サッカーの話をしよう

No.570 ウォータイム・フットボール

 第二次世界大戦が終結して60年を迎えたことし、世界の各地であの戦争が振り返られている。イギリスでは1冊の本が復刻された。『戦時下のサッカー(SOCCER at WAR)』。記録集計の第一人者ジャック・ロリンが20年前に書いた名著である。猛暑と言っていい気温ながら時折流れる風が心地よくなってきた8月の午後、この本を読んで過ごした。
 1939年8月26日、青空が美しい土曜の午後、イングランドではプロリーグのシーズンが開幕。ドイツとの開戦の不安が広がるなか、1部から3部までの全44試合で60万人ものファンがスタジアムにかけつけた。
 しかし9月1日、ドイツが突然ポーランドに侵攻、2日後、イギリスはドイツに宣戦布告する。そして政府の命令により、プロリーグはわずか3節で中止される。戦争が始まればイギリス本土が爆撃にさらされる危険性が高い。多くの人が集まるプロの試合は非常に危険だった。

 だが少し落ち着くと、各地のプロクラブは地元警察の許可を得て親善試合を開催するようになる。試合の人気は高く、政府も観客数を8000人以下と制限する条件で容認せざるをえなくなった。クラブはやがて地域ごとにリーグを組織する。選手の報酬は週1・5ポンドに固定され、勝利給は全廃されたが、不満など出なかった。
 選手の多くは兵役に志願していた。国内の駐屯部隊に配属された選手は許可を得て週末の試合に戻ってきたが、選手不足は否めなかった。
 あるクラブは3台の車に分乗してアウェーゲームに出かけた。だが途中で1台が故障、もう1台に乗っていた選手たちもその修理に追われて、試合地に到着したのは1台、2選手だけだった。仕方なくホームクラブが控え選手5人とコーチを貸し、不足の3人は観客から志願者を募ってようやく11人にした。

 試合は5−2でホームが勝った。ビジターの2ゴールのうち1点は貸し出されたホームのコーチが決めたものだった。これが「戦時下のプロサッカー」の現実だった。
 戦争が始まった年の11月には国際試合も再開された。といっても、イングランド、スコットランド、ウェールズ間、「英国国内の国際試合」に限られ、選手不足はこちらも同じだった。ロンドンで行われたイングランド対ウェールズでは、試合途中にウェールズの選手が負傷、イングランドのベンチでただひとり控えていた交代選手が急きょユニホームを着替えてウェールズ代表として出場したこともあった。
 恐れていたドイツ軍による英国本土爆撃が始まったのは41年秋。軍隊に徴用されていたスタジアムは爆撃の目標となり、使い物にならなくなった。こうしたクラブは、近隣のライバルチームのスタジアムを借りて試合をした。

 他に喜びがない時期だったからだろうか、どんなにスター選手が欠けていても、サッカーの人気は衰えなかった。それどころか、全席が前売りの入場券は売り切れの試合も多かった。そして45年、ようやく戦争が終わると、空前のサッカーブームが訪れる。
 「サッカーは第二次世界大戦を生き抜いた。それだけでなく、この国でサッカーが真に『キング・オブ・スポーツ』となるのは、第二次世界大戦を経た後だった」と、著者ジャック・ロリンは書く。
 スター選手たちが戦地から戻り、空襲の心配もなく何万もの人びとがスタジアムに集うことができるのは、まさに平和の恩恵だった。しかしそれ以上に、食料調達もままならない戦時下に選手たちが懸命のプレーを見せ、爆撃の恐怖をものともせずスタジアムで国民がその喜びを共有し続けてきたという誇りが、イギリスの社会におけるサッカーの地位を決定的なものにしたに違いない。
 
(2005年8月24日)
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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