サッカーの話をしよう

No.661 Jリーグテレビ放映 宝のもちぐされ

 Jリーグのテレビ中継に不満がある。
 8月15日のガンバ大阪対浦和レッズ(大阪・万博競技場)は本当に見事な試合だった。首位G大阪を勝ち点4差で追う2位浦和。「勝たなければ終わってしまう」という意識が、猛暑のなか、一分のスキもないチームプレーを生み出した。G大阪も持ち前のパスワークで対抗し、緊張感あふれる試合になったのだ。
 私はこの日、川崎で別の試合を取材し、戻ってから録画を見た。結果を知った後でも、ハイレベルな攻防から目を離せなかった。ところがこの試合を見ることができなかったサッカーファンが非常に多かったというのだ。

 Jリーグのテレビ放映はずっとNHKが主体だったが、昨年の契約更改時にNHKがそれまでどおりの放映権料では継続できず、代わって「スカイパーフェクTV!(通称スカパー)」が主体となった。
 スカパーはJ1とJ2の全618試合の生中継を売り物にしている。スポーツ中継は生放送と録画放送では大きな違いがある。多数のチャンネルをかかえるCS放送ならではの英断だった。
 しかし多くのファンから「試合が見られなくなった」という不満を聞くようになった。スカパーは「有料チャンネルだから」というのだ。
 昨年まで中心的に放送してきたNHKも、Jリーグ中継は主としてBS(衛星)チャンネルであり、通常のNHK受信料のほかに、BS放送用のアンテナとチューナーを設置し、さらに月額945円の「BS受信料」を支払わなければならなかった。

 スカパーでは、たとえばJ1の試合だけでいいと思ったら、月額2580円の「J1ライブ」というセットを購入すればよい。しかもこのセット契約は随時解約できる。
 しかしスカパーを見るにはBS用とはまた別のアンテナやチューナーを購入し、設置しなければならない。そのアンテナの設置方向も限られている。誰もが見られるわけではない。15日のG大阪×浦和は大阪の毎日放送が録画で放送したが、スカパーに加入してセットを購入していない全国のファンには、このすばらしい試合を見るチャンスは皆無だった。
 NHKはことしもBSでほぼ毎節1試合を生中継し、この日は鹿島×千葉を放映していた。G大阪×浦和がリーグ戦の展開上非常に重要になったのだから、カードを変更できなかったのだろうか。

 G大阪×浦和はサッカー魅力を余すところなく見せ、「サッカーの宣伝」と言える試合だった。もちろんそれは終わってわかることだが、少なくとも緊張感の高い試合になる可能性は十分あった。
 J1の年間306試合のなかでもいくつもないビッグゲームを、できるだけ多くのファンに見てほしいという熱意が、放送局、Jリーグなど、関与する人びとにどれだけあったのか。それが感じられなかったことが不満なのだ。
 
(2007年8月22日)

No.660 ルールブック大変革

 「守備側のファウルがあったら右手で、攻撃側のファウルのときには左手でフラッグを上げて振るんです」
 昨年限りで審判員としての現役を引退し、現在はJリーグ審判員のインストラクターを務める上川徹さんから、少し前にこんな話を聞いた。副審のフラッグの上げ方だ。
 副審はピッチに向かってタッチラインの右半分だけ動くから、体がピッチに正対していれば守備側の守るゴールはいつも右手側にある。その手で旗を上げれば守備側のファウルがあり、攻撃側にフリーキックが与えられると示すことになる。出来事がペナルティーエリアの場合には非常に重要な判定となるから、主審には大きな助けになる。
 上川さんといっしょに昨年のワールドカップに出場した副審の廣嶋禎数さんが国際サッカー連盟(FIFA)のインストラクターから指導されたテクニックだという。細かなことだが、主審と副審のコミュニケーションをはかるうえで重要なポイントのひとつに違いないと感心した。

 さて、こうした「奥義」がことしから広く公開されることになった。FIFA発行の「ルールブック」の今年度版で、「審判に対する追加指示」と題された部分(ルール本体とは別)が大幅に増補されたからだ。英語版で全136ページのルールブックのうち、ルール本体が48ページなのに対し「追加指示」は72ページにものぼる。
 そのなかには、特殊なケースへの対処法とともに、主審のジェスチャー、副審の旗の上げ方など、こと細かなアドバイスが書かれている。もちろん、ファウルのときに上げるフラッグを持つ手の区別についても、わかりやすいイラストが載っている。

