サッカーの話をしよう

No.576 新ウェンブリースタジアム完成近づく

 「募集の広告を見た瞬間、『天命』だと感じ、即座に応募しました。新しいナショナルスタジアムの芝の管理に携われるのは大きな名誉です」
 興奮を隠せない表情でそう語るのは、スティーブ・ウェルチ。最近、新しいウェンブリー・スタジアムのピッチ管理責任者に任命された。
 ロンドンの北東部に巨大なモニュメントが出現しつつある。高さ133メートルというから、ほぼ東京タワーの大展望台と同じ高さの鋼鉄製の大アーチ。イングランド・サッカーファン待望の新しいウェンブリー・スタジアムが、いよいよ完成に近づきつつあるのだ。
 そしてこの8月、新スタジアムのピッチ管理責任者が決まった。ウェルチは、ノッティンガム・フォレストで2002年に「プロサッカークラブ最優秀ピッチ管理者賞」を受賞した「芝名人」だ。

 現在、ロンドン近郊の苗床で育成されている芝は、来年のはじめに新スタジアムに移植され、最後の仕上げにはいる。スタジアムでは、すでに給排水と凍結防止の温水を通すための配管も完了、特殊な繊維を混ぜて芝生の根付きをよくした砂の床土を入れ、芝生の到着を待つばかりだ。
 ウェンブリー・スタジアムは、「サッカーの母国」イングランドの誇りだ。旧スタジアムは1923年に建設され、以来、イングランド代表のホームとして、そしてFAカップ決勝などごく少数の特別な試合の舞台として使われてきた。イングランドがワールドカップを制覇した(1966年大会)のも、このウェンブリーのピッチ上だった。
 新スタジアムには斬新なアイデアが盛り込まれている。1階席をつぶすことによって陸上競技のトラックを仮設できる画期的な設計が採用された。トラックの設置や撤去には、わずか数週間を要するだけだという。

 しかし設計者が何よりも心を砕いたのはピッチコンディションだった。近年、各地の最新鋭のスタジアムで、日当たりと風通しの悪さが原因で芝生がダメージを受ける例が数多くある。使用頻度が少ないこともあって、旧スタジアムのピッチは「世界最高クラス」と言われてきた。その評価を落とすことはできない。
 ところが新スタジアムのスタンドは旧スタジアムより20メートルも高いうえにピッチとの距離が短い。当然、日照時間は減る。他のスタジアムでは南側のスタンドの屋根に透明の素材を使う工夫の例もあるが、すぐによごれてその効果もなくなる。
 そこで新ウェンブリーでは可動式の屋根を採用した。試合中も、天気が良ければスタンドの大半には屋根はかからない。太陽光が直接芝生に降り注ぎ、風通しもよくなる。雨が降ってきたら屋根を動かす。わずか15分間で全座席が屋根で覆われるという。

 旧スタジアムの最終戦は2000年10月のワールドカップ予選、ドイツとの一戦だった。雨のなか、0−1で敗れたイングランドは、試合後にケビン・キーガン監督が辞任するというショッキングな「幕引き」となった。それから5年、新スタジアムがいよいよ完成間近となった。
 こけら落としは来年5月13日のFAカップ決勝。旧スタジアムも1923年のFAカップ決勝戦が初戦だった。このときには、10万人収容のスタジアムにその倍のファンがかけつけ、ピッチ内にまであふれた。そこに白馬に乗った警官が現れ、混乱なく人びとをピッチの外に出させて、無事、試合を行った。「ホワイトホース・ファイナル」と呼ばれる伝説の試合である(ことし5月、地下鉄のウェンブリーパーク駅に新しく設置された歩道橋の名前には、市民の圧倒的支持で「ホワイトホース」が選ばれた)。
 芝名人ウェルチが丹精したピッチの上で、新しいウェンブリーも、新しい「伝説」を生むことだろう。
 
(2005年10月5日)
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