サッカーの話をしよう

No.596 相手CKはビッグチャンス?

 3月12日、千葉の「フクダ電子アリーナ」。立ち上がりからビジターのヴァンフォーレ甲府が圧倒的な攻勢を取った。ホームのジェフ千葉は前半10分が過ぎても攻撃を組み立てることさえできない。流れを変えたのは、前半12分の千葉のひとつのプレーだった。
 きっかけは甲府の右CK。千葉のではない。相手チームのCK、千葉にとってはピンチの場面だ。ところが千葉はここから見事な攻撃を繰り出し、もう一歩で先制点という場面をつくったのだ。
 甲府はCKを短くけり、低いクロスを入れる。これを千葉MF阿部がカット。その瞬間、ゴール前の密集からひとりの千葉選手が飛び出した。DFストヤノフだ。ハーフライン付近にはFWハースがいたが、阿部はそこへはけらず、ストヤノフにパスを出した。受けたストヤノフはドリブルのスピードを上げ、やや右サイド寄りのコースであっという間に甲府陣にはいった。

 前線のハースは相手2人を引き連れて右斜め前に向かって疾走している。オフサイドポジションだが、問題はない。千葉の狙いは、ハースではなく、彼の動きによって生まれた左サイドの広大なスペースだったからだ。千葉MF羽生が猛烈な勢いで走り上がってくる。ストヤノフはタイミングを逃さず羽生の前方のスペースにボールを送った。
 もし羽生がボールにきちんと触れていたら、間違いなく決定的チャンスが生まれただろう。だがわずかに合わず、コントロールしきれなかったボールは左に流れた。
 しかしこのワンプレーで千葉はリズムを取り戻した。そしてJ2から昇格したばかりの甲府は、一瞬のスキをつくJ1の攻撃の威力にそれまでの勢いがそがれたようになり、以後、試合は千葉のペースとなっていく。

 私には、このときの千葉のプレーが偶然のようには思えなかった。千葉は、「相手CKからの攻撃」を攻撃パターンのひとつにもっているのではないか----。よく千葉の取材をしている人に聞くと、オシム監督は「相手CKは大きなチャンス」と選手たちに話しているらしい。きっと練習したこともあるのだろう。
 実は「相手CKからの攻撃」は、ヨーロッパのトップクラスのクラブでは常識になりつつある重要戦術のひとつなのだ。ドイツのバイエルン・ミュンヘンでは、この練習を繰り返し行っているという。
 バイエルンのような強豪クラブは、守備を固める相手と戦うことが多い。どんなに能力の高い選手を並べても、組織された守備を崩すのは簡単ではない。そこで、大きなスペースができる「相手CK」が、攻撃の重要なテーマとして浮かび上がったのだ。

 日本代表もこの形で失点したことがある。昨年の6月のブラジル戦。最初の失点は日本のCKをはね返されたところから生まれたものだった。
 前半10分、それまで攻め込まれながらも懸命に防いでいた日本が右CKのチャンスをつかむ。MF小笠原がキック。しかし簡単にクリアされる。左サイドにいたブラジルMFロナウジーニョは、日本選手2人をあっさりとかわし、無人の中盤をスピードドリブルでゴールに向かう。
 トップに残っていたFWロビーニョが寄ってくる。そしてロナウジーニョの背後を通って左外に抜ける。しかし中央のスペースにブラジルの選手が2人も駆け上がってきたため、マークしていた三都主は気を取られ、ロビーニョを離してしまう。ロナウジーニョはタイミングを逃さずロビーニョにパス。角度のないところからのシュートが、GK川口の足元を破った。
 日進月歩の世界のサッカー。ワールドカップでは、こんな高度なチームプレーを操るチームと対戦しなければならない。一瞬も、自分たちのCKのときでさえ、気を抜くことのできない戦いなのだ。
 
(2006年3月15日)
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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