 かつて、主審と副審はそれぞれの仕事をしていればよかった。副審はオフサイドとともに、ゴールライン、タッチラインをボールが割ったかに集中していればよく、その他の判定はすべて主審に委ねられていた。しかし現在では、より良いレフェリングのために、主審と2人の副審の協力、とくにコミュニケーションが重視されている。
 「コミュニケーション」といっても、大声で伝え合うわけではない。声に頼っていたら大歓声で聞こえないこともあるし、どちらかわからない場合に「わからない!」などと叫べば、選手や観客の間に審判不信を生じかねない。ほんの小さな動作や「アイコンタクト」で、互いの判断を伝え合い、スムーズに判定を下さなければならない。
 細かなことに気を配ったフラッグの使い方、主審と副審のコミュニケーションの取り方が普及すれば、レフェリングのレベルは格段に向上するはずだ。今回改訂されたルールブックがその役に立つのは間違いない。
 例年ならルールブックの日本語版が発売されるのは10月ごろになる。待ちきれない人は、英語版をFIFAのホームページからダウンロードできる。
 
(2007年8月15日)

No.659 クラーゲンフルト 小さくなるスタジアム

 オーストリア南部、ケルンテン州の州都クラーゲンフルトの人びとは9月になるのを待ちきれない気持ちでいる。3万2000人収容の新しい「ベルターゼー・スタジアム」が完成するからだ。
 かつては1万人収容の古ぼけたスタジアムだった。人口9万人という小さなクラーゲンフルト。この国のトップリーグに属するクラブももたない町ではその古いスタジアムさえいっぱいにならなかったのだが、この小さな町が6650万ユーロ(現在のレートで約109億円)もの巨費を投じてスタジアムを新築したのは、来年のヨーロッパ選手権の会場のひとつに選ばれたからだ。

 オーストリアとスイスの共同開催で行われるヨーロッパ選手権。クラーゲンフルトは3試合のホストとなる。スロベニアやイタリアとの国境に近く、交通の要衝でもあるこの町だが、これほど大きな国際的関心を集めるのは初めてのことなのだ。
 この町には87年の歴史をもつFCケルンテンというクラブがあるが、ずっと2部でプレーしてきた。しかしことし突然、「オーストリア・ブンデスリーガ」の1部に属するチームが出現した。ケルンテン州のハイダー知事が中心になって他の1部クラブの資格を買い取り、「SKオーストリア・ケルンテン」を誕生させたのだ。9月から、クラーゲンフルトの人びとは新スタジアムで1部と2部の試合を交互に楽しめることになったわけだ。

 新スタジアムには大きな特徴がある。来年のヨーロッパ選手権が終わったら再び工事にはいり、2階席が取り除かれて1万2000人収容の小ぢんまりとしたスタジアムに生まれ変わるというのだ。
 2階席だけ外し、屋根を低くするという込み入った工事だが、700万ユーロ(約11億5000万円)をかけてもその後の維持費を考えれば経済的だという。取り外された2階席は国内の他のスタジアムで使われることがすでに決まっているというから、資源を無駄にするわけでもない。
 日本では2002年のワールドカップ時に4万人収容だった神戸のウイングスタジアムが大会後に可動式の屋根をかけて3万4000人収容に縮小された例がある。しかし他のスタジアムは基本的にはワールドカップ時のままで、その後の使用に困っている例も少なくない。ベルターゼー・スタジアムの改築プランは、今後のスタジアム建設計画に小さくない影響を与えるに違いない。

 スタジアムの名称「ベルターゼー」とは、この町の西に広がる東西20キロ、幅2キロという美しい湖の名。避暑地として有名で、オーストリアだけでなく、ドイツやオランダから訪れる人も多いという。
 9月7日のこけら落としには、オーストリア代表が登場する。その相手を務めるのは、この国でも深く敬愛されているイビチャ・オシム監督が率いる日本代表だ。
 
(2007年8月8日)

No.658 4カ国共同開催は成功だったか

 インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムの4カ国共同開催によるアジアカップが、イラクの初優勝で幕を閉じた。
 これまでも、2カ国共同開催の国際大会はあった。2000年のヨーロッパ選手権(オランダとベルギー)、2002年のワールドカップ(日本と韓国)などだ。ヨーロッパ選手権は、来年の2008年大会もオーストリアとスイスの共同開催で行う。しかし4カ国による共同開催は初めてのこと。いわば「実験的」と言ってよい大会だった。

