サッカーの話をしよう

No.622 GKに防具を

 「きのう彼と話すことができた。きれいな英語を話していたし、試みにフランス語で話すと、ちゃんとフランス語で返事をした。一日も早く復帰したいと言っていた。もちろん相当時間を要するだろうが、少し安心したよ」
 こう語ったのは、イングランドのチャンピオンクラブ「チェルシー」のジョゼ・モウリーニョ監督(ポルトガル)。「彼」とは、10月14日(土)のプレミアリーグで頭蓋骨骨折という重傷を負ったチェコ人ゴールキーパー(GK)のペトル・チェフのことだ。彼はその晩のうちに試合地レディングからオックスフォードの病院に搬送されて手術を受け、幸いなことに日増しに回復しているという。モウリーニョ監督が面会を許されたのは、負傷から6日後の20日のことだった。

 身の毛もよだつような瞬間だった。ロンドン市内に本拠を置くチェルシーがロンドン西郊にあるレディングへ乗り込んでのアウェーゲーム。キックオフ直後のことだ。
 チェルシー陣内に深く送られたボールを、ゴールから飛び出したチェフが右へ体を倒しながらキャッチした。レディングのMFスティーブ・ハントが突っ込んできたのはその直後だった。ボールを両手でつかんでいるのだから、チェフの頭部はまったく無防備だ。そこにハントの右ひざが激突した。左側頭部を強打したチェフは意識を失い、すぐに運び出された。
 「何回も繰り返し見たが、故意にやったようには見えなかった」と、あるテレビ解説者は語っている。普通ならジャンプして激突をかわすはずのハントが、逆にひざから崩れ落ちるようになった。バランスを崩して跳べなかったようにも見えた。即座に試合を止めたマイク・ライリー主審だったが、ハントにはイエローカードすら出さなかった。ハントは交代もせず90分間プレーを続けた。試合は、前半のロスタイムに相手のオウンゴールで1点を得たチェルシーが1−0で勝った。

 故意だったのか偶発的な事故だったのか。それはハント自身にもわからないのかもしれない。明確に言えるのは、こうした負傷が、これまでも、いつ起きても不思議はなかったということだ。
 相手選手が猛烈なスピードで迫っていても、ゴール前に入れられたボールに飛び込んでいくGKの姿は、どんな試合でも一度や二度は見られる。通常は、GKがキャッチした瞬間に突っ込んできた相手選手はジャンプし、衝突を避ける。だが、避けきれないこともある。
 サッカーはけっして格闘技ではない。相手の肉体を攻撃することで勝敗を争う競技ではない。しかしひとつのボールを争ってプレーするなかで、身体的な接触が避けられないものであるのも確かだ。とくに1点をめぐって最も激しい攻防となるゴール前では、激しい衝突が多くなる。そしてその犠牲者は、多くの場合、両手両腕をボールをつかむことに使うため、自分の体を守れなくなるGKたちだ。

 現在のルールには、GKのための防具の規程はない。国際サッカー連盟(FIFA)は、自分自身あるいは他の選手の危険にならないものであれば、防具あるいは保護用具の着用を認めている。しかし今回のチェフの事故を見ても、この程度の規程では不十分なことがわかる。
 少なくとも、生命にかかわる重大な負傷からGKを守るためのヘルメットが必要だ。用具メーカーは、早急にその開発に取りかかるべきだ。そしてその技術を公開して世界中で自由に生産できるようにし、FIFAは着用を全世界のGKに義務づけるべきだ。
 スポーツにもいろいろある。しかし少なくともサッカーは命がけでプレーするようなものではない。
 
(2006年10月25日)
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サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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