サッカーの話をしよう

No.490 キレるサッカー選手

 まるで「キレる若者」を見る思いだった。
 11月29日のJリーグ最終節、優勝をかけた横浜と磐田のビッグゲームの前半15分、横浜のGK榎本哲也が磐田FWグラウを突き倒し、退場処分になったのである。
 その直前、榎本がボールをけろうとしたときにグラウが飛び込んできて、体に当たったボールがあわやゴールに転がり込みそうになった。吉田寿光主審はグラウのこのプレーを反則にしたが、榎本は収まりがつかず、自陣に戻ろうとしていたグラウのところに猛然と走り寄り、そのままの勢いで突き倒したのだ。
 20歳の榎本にとって、この試合のプレッシャーがどれほどのものであったか、想像に難くない。早々と1点を失って、さらに追い詰められていたのかもしれない。しかしそれでも、あんな形の報復は、とてもサッカーの試合の中の行為とは思えない。
 その晩遅くにテレビ中継で見たワールドユース選手権では、日本のDF角田誠(京都)が、すでに一枚イエローカードを受けた直後というのに、相手FWの小さな反則に怒り、つかみかからんばかりの形相で怒鳴った。相手選手が取り合わなかったのが幸いだった。もし相手が少しでも挑発する素振りを見せたら、手が出ていた状況だった。そうなれば、榎本と同じように一発退場は免れなかっただろう。
 最近、こうした行為が多いのが気になる。退場処分になったらチームは残りの時間を10人で戦わなければならなくなるのは誰でも知っている。しかし頭にカッと血が昇った瞬間、何もかも忘れてしまうのだろう。そしてその一瞬後には後悔だけが残る。自分の軽率な行為が大きな迷惑をかける結果になった榎本は、劇的な逆転勝利でチームがJリーグの年間チャンピオンに決まった後にも、心から喜ぶことはできなかったはずだ。
 デビッド・ベッカム(イングランド代表、レアル・マドリード)には、苦い記憶がある。初めて出場したワールドカップ、98年フランス大会の決勝トーナメント1回戦。強豪アルゼンチンと2−2で迎えた後半はじめ、彼はシメオネの反則に怒り、うつ伏せに倒れたまま相手の足をけってしまったのだ。ひどいキックではなかったが、明らかに故意だった。言い訳はできない。主審は見逃さず、即座にレッドカードが出た。
 それまで「この大会最高の内容」と呼ばれるプレーを見せていたイングランドだったが、ひとり減ったことで守備を固めざるを得ず、延長まで防戦一方の試合を戦ったあげく、PK戦で敗れた。メディアは、敗戦の全責任をベッカムに押し付けた。そしてその後も、ことあるごとにそのときの退場事件を取り上げた。
 ベッカムは深く傷ついた。その傷は、2002年ワールドカップの予選最終戦で見事なFKをギリシャのゴールに突き刺して出場権をもたらしても完全に癒えることはなかった。昨年6月、2002年大会のアルゼンチン戦(札幌)で、決勝点となるPKを決めて雄叫びを上げる姿を見て、ようやく彼がその悪夢から解放されたことを知った。
 ファウルをされて冷静さを失う選手は怖くない。本当に怖いのは、日本代表の中田英寿(パルマ)のように、どんなファウルを受けても何事もなかったかのように立ち上がり、すぐに次のプレーに移っていく選手だ。
 感情をコントロールできなければ自分自身のプレーをコントロールすることはできない。どんな技術をもち、高度な戦術を身につけていても、コントロールが効かなければ勝者になることはできない。
 榎本は今回の退場を忘れてはいけない。苦い思いを抱き続け、いつか心から喜べる日を迎えられるよう、努力を続けなければならない。
 
(2003年12月3日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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