
2007年の「日本代表」の先陣を切って、U−22(22歳以下)日本代表が来週水曜日、北京オリンピックのアジア第2次予選に突入する。初戦はホーム、東京・国立競技場での香港戦だ。それに先立って、きょう21日には熊本にアメリカを迎えて最後の強化試合が開催される。
ことしほど「日本代表」が忙しい年は、かつてなかっただろう。イビチャ・オシム監督が率いるA代表は7月にベトナムなど東南アジアの4カ国で開催されるアジアカップに出場する。決勝戦まで戦えば6試合になる。しかし親善試合の数は7試合程度で、例年に比べると少ないほうだ。「忙しい」のは、A代表自体ではなく、たくさんのチームが動くということだ。
反町康治監督率いるU−22日本代表は、11月までに2次予選6試合と最終予選6試合、計12試合を戦わなければならない。8月にスタートする最終予選は、強豪ばかり4チームのグループで首位にならなければ北京オリンピックの出場権が得られないという厳しい戦いだ。
その下の年代のチームにも厳しい戦いが待っている。吉田靖監督が率いるU−20(20歳以下)日本代表は6月30日から7月22日までカナダで開催される世界大会に出場する。95年大会以来7大会連続出場。上位進出を目指す。
一方、城福浩監督率いるU−17(17歳以下)日本代表は、8月18日から9月9日まで韓国で開催される世界大会に臨む。昨年のアジア予選で12年ぶりの優勝を果たしたチーム。日本サッカー協会が新しい方針の下に強化を始めた最初の世代であり、期待は大きい。
さらに、秋には、2009年のユース年代の世界大会を目指すアジア第1次予選がスタートする。この大会のために、U−15(15歳以下)とU−18(18歳以下)の2つの日本代表のチームづくりも始まる。
忙しいのは男子の日本代表だけではない。女子の日本代表も各年代で大忙しだ。
大橋浩司監督が就任して3年、女子A代表の「なでしこジャパン」は、9月10日から30日まで中国で開催されるFIFA女子ワールドカップへの出場を目指し、3月10日(東京)と17日(メキシコ)にメキシコとの間でプレーオフを戦う。非常に厳しい戦いだが、2月のキプロス遠征でノルウェー、スウェーデン、スコットランドという強豪を相手に2勝1分けの成績を残し、大きな相手に対する準備は万全だ。
女子もユース年代の日本代表が動く。吉田弘監督が率いるU−16女子代表は3月8日から17日までマレーシアで開催されるアジア選手権に出場する。11月には、U−19女子代表がやはりアジア選手権に出場する。
男子6チーム、女子3チームの「日本代表」に加え、フットサルとビーチサッカーの日本代表も活動する2007年。合計すると、300人近くもの選手たちが、同じ青いユニホームの誇りを胸に、勝利を目指すことになる。
(2007年2月20日)
「カワブチのあとはカマモトがやるべきだ」
昨年1月、デットマール・クラマーさんと話す機会があった。日本代表をメキシコオリンピックの銅メダルに導いた名コーチ。「日本サッカーの父」とも言われる。その人が、質問もしないのにいきなり日本サッカー協会の時期会長について言及したのに驚いた。
しかしクラマーさんは日本サッカーの内政に干渉したわけではない。「サッカー組織のリーダーは、『サッカー人』であるべきだ」という信念を語りたかっただけなのだ。
サッカーが「ビッグビジネス」への道をたどり始めたのは1970年代からだった。世界中でテレビが急速に普及し、巨額のスポンサー料や放映権料がはいってくるようになったからだ。それまで入場料収入を中心に運営されてきたサッカーが、ビジネスとして急速にふくらみ始めたのだ。その速度は90年代にはいるとさらに増した。そしてサッカー界は「ビジネスマン」の手に牛耳られた。
国際サッカー連盟(FIFA)は1974年に会長に就任したブラジルの実業家ジョアン・アベランジェの下、コマーシャリズムと急接近し、ヨーロッパサッカー連盟はスウェーデンの実業家レンナート・ヨハンソンの下、テレビ界からそれまでの常識を覆す放映権料を引き出した。
国際組織だけではない。ヨーロッパの主要リーグ、そして主要クラブは、過去10年間の間に経営規模を10倍近くに拡大した。イングランドのチェルシーFCに代表されるように、億万長者による買収によってほこりをかぶった時代遅れのクラブが急速に主役の座に躍り出ることも珍しくはない。
しかしその結果、サッカーは豊かになっただろうか。多すぎる試合、過剰な報酬、ベンチで試合を見ているだけのタレント、そして過剰なプレッシャー...。過剰なアドレナリンに浸され、選手たちはセルフコントロールさえ難しくなっている。
