サッカーの話をしよう

No.122 Jリーグにサポーター事件相次ぐ

 9月下旬から吹き荒れた「サポーター騒動」に、Jリーグの川淵三郎チェアマンは10月5日に緊急記者会見を開いて対応策を発表した。その後、事態は一応鎮静化したように見える。

 一連の事件と関連して審判問題を取り上げるマスコミも少なくない。しかしサポーター問題と審判問題は本質的に無関係だ。日本リーグ時代にもまずいレフェリングはいくらもあった。だがそれが原因で観客が暴れたことはなかった。
 血気盛んな若者が、サッカーの勝負を自分のことのようにのめりこんで応援するのが、現代のサッカーにおける「サポーター」だ。この現実を踏まえれば、ただサポーターの良識に訴えるだけでは不十分なことは理解できるはずだ。
 Jリーグのサポーター問題の根源は、責任の所在が定まらないことにある。

 スタジアム内の管理責任は試合をするホームクラブにあるとJリーグは言う。ではその外のサポーターの行動は、誰が、どこまで責任をもつのか。スタジアムの敷地内はクラブか。最寄駅からスタジアムまではクラブか、それとも警察なのか。集団でバスや電車に乗っている間は?
 多くのサポーターに支えられて試合をしているJリーグのクラブ。サポーターの行動についての社会的な責任は、クラブ自体が負わなければならない。そしてその責任は、試合に向け集団化した時点に生じる。
 アウェーゲームでも同じだ。試合自体の管理責任はホームクラブにあっても、自クラブのサポーターの行動は、それぞれのクラブが責任をもつようにしなければならない。
 責任の所在をこのように明らかにすることが、「サポーター問題」に取り組む原則的な態度となる。

 この原則を確認したうえで、「サポーター問題」を根本的に解決するためにふたつの提案をしたい。
 第一は各クラブが「セキュリティーオフィサー」を任命し、サポーターに関する統括責任者とすること。そして第二は、ホーム、アウェーに関係なく、サポーター用チケットをクラブが直接自分たちのサポーターに販売することだ。
 「セキュリティー」(安全管理)の問題は、今後のJリーグにとって非常に大きな課題となる。その際必要なのは、この問題に関する事項をすべて把握した専門家の存在だ。プロサッカーのセキュリティー管理の最大のテーマがサポーター問題であるのなら、サポーターの主要メンバーや動向をつかみ、トラブルを未然に防ぐ仕事をする「セキュリティーオフィサー」は必要不可欠のはずだ。

 サポーター用の入場券は格安にして、クラブが直接それぞれのサポーターに販売する。それによって初めて自分たちのサポーターを完全に把握できる。
 アウェーサポーターの入場券は、全クラブが協力して、スタジアムの収容数や施設に応じた割当て数を決める。アウェークラブはそれをサポーターに直接販売し、必要ならセキュリティーオフィサーがサポーターに帯同してアウェーのスタジアムにはいる。
 この制度によって、初めてゲームに来る全サポーターの情報を事前に把握することができるし、アウェーのサポーターに関する責任をアウェークラブが負うことが可能となる。

 今回の騒動が鎮静化したのはサポーターの「反省」と「自粛」によるところが大きい。それに甘えてクラブが根本的な問題解決を先送りするようなら、近い将来に必ず悲劇が起こる。
 Jリーグと所属クラブのプロフェッショナルな対処が、いまほど望まれているときはない。

(1995年10月17日)

No.121 田口事件

 浦和レッズの田口禎則選手が競技場外でサポーターに暴力をふるった事件(先月23日)は、悲しむべきものだった。

 田口選手に直接取材したわけではないが、マスコミの論調に見られる「思い上がっている」というのは少し見当違いだと思う。むしろ、プレッシャーに対する「弱さ」を感じる。
 プロサッカー選手にとっての「プレッシャー」は試合中だけのものではない。試合を離れても、マスコミやファンが選手の生活にかかわってくるのを避けることはできない。そのプレッシャーに負けて才能を生かしきれなかった選手は、数限りなくいる。

