
ちょっとしたプロ選手になった気分だった。
一流のスポーツトレーナーが私の体を懸命に手入れしてくれるのだ。全身をマッサージしてリラックスさせ、その後に鍼(はり)やオイルで丹念に治療を施し、最後はキネシオという特殊なテープで保護してくれる。それも週2回、1カ月以上にもわたって...。
1月半ばから、日本サッカー協会公認のC級指導者養成講習を受けた。Jリーグの監督をするために必要なコーチングライセンス「S級」の下が「A級」、その下が「B級」で、「C級」はさらにその下。いわばサッカーコーチ学の入門編といったところだ。
しかし「入門編」といっても、講義や実技・指導実践を含めて50時間という講習は非常に内容が濃く、日本のサッカー指導の充実ぶりとレベルの高さが実感されるものだった。私が受講したコースは週末ごとの開催だったが、1カ月間、講習のことが頭から離れたことはなかった。職業柄、何十年間もサッカーのことばかり考えているのだが、この1カ月間は格別で、目を開かされる思いの連続だった。
充実した、楽しい日々だった。最終日には、いっしょに受講した仲間の多くが、こんなに充実した日々が終わってしまうのが寂しいと、異口同音に語った。しかし私にとっては、同時に、不安で苦しい日々でもあった。
私は、10年ほど前に両足のアキレス腱を断裂寸前のところまで痛めた。実技では1日に6、7時間もプレーしなければならず、指導実践では指導を受ける選手役をこなさなければならならない。かなりハードだと聞いていたので、昨年末にこの講習の受講が決まって以来、1月中旬にスタートするまでにできる限り体調を整えておこうとトレーニングを始めた。
ところが開講の直前、逆に古傷を悪化させてしまった。日本代表チームやJリーグのクラブにトレーナーを派遣している有名なマッサージ治療院に駆け込み(実際には「這い込み」)、治療を受け、テープで保護してもらって、不安のなか受講が始まった。
以後は、月曜日に治療を受け、金曜日にもマッサージとテーピングしてもらって週末の講習を受けるという繰り返しとなった。毎週月曜日には歩行さえ困難だった私のアキレス腱。この治療がなければ、とても最後まで続けることはできなかっただろう。
治療を受けながら、私は、最後までがんばらなければならないという気持ちがどんどん強くなっていくのを感じていた。「何としても、この足で最後までグラウンドに立たせよう」というトレーナーの思いが、彼のひと押しひと押しから伝わってきたからだ。
日本代表クラスの一流選手たちの筋肉の手入れをするトレーナーが、悪質なうえにぼろぼろな私の体にこんなにも真剣になり、そして心を込めて治療にあたってくれている。それを無駄にすることはできないと思ったのだ。
トレーナーの人たちだけではない。私の周囲で、いろいろな人が応援し、支援してくれていた。女子チームの選手たちは、練習のたびに「がんばれ」と声をかけ、講習の期間、週末の練習や試合に出られない私を応援してくれた。
熱意あふれる指導をしてくれた講師やインストラクターの人びと、足を引っぱってばかりの私に文句も言わず、黙ってカバーし、励ましてくれた受講生仲間...。私にとってのC級指導者養成講習会は、サッカー指導の目を開かせてくれただけでなく、いろいろな人びとに助けられて自分がいるということを、改めて思い起こさせる機会となった。
きょうは3月9日。「サンキュー」の日。自分を助け、支えてくれているいろいろな人びとのことを思い、心のなかだけでも、「ありがとう」と言ってみることにしよう。
(2005年3月9日)
3月30日のワールドカップ予選、バーレーン戦のチケット申し込みが81万枚を超したという。会場となる埼玉スタジアムの収容定員は6万3700人だから、13倍という高い競争率だ。
あれほど盛り上がった2月の北朝鮮でさえ、申し込み枚数は約35万だった。北朝鮮戦の劇的な勝利が、ワールドカップ予選に対する関心をあおりたて、熱心なファンさえチケット入手が困難な状況をつくり出してしまったようだ。
さて、その予選を無事に勝ち抜くことができれば、次は来年6月にドイツで開催されるワールドカップ決勝大会のチケットが気になるところ。実は、すでに販売の受け付けが始まっているのだ。
