サッカーの話をしよう

No.608 ゲーム分析に新手法を

 6月30日の深夜、デュッセルドルフの静かな住宅街の3階にある自宅の仕事場で、パソコンの画面を見ながら、庄司悟さん(54)は興奮を抑え切れず、ひとりこぶしを握った。
 その日、ベルリンで行われたワールドカップの準々決勝で、地元ドイツがPK戦の末南米の強豪アルゼンチンを下し、準決勝進出を決めた。しかし彼の興奮は、31年間暮らしてきたドイツが勝ったためではなかった。
 74年のワールドカップ西ドイツ大会を現地で見たことをきっかけにドイツのサッカーに興味をもち、勉強のためにドイツに渡ったのが75年。以後、ケルン体育大学を経て、在独のままさまざまなスポーツ関係の仕事をしてきた。そして数年前から、サッカーのデータ分析を専門にするようになった。
 このワールドカップで、彼は詳細な試合データをもとにしたゲーム分析を行ってきた。数日前には、ドイツがアルゼンチンに勝つにはこれしかないという戦略を立てた。そしてこの日の試合が終わってから数時間をかけて準々決勝のアルゼンチンのプレーデータを分析し、ようやく結果が出たところだった。パソコンの画面は、ドイツのクリンスマン監督が、まさにその戦略どおりの戦いを実行したことを示していた。

 決勝トーナメント1回戦までのアルゼンチンの戦いを分析した結果、大きな特徴があることがわかった。アルゼンチン選手のボールコンタクト位置の分布をもとにデータを処理すると、ピッチの中央、センターサークル内に1カ所だけ、非常にコンタクトの多い地域があった。
 その他のチームの同じデータでは「2極」ができるのが大半だった。ブラジルなら相手陣の右と左に、ドイツなら相手陣と自陣の中央に。「1極」は非常に珍しい形だった。そしてそこにアルゼンチンのプレーの秘密があった。
 FWサビオラやクレスポの突破、あるいはMFリケルメのパスワークなどに目を奪われがちだが、アルゼンチンの攻撃のベースはピッチ中央での細かなパスワークにあった。あまりにテンポよくパスが回るので、相手守備陣がじわじわと引きつけられる。その瞬間、サイドを突破するパスが出るのだ。

 「このアルゼンチンを止めるには、サイドの突破を抑えるという考え方ではなく、ピッチ中央での細かなパスワークを妨害する必要がある」
 庄司さんはそう考えた。ドイツはまさにそのとおりのプレーをした。準々決勝のアルゼンチンのボールコンタクト位置をグラフ化すると、ピッチの中央にそびえているはずの富士山のような「単独峰」(ボールコンタクトの多い地域)が、まるでケーキのように4つに分断されていたのだ。
 楽な試合ではなかった。幸運もあった。しかしアルゼンチンに本来のプレーをさせなかったことこそ、ドイツの準決勝進出の最大の要因だった。アルゼンチンはピッチ中央でのパスワークを断ち切られ、本来のスピードを出すことができなかったのだ。

 この大会で、庄司さんはいろいろな手法を考案しながら分析を進めた。ベースになったのは、5分ごとのデータ収集だ。ボールの支配率、パスの精度、パスの本数、特定の個人への依存度、1対1の勝率...。契約しているドイツのデータ専門会社がオンタイムでたれ流しにして、試合後には数行の数字しか残らないものを、5分刻みで保存し、1試合を通じての変化をグラフ化したのだ。
 「監督の頭の中を読みたい」
 それが庄司さんのテーマだった。どのようなゲームの進め方をするのか、状況に応じて、どんな戦術の変更を行い、どんな狙いの選手交代をするのか。膨大なデータの分析を通じ、見えてきたものがある。まだ見えないものもある。
 しかしいまはメディアの材料のひとつにしかすぎない試合のデータを、想像力を働かせて分析することで、サッカーの新しい見方を日本に提示できるのではないかと、庄司さんは考える。今回のワールドカップ敗退で方向性を見失いかけている日本のサッカーに、提案できるものがきっとあると、考えている。
 
(2006年7月19日)
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