状況を変えるには「サッカー人」がサッカーをリードしていくしかない。それがクラマーさんの考えだった。実際、ドイツにはフランツ・ベッケンバウアー、フランスにはミシェル・プラティニという元選手の協会リーダーが誕生し、影響力を発揮し始めていた。
そしてことし1月、プラティニはUEFAの会長選に出馬し、見事当選を果たした。ベッケンバウアーも、FIFA理事に就任した。「私はロマンチスト。サッカーのすばらしさを守りたい」と語るプラティニ。昨年セルビアと分離し、新しく国際サッカーの一員となったモンテネグロ協会では、やはり元ユーゴスラビア代表選手のデヤン・サビチェビッチが会長を務めている。
「ビッグビジネス」の時代が急速に終わるわけではない。しかし世界のサッカーはリーダーとして本物の「サッカー人」を求め始めているように思えてならない。何かが、確実に変わり始めている。
(2007年2月14日)
ショッキングな事件が起こった。先日セリエAにデビューして初ゴールを記録したばかりの森本貴幸選手が在籍するイタリアのカターニャで、試合途中にスタジアム外で暴動が起こり、警官ひとりが死亡したというのだ。
先週金曜日、事件は同じシチリア島のパレルモを迎えた試合で起こった。渋滞に巻き込まれてキックオフから大幅に遅れて到着したパレルモのファンに向かってスタンドで発炎筒が投げ込まれ、騒ぎはスタジアム外に広がった。その際に、警備についていた警官のフィリッポ・ラチーティさん(38)が重傷を負い、病院に運ばれたが、死亡した。
この事件を受けて、イタリア・サッカー協会は即座に週末に予定されていたすべての試合の中止を決定した。あわせて、7日水曜日にシエナで行われることになっていたルーマニアとの国際試合をはじめ、すべてのナショナルチームの活動も停止した。
その後の調査で、ラチーティさんの死亡は、単に暴動に巻き込まれたのではなく、カターニャの個人的な恨みをもったフーリガンが騒ぎに紛れて襲撃したことが判明した。
イタリアでは「ウルトラス」と呼ばれる熱烈なサポーターの一部による暴力がたびたび問題になってきた。彼らは発炎筒や歌で試合の雰囲気を盛り上げる裏で、暴力団のような組織犯罪にかかわっていると言われてきた。しかしクラブは彼らに手をつけられず、放置してきた。
スタジアムの安全基準が守られていないという問題もある。ホームとビジターのサポーター分離や、危険物もち込みチェックなどが十分でないというのだ。調査によれば、基準に達しているスタジアムは、セリエAで5つにすぎないという。ラチーティさんの死をきっかけに、今後、こうしたことに徹底的なメスが入れられていくに違いない。
今回の事件でひとつ感心したことがある。イタリア協会のすばやい対応だ。もし日本で同じようなことがあったら、どうだろうか。
「もう入場券を発売してしまっている」
「代替の開催日やスタジアムを探すのが難しい」
少し想像するだけで、そんな声が聞こえる気がする。
一時、Jリーグでサポーターの事件が相次ぎ、危機管理の重要性が叫ばれたことがあった。しかし多くの関係者が「危機管理」という言葉に出合っただけで安心し、組織の利益や評価を守ることばかり考えているのに失望した。
何にも優先して考えなければならないのは人の命であり、観客や競技者、そして社会の安全だ。その原則のために行動することが何より大事だ。
イタリアほどではなくても、サッカーはいまや日本の社会のなかで小さくない存在になった。サッカー協会やJリーグ、そしてクラブ運営にかかわる人びとは、毎日、頭のなかでそうした原則を10回唱えてから仕事を始めるぐらいの心構えが必要だ。
(2007年2月7日)
先週金曜日(1月26日)、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)の会長選挙でミシェル・プラティニ(フランス)が現職のレンナート・ヨハンソン(スウェーデン)を破って当選した。そのビッグニュースの影にあまり注目されない小さなニュースがあった。イギリス領ジブラルタルのUEFA加盟が否決されたのだ。
ドイツのデュッセルドルフで開催された総会で、UEFAはセルビアから分離したモンテネグロの加盟を認めた。しかしジブラルタルについては、賛成3票、反対45票という結果だった。
ジブラルタルはイベリア半島の南端近くに突き出た半島。18世紀以来イギリスの領有下にはいり、現在ではイギリス海軍の重要な拠点のひとつになっている。面積6・5平方キロ、東京・千代田区の半分ぐらいの国土の大半は「ザロック」と呼ばれる巨大な岩山で占められ、わずかばかりの平地に約2万8000の人びとが暮らしている。その3分の2がスペイン系だが、国籍はイギリスだ。
