
前半39分過ぎ、突然ピッチ内の雰囲気ががらりと変わった。よく見ると、4本あるはずの選手たちの「影」が3本しかない。4基ある照明塔のうちの1基の照明が消えてしまったのだ。
10月11日、インドのバンガロール。アジアカップ予選のインド×日本。しかし驚く人はあまりいなかった。日本選手たちも構わずプレーを続けようとした。いちばん驚いたのは、香港からきた主審だった。彼は笛を吹いて試合を一時中断した。
日本代表にとって、「インドでの停電」は驚きではない。一昨年の9月にコルカタ(カルカッタ)で行われたワールドカップ予選のときには、ハーフタイム中にスタジアムの全照明が消え、後半の開始が35分間も遅れた。今回は4基のうちの1基だけだったので、主審は数分で試合続行を決定した。
私にとって2回目のインド。デカン高原南部のバンガロールは、2年前に行ったガンジス川河口のコルカタとはずいぶん雰囲気の違う町だった。蒸し暑かったコルカタに比べると、標高900メートルのバンガロールは気候も穏やかで、町には緑が多かった。インド経済躍進の牽引車であるIT産業の中心地。アメリカやヨーロッパの企業が数多く進出し、新しいビルもどんどん建設されていた。
しかしサッカーの雰囲気としては、コルカタのほうがはるかに上だった。バンガロールでの試合は午後5時40分という早いキックオフだったためか、観客も少なく、しかも地元インドを応援するより揶揄(やゆ)するような声も多かった。
町のショッピングモールに、FCバルセロナやマンチェスター・ユナイテッドのユニホームを飾ってあるスポーツ店があった。しかし地元サッカークラブのユニホームを求めると、「そんなものはない」とすげなかった。この町で最も人気があるスポーツはクリケット。スポーツ店には、インド代表のクリケット選手たちの名前がはいった高価なTシャツが並べられていた。
イギリスの統治下にあったインド。サッカーの導入はアジアのなかでは最も早かった。1888(明治21)年にはイングランド・サッカー協会傘下の協会がコルカタにつくられ、その4年後にはカップ戦もスタートしている。
インドの全国リーグはつい10年前にスタートしたばかりだが、コルカタのチームがチャンピオンの座を独占している。コルカタは世界でも有数な「サッカーの町」であり、地元の強豪「イースト・ベンガル」と「モフン・バガン」が対戦すると9万人収容のソルトレーク・スタジアムが満員になるという。
しかし広大なインドのなかで、サッカーが大衆のなかに広く人気を得たのはわずかな地域だけだった。コルカタのほかに「サッカーの町」として知られるのは、インド亜大陸の西海岸にある旧ポルトガル領のゴアぐらいだ。経済の新しい中心地であるバンガロールも、サッカー人気が盛り上がらない町のひとつだ。ピッチの状態が悪かったのはそのせいかもしれない。
ヨーロッパでサッカーを見ていると、「標準化」という言葉が頭に浮かぶ。それぞれの個性や地域性はあっても、試合の運営やスタジアムのあり方などには、統一されたものがある。どこに行っても予想外のことは少ない。
しかしアジアでサッカーを見ていると、非常に多様であることに気づく。気候風土だけでなく、サッカーの試合を運営する考え方もスタジアムの使い方も、それぞれの都市でまったく違うのだ。当然、試合の雰囲気は大きく違う。
同じインドのなかでさえ、コルカタとバンガロールの違いに驚いた。アジアでの戦いとは、こうした多様性に対する順応力の勝負なのだと、つくづく思わされた。
(2006年10月18日)
仲間の記者たちはキックオフの10分前ぐらいにスタンドに上がってくる。しかし私は、もっとずっと早く上がり、記者席に座る。早ければキックオフの1時間前。遅くても、30分前にはスタンドに上がっている。両チームのウォームアップが始まるからだ。
Jリーグでは、キックオフの30分前ごろから20分間程度、ピッチ上でのアップが許されている形が多い。まずそれぞれのチーム2人ずつのGKがGKコーチとともにピッチに現れ、アップを始める。しばらくするとアウェーチームのフィールドプレーヤーたちが入場し、続いてホームチームがはいってきて、スタンドから大喝采を浴びる。試合前のウォームアップを見るのは、なかなか楽しい。
しかし最近、ひとつのことにひっかかっている。フィールドプレーヤーのピッチ上でのアップに、ベンチ入りのサブ選手たちが加わっていないチームが少なくないのだ。
