サッカーの話をしよう

No.610 ベイルート

 北に隣接するレバノンに対する空爆をイスラエルが始めたのは、私がワールドカップの取材から戻った7月12日のことだった。
 きっかけは、レバノンのイスラム・シーア派武装組織ヒズボラが、イスラエルとの国境付近でイスラエル兵を8人殺害し、2人の身柄を拘束して人質にしたことだという。
 レバノン南部の橋の爆破から始まったイスラエルの反撃は、日を追ってエスカレートした。2日目には首都ベイルートの国際空港爆撃、さらに3日目には、ベイルート南郊の住宅地への空爆も始まった。そこには、ヒズボラの拠点があるとされているからだ。そしてその地域のまっただなかに、2000年のアジアカップで日本代表が練習会場にしていたサッカー・クラブのグラウンドがあった。

 日本代表をフィリップ・トルシエ監督が率いていたのはもうずいぶん昔のことのように思える。しかしあのアジアカップで見せた鮮やかな攻撃は、いまもはっきりと脳裏に浮かぶ。日本は初戦で優勝候補筆頭のサウジアラビアを4−1で下し、2戦目にはウズベキスタンを8−1で撃破した。そしてその圧倒的な攻撃力を見せつけたまま、2回目の優勝を飾った。
 この大会中に日本が練習会場として使用したのが、「アルアヘッド」という名のクラブのグラウンドだった。そのグラウンドは、ベイルートの南郊の住宅地にあった。周囲には、ヒズボラのシンボルである黄色い旗が掲げられた住宅がいくつもあった。
 練習の最中、はるか上空を小型のジェット機が鋭い音を出して通過していく光景を何回も見た。
 「イスラエルの偵察機だ」
 いつも練習の警備に当たっていたレバノン国軍の兵士ハレドがそう話した。

 1943年に独立、イスラム教徒とキリスト教徒の内戦もあったが、70年代半ばまでのレバノンは安定した国だった。首都ベイルートは交易の中心となり、そのにぎわいと美しい街並みは「中東のパリ」と呼ばれた。日本の企業も多数駐在していた。しかしパレスチナ・ゲリラへの攻撃をきっかけに、75年に内戦が再燃。イスラエルの侵攻もあり、90年まで15年間も国内が乱れた状態が続いた。
 2000年のアジアカップは、内戦の痛手から立ち直り、国を再建しようという力強い雰囲気のなかで開催された大会だった。町のあちこちには内戦時代に破壊された建物が残っていたが、人々は未来への希望を胸に生きていた。
 滞在中にずっと世話になったタクシー・ドライバーのイブラヒム・ハリルさんの家は、ベイルート国際空港のすぐ北にあった。内戦時代に育ち、銃をもって走り回った青春時代しか知らないイブラヒムさんは、3人の子どもたちには十分な教育を受けさせたいと、懸命に働いていた。

 長女はもう23歳になったはずだ。「弁護士になりたい」ときれいな英語で話してくれたが、その夢はかなえられたのだろうか。
 その平和な生活の上に、いま、容赦なく爆弾が降り注いでいる。
 先月末には、誤爆により、子ども22人を含む民間人50人以上がレバノン南部の村で犠牲になったというニュースが伝わった。
 「ヒズボラのロケット弾発射拠点への攻撃が、隣の建物に着弾した。しかし住民には事前に退去を命じていた」とイスラエルは発表している。しかし住宅地への攻撃がこうした結果を生むのは必然だ。
 ニュースを聞くたびに、練習グラウンドの上の真っ青な空に、鮮やかな飛行機雲を残して飛び去るイスラエル偵察機の金属音を思い出す。そして、その空の下で身を縮めるように暮らすイブラヒムさん一家のことを思う。
 レバノンには、サッカーを通じて知り合った私の友人がいる。私の心の一部がある。その友人たちが置かれている状況に、心が痛む。
 
(2006年8月2日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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