日本代表が初めてワールドカップに出場した98年フランス大会では、日本の旅行会社の多くが詐欺にあって必要な入場券を入手できず、ツアーを申し込んでフランスでの応援を楽しみにしていたたくさんのファンを悲しませた。地元開催の2002年大会には、高倍率の抽選を乗り越えても、国際サッカー連盟(FIFA)管理下のチケットビューローからの配送が遅れたり、大量の売り残しが出るなど、トラブルが相次いだ。
「チケット販売は、ワールドカップの運営で最も重要で、しかもデリケートな案件。適切で、しかもわかりやすいシステムを、私たちは全力を挙げて構築する」
2003年8月、ドイツ大会組織委員会会長のフランツ・ベッケンバウアーはそう宣言した。
2002年大会では、チケット販売はFIFAが一切を取り仕切ったが、粘り強い交渉の末、ベッケンバウアー会長はそれを地元組織委員会の手に取り戻した。会長の下でチケット販売を担当するホルスト・シュミット副会長は、32年前、1974年のワールドカップ西ドイツ大会でもその業務の責任者だったという大ベテランの専門家だ。
実はこのときの交渉で、ベッケンバウアー会長は、大会時の宿泊に関する業務もFIFAの手から取り戻している。彼がこの2つにこだわったのは、「ファンにできるだけ安価でワールドカップを楽しんでもらいたい」という意図からだった。
そのおかげで、チケット料金は2002年大会と比べると大幅に下落した。たとえば、1次リーグの試合で最も安い「カテゴリー4」という券種なら、35ユーロ(約4900円)。2002年大会で最も安いチケットは7000円だったから、ちょうど3割安くなったことになる。決勝戦の最も安いチケットは120ユーロ(約1万6800円)。2002年大会の半額だ。
そのワールドカップ・チケットの第1次販売受け付け、81万2000枚分が、2月1日から始まっている。申し込み用紙は、インターネット、ファクス、郵送などで入手することができる。締め切りは3月31日。その日までに申し込みのあったものを4月中旬に抽選し、当選者には順次通知されるという。
開始されてわずか2日間で100万枚以上の申し込みがあったというが、その後は沈静化し、2月末現在で申込者数約40万人、チケット枚数にして約220万という数字だという。その大半はヨーロッパからの申し込みで、ドイツ国内からのものが全体の85パーセントにもなる。EU(欧州連合)の法律により、「ドイツ国内限定販売」ということができないのだそうだ。
今大会全64試合の総キャパシティは337万席。そのうち293万席が販売に回される。第1次の抽選で外れても、来年の4月までにあと3次にわたる販売が行われ、5月からは返却されたチケットの販売も行われる予定だという。いずれにしても競争率は高いが、行こうと思っているなら、早いうちに動き始めたほうがいいかもしれない。
(2005年3月2日)
「頭が出たらオフサイド、手が出てもオンサイド?」
年にいちど開催されて今年が第119回になる「国際サッカー評議会」(IFAB)の年次総会が、今週土曜日(26日)、イギリスの南ウェールズ、カーディフ市の郊外にあるミスキン・マナーと呼ばれるホテルで開催される。
サッカーの競技ルールの改正ができる唯一の機関であるIFAB。サッカー発祥の地であるイギリスの4つのサッカー協会(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)と、国際サッカー連盟(FIFA)の五者で構成されている。
ルール改正には、8つの投票権のうち4分の3、すなわち6票以上が必要だ。投票権は、イギリスの各協会が1票、FIFAが4票という内訳だから、イギリスだけでは決められない、FIFAだけでも決められない。FIFAの会長がどんなに「優れた」アイデアを思いついても、競技ルールはすぐには変えられないというところに、この制度の今日的な意味がある。
さて、ことしのIFABでは、16のルール改正案が検討のまな板に乗る。提案者は、5案件がFIFA、10案件がウェールズ協会、そして残りの1案件がスコットランド協会。開催地元のウェールズの張り切りぶりがうかがえて、何かほほえましい。
だがそのなかには、「オフサイドになるのは、相手ペナルティーエリア内だけ」などという却下必至の提案もある。解釈を明確にするための条文表現の改訂など細かな提案を除くと、私が最も興味を引かれたのは、オフサイドに関するFIFAの提案だ。
「後方から2人目の相手競技者より相手ゴールラインに近い」という規定を明確にするため、この条項に新しく「国際評議会の決定事項」(ルールの条文外に規定され、ルールと同様の拘束力をもつ)を付け加え、「頭、体幹、足のいずれかが出ていれば」という表現を盛り込むというのだ。