先発の10人は、フィジカルコーチの指示でてきぱきとメニューをこなしている。その一方でサブの選手たちはたいていタッチライン付近に集まり、「ボール回し」をしている。中央に「鬼」役(守備)の選手がひとりはいり、その周囲を残りの選手たちが囲んでパスを回すのだ。
Jリーグの選手たちだから技術は高い。ワンタッチ限定のパス回しでも、面白いテクニックがたくさん出てくる。しかしこれはどう見ても、練習でもアップでもない。ただ遊んでいるだけにしか見えないのだ。ピッチの中央を使ってきびきびと動いている選手たちには次第に気力がみなぎり、キックオフに向けて集中を高めているのが感じられるだけに、この「温度差」がひどく気になる。
先発、サブを問わず、試合に登録されたフィールドプレーヤーがそろってピッチ上でアップをするチームもある。Jリーグは今季からベンチ入りのサブ選手が従来に比べると2人増えて7人になったからフィールドプレーヤーは16人。10人でアップしているチームと比べると、なかなか壮観だ。10人でやるか16人かは、監督やフィジカルコーチの考えによるものらしい。
数年前の日本代表の試合で、試合が始まってわずか数分でMFの選手が負傷し、交代が出るまでに6分近くを要したことがあった。その間に、負傷したMFは痛めた足で4回もボールをけり、守備に走り回らなければならなかった。サブの選手の準備ができていなかったからだ。
こんなのは論外だ。キックオフ時には、当然、サブの選手も準備を完了させていなければならない。開始1分で負傷者が出るかもしれないのだ。どんな状況でも1分後には交代選手がピッチに立てるようにしておかなければ、チームは大きなハンディを負う。
実は、ピッチに出てくる前には、サブの選手たちも先発選手といっしょに体操をし、入念にストレッチをしている。「仕上げ」をしていないだけなのだ。だがそれでも、あんな緊張感のない雰囲気で「ボール回し」に興じていて、精神的な準備ができるのだろうかと心配になる。
それだけではない。試合前にサブ選手たちがだらだらと「ボール回し」をする光景は、プロの「興行」としても大きなマイナスではないか。
試合前のアップは、スタンドのファンにとっても、試合への最後の盛り上げの時間だ。ピッチ上の選手たちと一体になり、キックオフに向けて徐々に集中を高めるときだ。その目の前でだらだらへらへらとした「ボール回し」を見せられたら、雰囲気はぶち壊しになる。
私は、サブを含めた全員でアップをするのが当然だと思っている。「ピッチ上でのアップは先発だけ」という方針ならば、サブの選手たちはピッチに出さないか、あるいは周囲で入念に走らせるなどの別メニューを用意すべきだ。
(2006年10月11日)
先日、ワールドカップ2006ドイツ大会の中間決算が明らかになり、日本円にして百数十億の利益が出たというニュースが伝えられた。大きなアクシデントもなく立派に運営され、サッカーの面でもハイレベルだった大会が、財政面でもプラスだったことは喜ばしい限りだ。
しかしこの大会に「大きなウソ」が2つあったことは、今後の大会を考える面でも忘れてはいけない。
そのひとつは入場者数の発表だ。正確な数字が出されず、毎試合、スタジアムのキャパシティの数字が大げさにアナウンスされるのには辟易した。何人の人が実際にスタジアムで観戦したかは、試合のスコアと同じように重要な「記録」だと思うのだが、主催者であるFIFA(国際サッカー連盟)の目には、入場者は「何万何千」というかたまりでしか映っていなかったようだ。
そしてもうひとつの「ウソ」がスタジアム名だ。この大会で使用された12スタジアムのうち、大会で正式名称が使われたのはわずかに4つ。残りの8スタジアムはすべて正式名称にスポンサー名がはいっていたため、大会限定で違う名称が使われたのだ。
「FIFAの大会ではスポンサー名のついたスタジアムは使わない」という方針の下、たとえば開幕戦が行われた「アリアンツ・アレーナ」は「FIFAワールドカップスタジアム・ミュンヘン」という無味乾燥な名前とされた。
日本では、自治体がスタジアムを建設してから、そのランニングコストを補うために「命名権」の販売が行われるのが普通だ。しかしドイツを含めたヨーロッパでは、スタジアムの建設あるいは大改修にかかる費用の何十パーセントかを負担してもらう見返りとして数十年間の命名権を与えるという形が多い。すなわち、企業の貢献がなければ、ワールドカップ・ドイツ大会で使われた12のスタジアムのうち8つは姿を現さなかったかもしれないのだ。
