サッカーの話をしよう

No.787 神が舞い降りた中村憲剛

 サッカーではごく希に説明不能なことが起こる。下あごの骨折という大けがから復帰した中村憲剛(川崎)のプレーには理屈を超えた「サッカーの神様」の存在さえ感じる...。
 2月23日、AFCチャンピオンズリーグの城南(韓国)戦の前半15分に負傷。顔つきが変わるほどの重傷だったが、彼は90分間戦い抜いた。帰国後4時間にわたる手術を受け、2週間後にようやく退院。実戦復帰は4月14日、因縁の城南とのホームゲームだった。
 川崎が2-0とリードして迎えた後半、城南が捨て身の攻勢に出た。その勢いを止めようと、後半21分、高畠勉監督は背番号14、中村を送り込んだ。
 笑顔だった。ちょうど50日ぶりのピッチ。不安よりも喜びが大きかったに違いない。
 驚くべき25分間が始まった。はいってわずか1分後にはワンタッチで鮮やかな浮き球のパスを出し、FW黒津を抜け出させて3点目につながるPKを生み出した。その後も、中村が触れるたびにボールは生命を吹き込まれたように味方に渡り、次のプレーを促した。
 4月18日のJリーグ浦和戦では、0-2とリードされた後半からの出場だった。やはりこのときも出場してすぐにPKにつながる決定的なパスを出した。
 中村は日本代表でも中心のひとりであり、川崎では絶大な信頼を置かれるプレーメーカーだ。けがから復帰したばかりで大活躍しても何の不思議もない。しかしそれにしても、この2試合、70分間の中村のプレーの冴えはどうだろう。不自然なものさえ感じるのは私だけだろうか。
 あごを砕かれるという悪夢、全身麻酔での長時間の手術、流動食だけの生活、2週間にわたる入院生活...。その苦しみのなかで、中村は何を考えていたのだろうか。きっと、サッカーに対する恋い焦がれる思いのようなものだっただろう。
 そしてピッチに解き放たれたとき、彼は不思議なほどに研ぎ澄まされた感覚を味わっていたに違いない。これまでとはコンマ何秒か早く、これまでより広く次の展開が読める。そして彼自身は、自分でも驚くほど冷静にそれを見ている―。
 中村憲剛の上に、いま「サッカーの神様」が舞い降りている。
 「この怪我には何か意味があったんだと思うようにしています」
 手術の2日後、流動食ものどを通らない苦痛のなかで、彼は自分自身のブログにそう書いた。たしかに、苦しみを乗り越えて、中村憲剛は新しい境地に到達した。
 
(2010年4月21日)
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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