ただし手あるいは腕が前に出ているだけではオフサイドにはならない。手では得点できないからというところに、たくまざるユーモアがある。
「前に出ているかどうか」の判断は、これまで明確な規定がなかった。ただ、レフェリー間の国際的な合意として、「体の中心線」を目安として判断してきた。もし今回の改正案が可決されれば、これまでの判断基準とは少し異なるものの、基準自体は明確になり、副審には大きな助けになるのではないだろうか。
この提案のほかにも興味深い改正案がいくつかある。ゴールした後に攻撃側の選手がボールを拾おうとすることへの妨害に対し、キックオフを遅らせる行為として警告にするというFIFAの提案。スローインのとき、相手チームの選手は1・83メートル(2ヤード)以上離れなければならないとするスコットランドの提案。無用なトラブルをなくすためにぜひとも可決してほしい提案だ。
ことしのIFABでは、スポーツメーカーのアディダス社から、特殊なICチップ型発信機を内蔵したボールの説明が行われる。機械によるゴール判定のためのボールだ。そして、その使用実験を承認するかどうか討議される。
1月にこの予定が発表されたときには、「FIFAが機械判定導入か」と、大きな話題になった。しかしこの討議はことしのルール改正とは関係がない。IFABから実験が承認されればことしのFIFAコンフェデレーションズカップ(ドイツ)で試し、結果を見て来年のIFABで正式な承認を受け、ワールドカップで使いたいというのが、FIFAの意向だ。
この派手な話題に、他の案件は影が薄くなってしまっている形だ。しかしことしのIFABにも、重要なルール変更の提案がいくつもある。それを見逃したくない。
(2005年2月23日)
先週の北朝鮮戦は予想外の苦戦だった。引き分けを覚悟したロスタイム、日本代表出場わずか2試合目、まだシュートを打ったこともなかったFW大黒将志(G大阪)のゴールが決まったときには、本当に信じがたい思いだった。
日本代表が苦戦した原因には、初戦の緊張感など自分たち自身のものもあった。しかしそれ以上に大きかったのが、北朝鮮の攻守がすばらしく、日本選手たちをあわてさせたという面も見逃せない。前半立ち上がりに日本に1点を喫した北朝鮮は、「守備的にプレーする」という予想に反し、全力で攻撃に出てきた。後半には、見事なパスワークから同点ゴールも決めた。
今回の試合は単なるワールドカップ予選の域を超えて社会的に大きな注目を集めた。もちろん、相手が北朝鮮だったためだ。プレーぶりが日本ではほとんど知られていない「神秘のチーム」とあって、1月中旬に中国の海南島で合宿をスタートすると、日本から多くの報道陣がつめかけ、取材合戦を繰り広げた。
おそらく、ライバルの情報を探ろうとこれだけの報道陣が出かけたのは、日本のサッカー史上初めてのことだっただろう。しかしその報道姿勢にはときおり違和感を抱かされるものがあった。「スポーツ報道」というより興味本位の「北朝鮮ウォッチング」のような報道もあったからだ。
選手や監督への執拗な取材、食事の場にまでカメラを入れるなど、日本代表を相手にした取材ではルール違反とされることも、堂々とまかり通った。こうした取材攻勢に慣れていない北朝鮮チームは、ずいぶん余計な労力を払わされたのではないだろうか。
そうしたなかで、私は、2人の選手の態度に深い感銘を受けた。日本で生まれ育ち、Jリーグのクラブに所属している安英学(アン・ヨンハッ=名古屋)と李漢宰(リ・ハンジェ=広島)の2人だ。
昨年12月に対戦が決まったときには、2人とも、祖父母の母国の代表としてプレーできることを誇りにするだけでなく、自分が育った日本の代表チームとの対戦を楽しみにしていると語った。北朝鮮のプレーの特徴を聞かれても、堂々と話した。
海南島ではこの2選手に日本の取材陣が殺到した。日本語を話すだけでなく、両選手が可能な限り取材に協力する姿勢を取ったからだ。毎日短いコメントを発するだけでも相当なストレスがかかったはずだ。しかし2人とも、いやな顔ひとつせずに取材に応じた。話しぶりは、疲労がピークの時期にも変わらなかった。ニュースで彼らが出てくるたびに、「すごい選手たちだ」と感心させられた。