 プレーだけでなく世間の関心の高さでも世界一といわれるイタリアの「セリエA」で、もう20年間近くもトップスターの座にあるフランコ・バレージ(ACミラン)から、こんな話を聞いたことがある。
 「もちろん、プレッシャーはある。でも、このレベルに達した者は、自分の役割を認識しなければならない。プレスやファンに対する責任を果たすから、有名人でいられるんだ。自分自身をコントロールし、他人の役割を守るよう、僕は努力しているよ」
 田口選手のケースは、この「セルフコントロール」を失ったものだったが、その危険性はすべてのJリーグ選手にある。この事件がいい教訓となることを期待したい。

 ところで、この件で不可解なことがある。
 浦和レッズは、田口選手に自宅謹慎を命じ、それとともに「現契約期間内(来年1月末まで)の試合出場停止」処分を決めた。契約満了後の出場停止処分などクラブにはできないから、当然のことといえる。
 不可解なのは、田口選手から事情を聞き、浦和レッズから報告を受けたJリーグ規律委員会の考えだ。レッズの「処分案を適切なものと判断」し、追認して上部機構の日本サッカー協会に伝えたというのだ。(協会の規律・フェアプレー委員会は決定を保留)。
 試合外のことだから、クラブ自身が処分すれば済むことというのが、Jリーグの考え方のようだ。

 これは、Jリーグの責任回避である。
 Jリーグのメンバーは14の加盟クラブだが、クラブの支配下にある選手も、Jリーグはその規約で拘束しており、選手の監督責任はクラブとともにJリーグにも存在する。とすれば、今回のような選手の行為に対して、Jリーグは、クラブの処分とは無関係に、主体的に処分を下さなければならない。それが、リーグ自身の「責任の取り方」にほかならない。

 犯した行為の内容はまったく違うが、4月の中西永輔選手(ジェフ市原)のハンド事件のときにも、Jリーグは「出場停止1試合プラス罰金」というクラブの課した処分を適切とし、独自には何の処分もしなかった。その結果、中西選手は公式にはただ1試合出場しなかったということだけになった。
 クラブの処分案を「追認する」とはどういうことなのか。田口選手の場合も中西選手のときと同じになるとすれば、Jリーグはその監督下にあるプロ選手の行為について、社会に対して何の責任もとらないということになる。

 「ただ罰すればいいというのではなく、選手の更生の道を考える」というJリーグの方針は高く評価できる。4カ月の出場停止が甘いか辛いかということも問題ではない。
 しかし主体的な処分を行わず、クラブと協会に責任を押しつけるかっこうになったJリーグの態度は、すばやい行動を怠った浦和レッズの対処と同様に、失望させるものだった。

(1995年10月3日)

No.120 日本代表の日程に異議あり

 先週の水曜日のパラグアイ代表との国際試合は、加茂周監督が指揮をとり始めて以来、もっともがっかりさせられる試合だった。
 1−2という結果の話ではない。監督が就任してから9カ月間、5月のキリンカップで大幅にチームを入れ換えてからも8試合目になるというのに、技術面、戦術面、体力面、そして精神面と、何ら見るべきところがなく、低レベルの試合をしてしまったことだ。

 技術面では、ボールを止める、けるという基本的な技術の精度が非常に低かった。戦術面では、チームとしてどうプレーするかまったく統一されておらず、各個がばらばらにプレーしていた。体力面では、大半の選手に体のキレがなく、パラグアイの動きについていくことができなかった。
 精神面も失望だった。加茂監督は「最後までよくファイトした」と、「がんばり」を評価したが、この日は日本代表としてのプライドや使命感、責任感はまったく感じられなかった。
 ベテランには、「選ばれて当然、先発して当然」というマンネリズムはなかっただろうか。そして若手には、ベテランを追い落としてレギュラーの座を奪い取ろうという、燃えるような野心があっただろうか。

 「加茂・日本代表」は最初は苦戦したが、キリンカップで目指すサッカーができ始め、6月の国際チャレンジ大会(イングランド)では、勝利こそつかめなかったものの高い評価を受けた。8月にはブラジル代表に大敗したが、守りを固めて逆襲に賭けるという戦いでなく、積極的にプレーしてのものだっただけに失望させることはなかった。
 予定どおりとは言えなくても、加茂・日本代表は順調にチーム力を伸ばしてきていた。だがこのパラグアイ戦は「元の木阿弥」の試合内容だった。