サッカーではここ10年間ほどの傾向だが、スポーツ施設全体を見ると、命名権販売は新しいものではない。その最初は1926年、アメリカ大リーグ野球のシカゴ・カブスが使うスタジアムの「リングレー・フィールド」だという。リングレーはチューイングガムのメーカー名である。以来、北米では命名権売買が当然になり、現在ではいろいろな競技の121トッププロチームの使用施設のうち、83スタジアムにスポンサー名がついているという。
サッカーでは、1994年にイングランドのハダーズフィールドが新設したスタジアムに「マカルパイン」という建設会社の名前がつけられたのが最初だ。イングランドで最新のスタジアムであるアーセナルの新スタジアム(ロンドン、今夏オープン)では、総建設費約780億円のうち約200億円をUAEの航空会社「エミレーツ」が負担し、15年間の命名権を獲得した。
現在、2010年ワールドカップを開催する南アフリカや、その次の14年大会の開催が確実なブラジルのスタジアム建設が大きな問題になっている。新設の計画はあっても費用捻出のめどがたたず、建設が一向に始まらないのだ。FIFAは両国政府に圧力をかけているが、政府が出すということは、それぞれの国民が負担しなければならないということを意味する。
超一級の施設を求めながら、その建設費捻出についてはほおかぶりというFIFAの態度は、まったくフェアではない。今後、FIFAが本当にワールドカップを5つの地域連盟で持ち回りにしようと考えているのなら、スポンサー名のついたスタジアムをワールドカップで認める必要がある。そうすれば、外国企業からの出資が望めるからだ。
ワールドカップのメインスポンサーとバッティングするのが心配なら、そうしたスポンサーたちに、南アフリカの新スタジアムの命名権を優先販売したらどうか。
(2006年10月4日)
きょうは「パワープレー」の話をしよう。
今月上旬の日本代表の中東遠征の2試合で、終盤、どうしても1点が欲しかった日本は、身長185センチのDF闘莉王を前線に出し、ヘディングで相手の守備を崩そうとした。イエメン戦では、前線にFW巻(184センチ)、FW我那覇(182センチ)、そして闘莉王と3人の長身選手を並べた。
イエメン戦の後半ロスタイムにDF坪井が送ったロングボールを巻が頭で折り返し、我那覇が決勝点を決めて「パワープレー」が実った形となった。しかし闘莉王を前線に投入してからこの得点まで約7分間、有効なロビングがはいったのは、得点を含めてわずか2回しかなかった。日本代表は明らかに「パワープレー」が苦手だ。
サッカーにおける「パワープレー」とは、ヘディングの得意な長身選手を前線に出し、そこにロングボールを放り込んでヘディングシュートを狙わせたり、あるいはヘディングで落とされたボールからシュートチャンスをうかがおうという攻撃。主として試合の終盤に、1点を必要としているチームが使う戦法だ。
おもしろいことに、サッカーの本場イングランドのサッカー用語には「Power Play」という言葉はない。スポーツで正式に「パワープレー」という用語があるのはアイスホッケーだ。ペナルティーで相手選手がひとり少なくなっている時間の攻撃を指す。パワープレー中にはGKを外して攻撃の選手を投入するなどの戦法も取られる。
おそらく、アイスホッケーが盛んなドイツあたりで、「パワープレー」という用語がサッカーに「輸入」されたのではないか。実際、ドイツは「パワープレーの元祖」と言っていい国なのだ。
ワールドカップでは、66年大会の決勝と70年大会の準決勝で、いずれも終了直前にDFの選手が起死回生の同点ゴールを決めた。以来、終盤、リードされているときの「パワープレー」はドイツでは「定番」だ。
ことしのワールドカップでドイツと対戦したアルゼンチンは、1−0とリードして迎えた後半の30分過ぎにエースのクレスポを外し、ルスを投入した。チームのなかでただひとり190センチという長身をもつクルスの投入は、明らかに、これから始まるドイツの「パワープレー」への準備だった。
だがその直後にドイツが同点にする。こんどは攻撃をしなければならなくなったアルゼンチンだったが、交代枠を使い切っていたため切り札のメッシを出すことができず、試合はPK戦でドイツが勝った。「パワープレー」の目に見えない「パワー」だった。
ドイツのチームが「パワープレー」を始めると、全員が徹底してそのために動く。1分間に数本のロングボールが放り込まれることも珍しくない。それが相手チームを心理的にも追いつめる。
