならない。CM出演には、そこまでの責任が伴っているのだ。

(1997年6月23日)

No.193 プロ意識なき監督批判

 「読売クラブ、日本代表チームと、たくさんの監督の下でプレーしてきた。それも僕の財産ですよ」
 加藤久氏(現在ヴェルディ川崎監督)からそんな言葉を聞いたことがある。
 サッカー選手は、選手生活のなかで数多くの監督に出会う。トップクラスでは通常、2、3年で監督が交代するから、10年以上同じクラブにいても、選手はそのたびごとに新しいチーム方針への適応を迫られる。選手としての成長には、こうした変化への対応が大きな意味をもつのだ。
 その加藤監督が苦境に立たされている。Jリーグ第1ステージの3分の2が終わった時点で16位。クラブは外国人のヘッドコーチ起用を決断したという。

 不調の原因は単純ではない。不運もある。カズやアルジェウなどの相次ぐ負傷は響いた。また加藤監督が目指した「長期戦を戦い抜くための層の厚いチームづくり」も思うようには進まず、逆にチームを不安定にする結果を招いた。
 だが何よりも大きな原因は、選手たちの「プロ」としての自覚の低さではないか。私にはそう思えてならない。今季のヴェルディの試合からは、選手の「必死さ」がほとんど伝わってこなかったからだ。
 サッカーには「自由」を尊ぶ風潮がある。Jリーグ時代を迎えテレビに登場したサッカー選手たちに一般の人が最も驚いたのは、彼らの服装、髪形、自分の意見を堂々と口にする態度だった。それは大学の体育会に象徴される旧来の日本スポーツの体質とはまったく異次元のものだった。
 それはそれでよい。だが最近、その「自由」の意味を考え違いしている選手が少なくない。その典型的な例が「監督批判」だ。

 選手が自分自身の意見をもち、それを表現するのは歓迎すべきことだ。監督のやり方に疑問があったり、間違っていると思ったら、はっきりとそう発言するべきだ。ただし、それは、監督自身に向かってなされなければならない。
 話し合って、納得がいけば言うことはない。だが仮に納得できなくても、その事柄に関する最終決定権は尊重しなければならない。すなわち、チームの戦術や選手起用は、監督の決定に従わざるをえないのだ。選手はそれをきちんと理解しなければならない。
 ところが最近は、「監督批判」が簡単にメディアに載る。そしてその多くが選手自身の未熟さを棚に上げた発言なのにあきれる。自分のプレーを反省もせず、敗戦の責任を監督の采配に転嫁する選手がなぜこんなに多いのだろうか。それが「サッカー選手の特権」とでも思っているのか。

 プロ選手であれば、いろいろな監督と「仕事」をしなくてはならない。好き嫌いの問題ではないのだ。であれば、監督にとことん食らいつき、その監督のもっているものをすべて引き出して自分の成長に役立てようという態度こそ、本物の「プロ」ではないか。
 今季、ヴェルディの選手たちにそのような「プロ」の自覚はあっただろうか。加藤監督に必死に食らいついていった選手が、とくに若手に何人いたのか。
 チームが不調なら、クラブは監督を代える。監督を更迭もせず、そのくせ監督の意向も聞かずに外国から「ヘッドコーチ」を呼ぶというヴェルディのやり方は理解を超えるが、通常は監督の首をすげ代える。それが最もてっとり早い「テコ入れ策」だからだ。
 だがそれで選手たちの責任が消えるわけではない。どんなサッカーだろうと、選手たちがとことん食らいついていかない限り、指揮官の交代がいい結果を生むはずはないのだ。

(1997年6月9日)

No.192 ユース代表にもJリーグ効果

 興味深い数字がある。
 98年フランス大会を含め、日本は10回のワールドカップ予選に出場しているが、これまでちょうど50試合を戦い、通算成績は22勝11分け17敗、得点91失点44。このうち90年イタリア大会までの8回の予選では、10勝8分け16敗と負け越し、得失点差はわずかに+1。ところが、94年アメリカ大会と今回の予選を合わせると、12勝3分け1敗、得点52失点6と、大きく勝ち越しているのだ。
 Jリーグ発足(日本サッカーの完全プロ化)の最大の目的は日本代表の強化だったが、数字で見る限り、これ以上なくうまくいっているといっていい。
 だが「Jリーグ効果」は代表チームだけに留まらない。その下の年齢層の代表が、次々と「世界」の舞台に飛びだしているのだ。
 96年アトランタ・オリンピックはまだファンの記憶に新しい。実に28年ぶりのオリンピック出場だった。それまで大きくたちはだかっていた「アジア予選」の壁を、23歳以下の選手で構成された日本は見事に乗り越え、世界の舞台でブラジルを倒した。
 それだけではない。20歳以下の「U−20日本代表」、17歳以下の「U−17日本代表」は94年に次々とアジア予選を突破し、95年に行われた世界大会で活躍している。
 この両方の年代の世界大会には、日本はそれ以前にも一度ずつ出場している。しかしそのいずれもが「地元」、すなわち日本で開催された大会だった。アジア予選を突破したのは、94年が初めてだったのだ。
 そして昨年10月、U−20日本代表は余裕たっぷりにアジア予選を勝ち抜いて世界大会への出場を決めた。その世界大会、第9回ワールドユース選手権は6月16日から7月5日までマレーシアの6都市を舞台に開催される。
 「前回はベスト8だったから、今回はベスト4を目指す。いろいろな地域のチームと、できるだけたくさんの試合をしたい。ベスト4に残れば7試合になるから、選手たちにとってすばらしい経験になる」
 山本昌邦監督(39)は力むことなくそう語る。西野朗監督を助けてコーチとしてオリンピックを経験した、日本期待の若手コーチのひとりだ。
 先週には18人の代表選手も発表された。静岡学園高校のGK南雄太以外はすべてJリーグのプロ選手である。DF古賀正紘(名古屋)、MF中村俊輔(横浜M)、FW柳沢敦(鹿島)など、2002年のワールドカップの中心と期待される選手も多い。
 前回、95年にカタールで行われた第8回大会、日本はスペイン、チリ、ブルンジと組んだグループを2位で突破してベスト8に進出した。準々決勝ではブラジルを相手に1点を先行したが、前半のうちに逆転されて1−2で敗れた。
 だが世界の強豪と互角に近い試合ができたことは、日本の若い世代全体に大きな自信を与えた。日本から2点をとったラウルは、すでにスペイン代表のエースに成長しており、最近80億を超す巨額で移籍の申し込みを受けた。そんな世界のスターと対等に戦った経験が、プラスにならないわけがない。
 今回の日本の初戦は6月18日の対スペイン。そして1日おきにコスタリカ、パラグアイと続く。
 山本監督は、成績よりも「いい経験をすることが大事」と強調する。
 「このチームが2000年シドニーオリンピック、2002年ワールドカップにつながってほしい」(山本監督)という願いは、日本のサッカーファン全体に共通するものだ。

(1997年6月2日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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