サッカーの話をしよう

No.1129 歴史を語り継ぐパフォーマンス

 「海の日」に埼玉スタジアムで行われた鈴木啓太(元浦和)の引退試合は、とても楽しい試合だった。
 浦和と日本代表で「ケイタ」のチームメートだった旧友たちが50人近くも出場、例外なくファンを喜ばせようという姿勢は、心を打った。
 なかでも圧巻だったのは、代表OBで出場した中村俊輔(磐田)だ。絶妙のパスを飽きることなくケイタに送り続け、なんと前半の45分間だけで10本ものシュートを打たせたのだ。ケイタが2ゴールを記録できたのは、中村がその天才を彼に点を取らせるためだけに使った結果だった。
 前半中村のリードで3-0と大差をつけた代表OBだったが、後半になるとユニホームを着替えたケイタを含む浦和OBが反撃、4-3と大逆転した。しかし終了間際、PKのチャンスが訪れる。
 間髪を置かず、代表OBの岡田武史監督が岡野雅行(元浦和)を送り出す。前半浦和OBで出場、猛烈な走りでファンを沸かせた岡野は、すでに代表OBのユニホームに着替え、背番号17をつけてベンチに控えていた。
 思い切り下がってから走り込み、同点ゴールを左隅にけり込んだ岡野。すると両手を真横に広げ、ベンチに向かって走り始めた。
 20年前、1977年11月16日、マレーシアのジョホールバル。イランと戦った日本代表は、2-2で迎えた延長後半13分に岡野が決勝点。この「ゴールデンゴール」で日本中の誰もが夢見たワールドカップ初出場が決まった。殊勲の岡野は両手を広げてベンチに向かって走り、真っ先にベンチを飛び出した岡田監督とぶつかり合うように抱き合った。その場面の再現パフォーマンスだった。
 自分に向かって疾走してくる岡野に、一瞬遅れて岡田監督も気付き、ベンチを出る。そして岡野と抱き合う。
 もちろん「引退試合」とは無関係だった。だが20年もの時間を超えて、瞬時にあの日がよみがえった。スタンドのファンも同じ思いだったに違いない。浦和のサポーターたちも大喜びだった。
 若いファンにとって20年前は「大昔」かもしれない。しかし「ジョホールバル」は日本のサッカー史に残る重要な歴史である。すでにワールドカップに5回も出場した現在では想像もつかない巨大な歓喜の一瞬があったことを、その時代を知る者が語り継ぎ、若い世代がまるで体験したかのように理解することこそ、「文化」なのだろう。
 50人近い選手がケイタへの友情を「ファンサービス」で示した試合は、楽しさにあふれていた。そして岡野が見せた「即興」に、Jリーグが積み重ねてきた四半世紀で育まれた「文化」を感じた。

(2017年7月19日) 
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