 最大の原因は疲れだ。
 日本代表は全員Jリーグの選手。そのJリーグは毎週2試合の日程だ。代表選手たちはこのパラグアイ戦の前週も水曜と土曜にリーグ戦を戦い、日曜の夜に集合した。月、火と2日間練習して水曜に試合というスケジュールだった。
 今回の日本代表があらゆる面で低レベルのプレーをしてしまったのは、準備期間があまりに短かく、疲れをとる時間もなかったことが大きな原因だった。
 本来なら、そうした状態のときにこそ、日本代表としてのプライドや使命感、代表のユニホームを着る責任感などの「モチベーション」(動機づけ)が「最後の頼み」になるのだが、逆に代表試合に飽きているようにさえ感じられた。

 リーグ期間中に代表の日程をはさんでいくのは、強化の面で非常に大きな意味がある。だがその試合は、できうるかぎりいいコンディションで、戦術的にも精神的にもしっかり準備できるようにしなければ意味がない。週2試合のリーグ期間中の水曜日に代表の試合をするのなら、少なくとも直前の週末の試合は外し、1週間を代表ゲームの準備にあてさせるべきだ。
 リーグ日程が週末にしかはいらないイタリアやドイツでも、水曜に代表の試合がはいる直前の週末はリーグを休み、代表の準備に十分な時間を与えている。その試合が、親善試合であろうと、ワールドカップ予選だろうと関係ない。

 10月下旬にも日本代表の試合が組まれている。だが今度は土曜にJリーグがあり、次の火曜にサウジアラビア、そして土曜にウズベキスタンと戦う。サウジ戦は、今回のパラグアイ戦よりさらに1日準備期間が短い。「いい試合」を期待できる要素は、精神面での充実だけ。「最後の頼み」しかない状態なのだ。

(1995年9月26日)

No.119 浦和と名古屋の「ディシプリン」

 ことしのJリーグでいちばんの驚きは、浦和レッズと名古屋グランパスの変貌ぶりだ。昨年は第1ステージの最下位がレッズ、第2ステージがグランパス。それが、今季の第1ステージでは後半の快進撃で3位、4位を占め、第2ステージも上位をキープしている。
 がんばって、なんとかしのいで勝つというサッカーではない。自分たちのスタイルを忠実にプレーし、チーム一丸となって勝利をつかんでいるのだ。
 選手が大幅に入れ代わったわけではない。レッズのオジェック、グランパスのベンゲル。今季就任した両監督がチームに新しいものをもたらし、劇的にチームを変えたのだ。それが「ディシプリン」だ。

 通常「規律」と訳される言葉。生活面での規律のことが頭に浮かびがちだが、Jリーグの2チームを変えたのは、「戦術的規律」とでもいうべきものだ。
 サッカーは11人の選手でプレーするチームゲームである。同時に、監督がひとつひとつのプレーを指示するわけではなく、それぞれの選手がその場その場で自分で判断してプレーを決めるゲームでもある。
 しかし各選手がばらばらに判断して攻撃し、守備をしていたのでは試合にならない。だからチームは攻撃守備両面でいろいろな「約束ごと」をつくり、個々の選手にそれぞれの「役割」を与える。ポジションを決めることもそのひとつだ。それをやり遂げることによって、11人の選手はようやく「チーム」として戦うことができるのだ。

 ディシプリンのあるチームとは、全選手が自分の役割をきちんと理解し、約束ごとに従ってプレーしようと強く意識し、また努力する集団をいう。
 今シーズンのレッズとグランパスは、まさにそうしたチームとなった。だからうまくいかない試合があったとしても、連敗はなくなった。まずい試合の後には個々の役割と約束ごとを再確認し、ディシプリンを徹底させればいい。

 では、どうしたらチームにディシプリンを植えつけていくのだろうか。
 ハンス・オフト(現在ジュビロ磐田監督)は、このように書いている。
 「食事を8時にすると決めたら、8時に食堂に集合するのではなく、8時にはテーブルにつき食事が始められなければならない」(「ハンス・オフトのサッカー学」小学館)
 日本代表チームでも、スタートはこのような些細な生活習慣の規律を守らせることだった。オフトはそうやって選手たちに「自己管理」をうながした。フィールド内でのディシプリン、すなわち「戦術的ディシプリン」を身につけるためには、しっかりと自己管理のできる選手でなくてはならないからだ。今季のレッズやグランパスでも、プレー以前に自己管理が強く求められたに違いない。