 4つのホスト国は、それぞれの首都で大半の試合を開催した。ジャカルタ(インドネシア)、クアラルンプール(マレーシア)、バンコク(タイ)、そしてハノイ(ベトナム)だ。
 各国サッカー協会は、1会場に絞って開催の準備をすればよかったから、どの会場も施設面、試合運営ともに問題はなかった。むしろ配慮が行き届いた良い運営だったと思う。問題は各開催国間の移動、とくにチームの移動だった。1次リーグは1国1グループで開催したため移動はなかったが、決勝トーナメントにはいると移動が始まり、問題が表面化した。
 最北のハノイと最南のジャカルタでは3000キロもの距離がある。しかも直行便の数は少なく、乗り継ぎ便が使われることも多かった。次の試合会場に行くのに、10数時間かかることも珍しくなかった。
 大会の公式スポンサーにはUAEのエミレーツ航空がはいっていたが、東南アジアの各国を結んでいるわけではないので役には立たない。少なくともチームの移動だけは、直行のチャーター便を出すべきだった。

 しかしこの問題を除けば、運営面上はあまり不都合なことはなかった。 
 そしてそれ以上に、4カ国共同開催はアジアのサッカーに大きなプラスになったと、私は感じた。
 4カ国は、出場チーム全16チームのなかで最も力が落ちると見られていた。4カ国とも1次リーグ全敗で終わるかもしれないとまで言われていた。
 しかしフタを開けてみると、タイがイラク(優勝チームだ!)、オマーンと引き分け、ベトナムはUAEに勝ってカタールと引き分け、インドネシアもバーレーンに勝ち、サウジアラビアとは1−2の接戦を演じた。マレーシアだけは懸念どおりの結果に終わったが、ベトナムはベスト8に進むという健闘だった。

 東南アジアは古くからサッカーの盛んな地域だったが、近年は西アジアや東アジアの国ぐにに追い抜かれ、「弱小地域」になっていた。しかし地元で大会を開催できれば強豪とも五分の戦いができることを全アジアが知り、強く勇気づけられたに違いない。
 どの大会にも問題や不手際はある。しかし今回の「4カ国共同開催」は、アジアサッカーの将来のために大きなプラスになったのではないか。だから私は、「成功だった」と思うのだ。
 
(2007年8月1日)

No.657 ハノイの交通とコミュニケーション

 思いがけなく(といっても日本代表が順調に勝ち進めば当然のことだったのだが)、ベトナムの首都ハノイでの滞在が3週間近くにもなった。
 最初に驚いたのは、街なかのバイクの多さだった。広い道を走る車両の9割以上は小型のバイクあるいはスクーター。2人乗りどころか、3人乗り、4人乗りも珍しくない。そのバイクが、横に何台も並び、まるでパレードのように連なって、わがもの顔に道を流れていくのは壮観だ。
 だが驚いた後に困った。道路の横断だ。都心でも信号の数は非常に少ない。あっても、自動車は守ってくれるが、バイク族はお構いなし。赤信号でも平気で走ってくる。必然的に、道路の横断は、突進してくるバイクのスキを縫いながらということになる。

 コツは急がないことだ。ゆったりと渡れば、バイクのライダーたちがこちらを認識し、速度を落としたり、巧みによけてくれる。現地の人を見ると、バイクの流れの間を悠然と横断していく。
 タクシーに乗るとおもしろいことに気づいた。しきりにクラクションを鳴らすのだ。しかしそれは「どけ!」というような響きではない。「後ろに自動車がいるよ。気をつけて」と、注意を喚起するものだった。ハノイでは、自動車も周囲のバイクに気を配りながらの運転だった。

 こうした交通を見ながら、ふと日本のサッカーの指導の重要な一面を思い出した。
 日本のサッカーで若いプレーヤーたちに最も強調しなければならないのは「コミュニケーション」だ。言葉もあるが、より重要なのは相手(仲間)の目を見て意思を通わせる「アイコンタクト」だ。
 目と目が合わなくてもいい。相手の体勢、周囲の状況を見て、相手が何をしようとしているのか、何ができるのかを感じ取り、それに対応した動きや準備をすることはサッカーでは非常に重要だ。しかし訓練を受けていない日本の若いプレーヤーはこれが非常に苦手なのだ。
 現在の日本社会を考えれば当然だと思う。街を歩いている若者は他人のことなどまったく気にせず、自分のあるいは自分たちの世界に浸っている。前から歩いてくる人がどう動くのかなどに関心を払う者もいない。道路の横断も、信号機だけを見て、青になったら自動的に足が前に出る。

 他人の目や体の動きを見て意図を推察する、面識のない相手に気を配るといったことが非常に乏しい。道路を横断するという些細なことでも、自分で見て判断し行動を決するということがほとんど行われていないのが、現在の日本の社会なのだ。
 ベトナムの若いプレーヤーを指導するコーチたちは「コミュニケーション」など強調する必要がないに違いない。彼らの日常生活がコミュニケーションと自己責任による判断の積み重ねだからだ。それだけでサッカーが強くなれるというものでもないが、「コミュニケーション」から指導しなければならない日本のサッカーが大きなハンディを負っているのは確かだ。
 
(2007年7月25日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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