ジブラルタル・サッカー協会(GFA)は1895年創立。世界で6番目に古い協会だという。登録選手は563人。それでも1部から3部リーグ、女子リーグ、15歳から7歳まで2歳刻みのジュニアリーグなどを運営している。ナショナルスタジアムは空港に隣接するビクトリア・スポーツパーク。3000人収容、人工芝のピッチがある。
99年からUEFAへの加盟運動をしてきたGFA。妨げになったのは登録選手数の少なさや「国連加盟の独立国にしか加盟を認めない」というUEFAの規則だけではなかった。難しい政治問題があった。スペインは300年近くにわたってジブラルタルの領有権を主張してきており、UEFA加盟など断じて認めるわけにはいかなかったのだ。
昨年6月、「ジブラルタル代表」はFIFA未加盟の国によるワールドカップ(「FIFIワイルドカップ」、ドイツのハンブルクで開催)に出場、3位の好成績を残した。
「いきなり国際大会の予選に出るのは無理だが、ユースやフットサルの大会に出場できれば...」と、GFAのヌネス会長は、UEFAの決定を前に希望を語っていた。過去10年、ユースの育成に力を注いできたおかげで、ジェイソン・プセイという将来有望なタレントも生まれた。17歳のプセイはすでに「代表」でプレーしており、スペインの有力クラブからも目をつけられているという。
今回の決定により、「ジブラルタル代表」の赤いユニホームがワールドカップ予選などで活躍する姿を見ることはできなくなった。しかしスペイン協会は、UEFA加盟には反対したものの、GFAに対し、資金面の援助や指導者・審判員養成に力を貸すと約束している。指導者を養成し、国際的に認められるタレントを育成することから、ジブラルタルの新しい「サッカー・ドリーム」がスタートを切る。
(2007年1月31日)
旧ソ連、「バルト3国」の真ん中に位置するラトビア。日本代表が2005年の10月に訪れ、対戦したことのある国だ。2004年にヨーロッパ選手権の決勝大会に進出したこともあるが、アイスホッケーとバスケットボールの人気が高く、サッカーは「発展途上」の状況にある。
そのラトビアのサッカー協会(LFF)が新しい規則をつくって話題になっている。1部リーグに属する全8クラブに、女子チームをもつことを義務づけたのだ。同時に、下部リーグのクラブも、少なくともひとり女性コーチを置き、サッカーに興味のある少女たちの指導に当たらせなければならないことになった。
「発展途上」のラトビアでは、サッカーグラウンド自体が不足しており、そのグラウンドをプロチーム、ユースチーム、アマチュアチーム、そして少年チームの優先順位で使うため、女子だけのクラブは、練習場所にも試合会場にもこと欠いていた。それを男子のクラブの一部門にすることによって、環境を整えようという狙いがある。
ここ数年間、ドイツ、イングランドなどヨーロッパのいくつかの国では、女子サッカーが驚異的な伸びを示している。男子のトッププロと呼ばれるクラブが積極的に女子チームをもち、その強化に力を入れているからだ。ラトビアもそれに続こうというのだ。
日本でも、浦和レッズが2005年からLリーグ(現在のモックなでしこリーグ)所属の「さいたまレイナス」を「浦和レッズレディース」として傘下に収め、資金面だけでなく、指導面、チームの人的サポートなどで大きなプラスをもたらした。過去20年間以上にわたって日本の女子サッカーをリードし、女子日本代表のバックボーンとなってきたのは、かつての読売サッカークラブ、現在の東京ヴェルディと同一クラブの「日テレ・ベレーザ」だ。
しかし現在のJリーグ31クラブを見渡すと、女子チームをその活動の一環に入れているクラブはわずか数クラブしかない。
Jリーグは、プロとしての興行を行うだけでなく、自前でサッカー選手を育て、サッカーの文化を広げていくことを目指している。そのため、18歳以下、15歳以下、そして12歳以下という3つの年代の男子チームをもつことを各クラブに義務付けている。しかし「女子チーム」は含まれていないのだ。
楽な経営をしているところなどほとんどない現在のJリーグ・クラブ。しかしだからといって、いつまでも「女子サッカーは無関係」と言っていたら、その地域の「サッカー文化」は偏ったものになってしまう。いきなり「なでしこリーグ」のチームをもつ必要はない。しかしサッカーに興味をもっている少女たちを指導し、その夢を広げていく手助けはすぐにでもできるはずだ。Jリーグは、女子サッカーにも責任感をもつべきだと、私は思っている。
(2007年1月24日)