サッカーの話をしよう

No.544 安英学と李漢宰

 先週の北朝鮮戦は予想外の苦戦だった。引き分けを覚悟したロスタイム、日本代表出場わずか2試合目、まだシュートを打ったこともなかったFW大黒将志(G大阪)のゴールが決まったときには、本当に信じがたい思いだった。
 日本代表が苦戦した原因には、初戦の緊張感など自分たち自身のものもあった。しかしそれ以上に大きかったのが、北朝鮮の攻守がすばらしく、日本選手たちをあわてさせたという面も見逃せない。前半立ち上がりに日本に1点を喫した北朝鮮は、「守備的にプレーする」という予想に反し、全力で攻撃に出てきた。後半には、見事なパスワークから同点ゴールも決めた。
 今回の試合は単なるワールドカップ予選の域を超えて社会的に大きな注目を集めた。もちろん、相手が北朝鮮だったためだ。プレーぶりが日本ではほとんど知られていない「神秘のチーム」とあって、1月中旬に中国の海南島で合宿をスタートすると、日本から多くの報道陣がつめかけ、取材合戦を繰り広げた。

 おそらく、ライバルの情報を探ろうとこれだけの報道陣が出かけたのは、日本のサッカー史上初めてのことだっただろう。しかしその報道姿勢にはときおり違和感を抱かされるものがあった。「スポーツ報道」というより興味本位の「北朝鮮ウォッチング」のような報道もあったからだ。
 選手や監督への執拗な取材、食事の場にまでカメラを入れるなど、日本代表を相手にした取材ではルール違反とされることも、堂々とまかり通った。こうした取材攻勢に慣れていない北朝鮮チームは、ずいぶん余計な労力を払わされたのではないだろうか。
 そうしたなかで、私は、2人の選手の態度に深い感銘を受けた。日本で生まれ育ち、Jリーグのクラブに所属している安英学(アン・ヨンハッ=名古屋)と李漢宰(リ・ハンジェ=広島)の2人だ。

 昨年12月に対戦が決まったときには、2人とも、祖父母の母国の代表としてプレーできることを誇りにするだけでなく、自分が育った日本の代表チームとの対戦を楽しみにしていると語った。北朝鮮のプレーの特徴を聞かれても、堂々と話した。
 海南島ではこの2選手に日本の取材陣が殺到した。日本語を話すだけでなく、両選手が可能な限り取材に協力する姿勢を取ったからだ。毎日短いコメントを発するだけでも相当なストレスがかかったはずだ。しかし2人とも、いやな顔ひとつせずに取材に応じた。話しぶりは、疲労がピークの時期にも変わらなかった。ニュースで彼らが出てくるたびに、「すごい選手たちだ」と感心させられた。
 私にとって、北朝鮮戦は純粋にワールドカップ予選の1試合だった。この1試合が影響を与えるのはワールドカップの出場権獲得争いだけで、現在の日朝関係に、プラスにしろマイナスにしろ、何らかの影響を与えることなどありえないと考えていた。

 しかし安英学と李漢宰の言葉や態度は本当に立派で、私自身、彼らを通じて北朝鮮チームに対する親近感をもつことができた。同じように、彼らのおかげで、多くの日本人が純粋なスポーツのゲームとして試合を楽しむことができたのではないだろうか。
 「結果は残念だったが、それ以上に意味のある試合だった。日本のサポーターも僕たち朝鮮代表にたくさんの拍手をくれたし、国歌にブーイングする人もいなかった」
 今週月曜日、名古屋で記者会見した安英学は、いつもの穏やかな表情でそう話した。
 国際関係を改善するためにスポーツを利用するのは正しいこととは思わない。しかし真摯で真剣なスポーツ交流の結果、対立する国の国民間に小さな理解が生まれるなら、本当にうれしいことだ。
 
(2005年2月16日)
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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