 選手たちは、はじめはとまどい、次には反発を感じたかもしれない。しかしそうした生活訓練とともに進められる戦術的トレーニングの成果が出て勝ちはじめると、それは監督への信頼に変わる。
 「こうプレーすれば勝てるんだ」という確信が、フィールド上での「ディシプリン」につながる。
 昨年、一生懸命にプレーしてもまったくいい結果に結びつかなかったころと、最近の両チームの選手たちの「顔」を見比べてみてほしい。今シーズン、レッズとグランパスの選手たちの試合中の表情は自信にあふれている。
 ただ勝てるようになったからではない。どうプレーすれば「いいチーム」になれるか、それをしっかりとつかんだからだ。

(1995年9月19日)

No.118 浅井のオヤジ

 「オヤジさん」。メンバーは誰もがそう呼ぶ。私が選手として登録されている「町のクラブチーム」のチームメートであるオヤジさん、浅井喜八郎さんはことし60歳になった。

 60歳でサッカーをしていること自体は、珍しいことではない。各地には「四十雀(しじゅうから)」と呼ばれるクラブがあるし、旧制高校のOB大会も開催されている。
 しかし浅井さんは、30代半ばでサッカーを始め、現在も20代の選手を相手にプレーするれっきとした「現役選手」である。

 浅井さんとサッカーとの出合いは1970年、長男が「サッカースクール」に通い始めたときだった。
 そのスクールがあるとき「父親サッカー教室」を開催した。「お父さんにもサッカーをやってもらって、子供たちの励みにしよう」という企画だった。
 父を早く亡くし、家業の電気工事に専念してきた浅井さんは、この年になるまでスポーツに取り組んだことがなかった。テニスやバスケット、野球などの球技に強いあこがれをもっていたが、若いころには時間も余裕もなかったのだ。

 浅井さんは小学3年生の長男とともに少年のような心でサッカーに取り組んだ。早朝や仕事が終わってから、ボールリフティングの回数を競い合う毎日だった。
 「父親サッカー教室」のメンバーはやがて「試合をしたい」と言いだし、スクールの若いコーチたちといっしょにチームを作った。それが現在も東京社会人リーグを中心に毎週日曜日に活動する、私のクラブだ。
 やがてサッカースクールの生徒たちは成人し、クラブは「元父兄・元コーチ・元生徒」の三世代で構成されるようになった。浅井さんの長男資夫(よしお)くんもGKとしていっしょにプレーするようになった。

 「父親」メンバーたちは仕事や体力的な問題で次第にチームを離れた。数年前には、最後までいっしょにがんばってきた同じ年の綱川綱三郎さんが、持病が出てコンスタントに出席できなくなった。だが浅井さんは25年間、一選手としてプレーを続けてきた。

 「元気にやってこられたのは、奥さんのおかげ」
 浅井さんはちょっと照れながら話す。屋根裏や床下にはいっての作業が多い電気工事は、肉体的に非常にきつい。この25年間、浅井さんが大きなケガも病気もなくやってこれたのは妻の春子さんが食事や栄養の管理をしっかりとしてくれているおかげだ。
 「サッカーの仲間は年代もいろいろ、職業もいろいろで、ただサッカーをいっしょにやるための仲間だから、日曜日は完全に気持ちを切り換えられる」
 と語る浅井さん。
 「一日のうちひとつでもいいトラップができたり、いいパスが出せれば、それで満足。家に帰って風呂にはいりながらそのプレーを思い出すと、とても幸せな気分になる」
 「毎週毎週、やるたびに感動がある。25年間やってきたけれど、キックひとつにしても、サッカーは年ごとに奥深いものに思えてくる。しかし最近は、Jリーグというすばらしい手本があるので、とても参考になる。もっともっとうまくなりたい。必要なときにチームの役に立てる選手になりたい」

 クラブには30代後半の選手も少なくないが、浅井さんを見ているせいか、だれも「もう年だから」などとは言わない。「あんなオヤジになりたいな」と、誰もが考えている。
 先週末に、クラブのメンバーは小さなパーティーを開いた。浅井さんと綱川さん、尊敬するふたりの「チームメート」の「還暦」を祝うパーティーだった。
 
(1995年9月12日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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