サッカーの話をしよう

No.1070 白馬ファイナル

 明日4月28日は「白馬ファイナル記念日」である―。
 世界最古の歴史を誇るイングランドのFAカップ。5月21日に行われることしの決勝戦は、マンチェスターユナイテッド×クリスタルパレス。会場はロンドンのウェンブリー競技場。このスタジアムで行われた最初の決勝、1923年のボルトン×ウェストハムこそ、サッカーのピッチ上で1頭の白馬がヒーローとなった歴史的な試合だった。
 1924年の大英帝国博の一環として建設が決まったウェンブリー。工事はわずか1年間で終わり、1923年4月23日にFAカップ決勝が行われた。
 前年の決勝戦入場者は5万3000人。新スタジアムは12万7000人という空前の収容力だった。イングランド協会(FA)のウォール事務総長は「ようやくFAカップ決勝を見たい人が誰でも見られるスタジアムができた」と誇らしげに語ったが、その一方で新スタジアムを満員にできるか懸念した。だが出場チームのひとつウェストハムがロンドンのチームだっただけでなく、当日がすばらしい好天だったことで、その朝、予想をはるかに上回る人がウェンブリーへと向かった。
 午前11時半、キックオフから3時間半前の開門時から長蛇の列ができ、最寄りの鉄道駅からの道にはファンがあふれた。スタンドは見る間に埋まり、後からはいった人に押し出された人びとがピッチ上まで埋めた。午後1時45分に入場口を閉めたが、おそらくその時点で20万人近くの人が入場していただろう。前売り入場券もあったが、観客の多くは入場口で1シリング銀貨1枚を払い入場する形。入場者数をコントロールするという考え方もなく、何人はいったか、誰にもわからなかったのだ。
 「このままでは中止にするしかない」とウォール事務総長は思った。しかし2時45分に国王ジョージ5世が姿を見せると喧噪が消え、国家斉唱の間に人びとの間に落ち着きが生まれた。そこに何人かの騎馬警官が登場し、ピッチ上からゆっくりと人びとを押し下げた。黒っぽい服装の人が多いなか、1頭の白馬の動きが目立った。やがてすべての人がラインの外に出され、試合は45分遅れでキックオフされた。ライン際の観客に当たってピッチ内にはね返ったボールはプレー続行という前代未聞の試合、ボルトンが2-0で初優勝を飾った。
 この試合を契機に、多くのことが変わった。なかでも入場口での現金のやりとりをやめ、「全チケット制」が採り入れられたのは、サッカー史でも重要な出来事だ。そして一歩間違えれば多数の犠牲者を出しかねなかった事件のなかで、人びとの心を落ち着かせることが何より大事であるという重要な教訓を残した。

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"WEMBLEY The Greatest Stage"より

(2016年4月27日) 
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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