ではなぜ、日本の選手たちは効果的な「パワープレー」ができないのだろうか。
ひとつは、日本にはこうしたプレーをするチームが多くないことがあるだろう。横浜FMの岡田前監督はたびたび「パワープレー」を使ったが、G大阪の西野監督は「うちはパワープレーはしない」と広言している。
しかしそれ以上に、チームの意図や意識をひとつにしきれないことが、中途半端なプレーの原因ではないか。
ロングボールを放り込むのは、技術的には難しいことではない。「パワープレーだからできるだけ早く入れよう」という意識さえあれば、もっともっと有効なロビングが増えるはずだ。
「パワープレー」に限った話ではない。いまチームが何をしようとしているのか、そのために自分はどうプレーしなければならないのか。90分間を通じて意識し、考え続ける必要がある。有効な「パワープレー」ができないのは、考えが足りない証拠だ。
(2006年9月27日)
「ジャニーズ系サッカー」。ひと目見たとき、そんな言葉が浮かんできた。
シンガポールで行われたアジア予選で世界大会(U−17ワールドカップ)出場を決めただけでなく、12年ぶりにアジアで優勝を飾った16歳以下の日本代表である。
髪形や顔の話ではない(そのままステージに乗せて踊らせても通じそうな選手もいるが...)。プレーの雰囲気が、これまでの日本のサッカーとは少し違う感じがしたのだ。
来年の8月18日から9月9日まで韓国で開催されるU−17ワールドカップ。FIFA主催の年齢制限大会のひとつで、出場資格は1990年以降生まれ。すなわち、シンガポールで開催されていたアジア予選で優勝を飾ったのは、「平成生まれの日本代表」ということになる。
この大会、日本は1次リーグでネパールに6−0、シンガポールと1−1、韓国に3−2で粘り勝ってグループAを首位で突破した。世界大会の出場がかかった準々決勝ではイランを1−1からPK戦8−7という接戦で下し、6年ぶりの出場権を獲得した。
準決勝ではシリアに2−0で快勝。決勝戦では北朝鮮に前半0−2とリードされたものの、後半にはいってからの攻撃がすごかった。11分にMF柿谷曜一郎(C大阪)が見事な個人技で1点を返すと、32分には柿谷のパスを受けたMF端戸仁(横浜FMユース)が同点ゴールを決める。そして延長後半、交代で投入されたばかりのMF河野広貴(東京Vユース)が2点を決めて4−2で逆転勝利をつかんだのだ。
このアジア予選での日本の優勝は94年カタール大会以来のこと。当時のメンバーには、後に日本代表の中心となってワールドカップなどで活躍する小野伸二、稲本潤一、高原直泰らがいた。そのとき以来の「アジア王者」だけでなく、アジア予選を突破したのも2000年大会以来6年ぶりというから、「新しい黄金世代誕生」と、期待が高まるのも当然だ。
この上の年代によるU−20では過去6大会連続して世界大会に出場している日本だが、U−17では過去2回しかアジア予選を突破できていない。チームづくりの途中に高校受験がはいり、強化が難しいのだ。
では、このチームのどこがこれまでの日本のサッカーと違うのか。日本は過去10数年ほどの間に数多くのテクニシャンを生み出してきたが、彼らの多くは、ボールを受けてから技術を発揮するタイプだった。ところが今回のU−16の選手たちは動きながら、それもトップスピードとは言わないまでもかなりのスピードで動きながらパスを受け、同時にパスを出すことができるのだ。
ジャンプしながらヒールで正確なパスを出すようなことも当たり前に行われ、はずむようなリズムがある。「ジャニーズ系」の印象は、このあたりからきている。「牛若丸系」とも言えるかもしれない。
彼らの最終目標はU−17ワールドカップではない。2010年か2014年のワールドカップで日本を上位に導く活躍を見せること、そして世界的に認められる名選手になることなど、挑戦の対象は無限にある。
フィジカル面、技術面など、課題はたくさんある。しかし私は、「本物のチームプレーヤー」になることを挙げたい。安っぽいスター主義、ヒロイズムに流されてはいけない。サッカーの本質は「チームゲーム」であるということを忘れてはならない。才能のある選手たちだからこそ、それをフルに生かすためにも、「チームの勝利のために全力を尽くす選手」になってほしい。
今回の優勝で、選手たちは間違いなく注目され、スター扱いされる。そのなかで自分自身とサッカーの本質を見失わない者だけが、サッカー選手として自らを完成させることができる。
(2006年9月20日)