サッカーの話をしよう

No.587 リヒテンシュタインの奇跡

 ワールドカップ予選の2年間が終わった。12月9日の組分け抽選結果を経て、32の出場国はいま、来年6月9日の開幕に照準を合わせて新年を迎えようとしている。
 その一方、予選に敗れた世界中の162もの国はそれぞれの思いのなかにいる。不運をのろっている国もある。手中にはいりかけた初出場を逃し、ちょうど12年前の私たちのような喪失感にとらわれている国もある。そしてまた、今回の予選で大きな飛躍を遂げ、未来への希望を胸に2006年を迎える国もある。その代表がヨーロッパ予選第3組のリヒテンシュタインだ。

 スイスとオーストリアにはさまれたリヒテンシュタイン公国。瀬戸内海の小豆島とほぼ同じ158平方キロの国土に、約3万3000人のゲルマン系の国民が居住している。国語はドイツ語だ。現在の主要産業は工業だが、美しい切手を発行することで、マニアの間ではよく知られている。
 1934年設立のサッカー協会に加盟しているクラブ数はわずか7。チーム数はユースや女子も含め約100で、登録選手数は1900人。イタリアやスイスでプロとしてプレーしている選手もいるが、代表選手の大半はアマチュアである。
 2002年ワールドカップの予選では、重要な試合にリベロのハリー・ツェックが出場できなかった。本業のワイン作りの最盛期と重なってしまったからだ。銀行員、郵便局員、大工...。74年にFIFAに加盟したものの、こんなチームでは戦うことはできないと活動は消極的だった。

 最初の国際試合は82年。初めてメジャー大会の予選に参加したのが96年のヨーロッパ選手権で、ワールドカップ予選は98年フランス大会が初出場だったが、マケドニアに1−11で敗れるなど10戦全敗、1試合平均失点は5点を超えた。2002年大会予選も8戦全敗だった。
 昨年8月に始まった2006年大会の予選でも、初戦はエストニアに1−2で屈し、続いてスロバキアに0−7で大敗した。2004年10月9日、首都ファドーツのラインパルク・スタジアムに強豪ポルトガルを迎えたときにも、期待は大きくなかった。それ以前、リヒテンシュタインはポルトガルと4回対戦したことがあったが、もちろん全敗で、得点は0、総失点は28だったのだ。
 前半は0−2。2点目はオウンゴールだった。ところが後半3分にMFブルグマイヤーが1点を返すと急に元気づいた。スタジアムを埋めた超満員の3548人(間違いではない)の観衆の声援に後押しされて果敢に攻め込み、後半31分にはMFベックがFKを決め、同点に追いついてしまったのだ。2−2の引き分けは、リヒテンシュタインがワールドカップ予選21試合目で初めて記録された勝ち点1だった。

 その4日後にさらに驚くべきことが起こった。アウェーでルクセンブルクを4−0で破ったのだ。もちろんワールドカップ予選初勝利。それだけでなくアウェーでの初勝利であり、また4ゴールも最多記録だった。ルクセンブルクも小国だが、人口は44万、登録選手数はリヒテンシュタインの10倍もいる。
 ことし8月にはスロバキアと0−0で引き分け、9月には再びルクセンブルクを3−0で下した。ヨーロッパ第3組で7チーム中6位。しかし残された2勝2分け8敗、勝ち点8という記録は、3万3000人の国民に深い満足感と大きな誇りをもたせた。
 協会本部やテクニカルセンターが建設され、ユース育成に大きな力が注がれ始めている。ラインハルト・バスラー協会会長は、満足そうな笑みを浮かべてワールドカップ予選をこう振り返った。
 「この2年間で、私たちはついに世界の『サッカー地図』に載ることができた」
 
(2005年12月28日)
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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