サッカーの話をしよう

No.581 ジェフの初タイトル

 ジェフユナイテッド市原千葉のJリーグ・ヤマザキナビスコカップ優勝は、何の驚きでもない。
 たしかにジェフはこれまで何のタイトルも手にしたことがなかった。しかし3年前にボスニア・ヘルツェゴビナ出身のイビチャ・オシム(64)が監督に就任して以来のJリーグでの成績は、彼らがいつタイトルを取ってもおかしくないことを示していた。
 2003年第1ステージ3位、第2ステージ2位、2004年第1ステージ7位、第2ステージ2位。今季も、第29節終了時で首位と勝ち点5差の5位につけている。J1で最も観客数が少なく(2004年には1試合平均1万0513人だった)、年間予算も、最も多い浦和の3分の1にも及ばないクラブながら、ここ数年、ジェフは間違いなくJリーグのトップチームのひとつだった。

 99年、2000年と2シーズン連続で降格の危機を経験したジェフが「変身」したのは2001年のことだった。この年ベルデニック(スロベニア)、翌年ベングロシュ(スロバキア)と、ヨーロッパの大物監督を次つぎと招聘し、順位を上げるとともにチームの基礎が固まった。そして2003年はじめにやってきたのがオシムだった。
 90年ワールドカップでユーゴスラビア代表を率いてベスト8に進出し、その後、オーストリアでやはり小さなクラブを率いてセンセーションを巻き起こした名監督。心臓を患って監督業から引退していたのを、ジェフのチーム統括部長祖母井秀隆さんが説得してピッチに引き戻した。
 オシムのサッカーに「秘密」や「マジック」はない。ジェフにきて彼がやったのは、練習、練習、そして練習だった。試合の翌日にも練習した。静岡県の磐田に遠征してナイターで優勝争いの大勝負を演じた晩にも、深夜にバスで市原まで戻り、翌朝10時から練習した。

 「選手を成長させるのは練習だけだ。休んでもうまくなれない」と、妥協はなかった。
 オシム就任の1年目にタイトルに手が届くところまで急成長したジェフ。しかし翌年からは思わぬところでブレーキがかかった。代表クラスの選手の流出だ。昨年はDF中西永輔(横浜FMへ)、そしてことしはDF茶野隆行とMF村井慎二(ともに磐田へ)。打撃は小さくなかったはずだ。
 しかしオシムの口からは何の不満も漏れてこない。それどころか、若い無名選手を育てることであっという間にその穴を埋め、チームの中心選手たちの不在などすぐに忘れさせた。そして熱心なサポーターたちに待望の初タイトルをもたらしたのは、そうした選手たちだった。
 オシムは選手たちに何を授けてきたのだろうか。
 それは、「自分自身を信じ、その力を余すところなく発揮すること」ではなかっただろうか。

 G大阪とのナビスコ杯決勝戦、ジェフの選手たちは本当に勇敢だった。相手の攻撃陣をしっかりとマークしてゴールを守っただけでなく、自分たちのボールになると果敢に前に出て攻め込んだ。ポジションや経験に関係なく、どの選手も、チャンスと見たら迷うことなく「アタッカー」としてのプレーにトライした。
 明るい日差しのなか、国立競技場の美しいピッチの上で、ジェフの一人ひとりが輝いていた。それは、どの選手も例外なく自分のもてる力を発揮し、こんな舞台でサッカーができる喜びを体いっぱいに表現していたからに違いない。結果を恐れたり、浮ついている選手などいなかった。ただ、この試合に集中していた。
 試合には、日本中のサッカー選手たち、そして指導者たちへの、オシムからの力強いメッセージがあふれていた。
 「自分自身を信じ、力を余すとろこなく発揮さえできれば、誰にだって、こんなすばらしいことができるんだ」
 
(2005年11月9日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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