私にとって、北朝鮮戦は純粋にワールドカップ予選の1試合だった。この1試合が影響を与えるのはワールドカップの出場権獲得争いだけで、現在の日朝関係に、プラスにしろマイナスにしろ、何らかの影響を与えることなどありえないと考えていた。
しかし安英学と李漢宰の言葉や態度は本当に立派で、私自身、彼らを通じて北朝鮮チームに対する親近感をもつことができた。同じように、彼らのおかげで、多くの日本人が純粋なスポーツのゲームとして試合を楽しむことができたのではないだろうか。
「結果は残念だったが、それ以上に意味のある試合だった。日本のサポーターも僕たち朝鮮代表にたくさんの拍手をくれたし、国歌にブーイングする人もいなかった」
今週月曜日、名古屋で記者会見した安英学は、いつもの穏やかな表情でそう話した。
国際関係を改善するためにスポーツを利用するのは正しいこととは思わない。しかし真摯で真剣なスポーツ交流の結果、対立する国の国民間に小さな理解が生まれるなら、本当にうれしいことだ。
(2005年2月16日)
「指導者は子どもの人権を守らなければなりません」
数年前、あるサッカーコーチを取材していたとき、こんな言葉にぶつかって、小さからぬ衝撃を受けた。サッカーの指導に「人権」という考え方が入れられているとは、考えてもみなかったからだ。
かつてのスポーツ指導では、相手が子どもでも体罰が当たり前のように行われていた。最近はずいぶん減っているようだが、それでも「言葉の暴力」はまだまだ横行している。叱らなければならないとき、「ばかやろう」「やめてしまえ」などという言葉を発する指導者が少なくないという。こうした言葉が、どれほど子どもを傷つけているか、指導者は考えてみるべきだと、そのコーチは力説した。
叱るときだけではない。安全や健康面の配慮がない練習や試合、子どもの発育・発達の過程を無視した過度のトレーニングなど、肉体面でも気を配らないと、スポーツ指導が虐待と同じになってしまうと言うのだ。
「子どもでも、一個の人格をもった人間です。その人権を守ることを、指導者は強く意識しなくてはなりません」
指導者は、ほとんど例外なく、子どもたちを愛し、うまくなってほしい、強くなってほしいと考えている。だがそうした気持ちがあるからと言って、どんなことをしても許されるというわけではない。
スポーツの指導を受ける子どもたちにとって、大人の指導者は「権威」そのものであり、非常に強い立場にある。チームのなかでプレーヤーを評価し、試合に出場させる権限をもった唯一の存在である「監督」という立場であればなおさらだ。指導者側が「愛のむち」と考える言葉や行為でも、「強者」によって行われたとき、「弱者」である子どもはそれから逃れる知恵もなく、深く傷つくことになる。
そう考えると、たしかに、子どもに対するスポーツ指導の基本的な考え方のひとつとして「人権の尊重」があることが理解できる。
法務省の資料によれば、子どもの人権に関して取り組むべき主要な課題として、「いじめ」、「体罰」、「児童虐待」の3つが挙げられている。スポーツ指導における子どもの人権侵害は、あまり問題視されていないようだ。しかし実際に調査すれば、数え切れないほどのケースが報告されるに違いない。
私はいま、日本サッカー協会の公認C級指導者養成講習会を受講している。主として12歳以下の少年少女を指導するコーチを養成するコースである。そこでは、いろいろな例を挙げて、子どもたちの人権を守ることが強調されている。数年前に話を聞いたコーチは日本協会の指導者養成プログラムの中心的な存在のひとりだったが、こうした講習を通じて、その考えが広まりつつあるようだ。
子どもたちはやがて大人になり、そのなかから次代の指導者が生まれる。彼(彼女)がもし、子どものときにひどくどなられるような指導ばかり受けていたら、彼(彼女)も、次世代の子どもたちの人権を侵す指導者になる可能性は高い。そうして受け継がれ、続けられてきたのが、かつてのスポーツ指導だった。
誤った連鎖は断ち切らなければならない。日本の社会全体が、スポーツの指導を子どもの人権に関する課題のひとつと認識し、早急に取り組む必要がある。
スポーツの振興は健康な国づくりの重要な柱に違いない。だがその前に、スポーツ指導のなかで子どもたちの人権が守られているか、もういちど見直す必要がある。仮にワールドカップに優勝するような日本代表チームができたとしても、それがもし、無数の子どもたちへの人権侵害の上につくられたものであれば、この国に幸せをもたらすものにはならない。
(2005年2月9日)