サッカーの話をしよう

No.559 大雨の話

 午後5時に練習が始まって30分、ウォームアップが終了したころ、空が真っ暗になり、なぐりつけるような雨が降り出した。その雨を無視するかのように、ジーコ監督は北朝鮮戦を想定したポジショニングとセットプレーの練習を繰り返した。
 しかし雨は激しくなる一方で、水はけのよかったグラウンドもさすがに水が浮き始める。そこでジーコは、最後のシュート練習を「緊急メニュー」に切り替えた。ラストパスやポストからシュートさせるボールを、すべて「浮き球」にさせたのだ。ゴール前に勢いよく走りこんだ選手たちは、ボレーやヘディングで思い切ったシュートを放ち、次つぎとネットを揺らした。

 猛烈な暑さのバーレーンで快勝した日本代表は、6月5日、北朝鮮との決戦の地バンコク(タイ)にはいった。チームを待ち構えていたのは熱帯地方の猛烈な雨だった。
 「スコール」というような陽気なものではない。こんなにたくさんの水がどこから運ばれてきたのかと思うほどの豪雨なのだ。5日にはそれがたっぷり1時間半続いた。今夜の北朝鮮戦のキックオフは現地時間で5時半。「雨中戦」になる可能性は十分ある。
 雨の多い日本だが、集中豪雨のようななかで試合が行われることは稀で、ピッチも水はけが良いためか、いまの日本選手たちは水たまりに弱い。もしこんなコンディションで雨に慣れた東南アジアのチームと対戦したら、得意のパスはつながらず、苦戦は必至だ。

 雨のピッチで意外な強さを見せるのがブラジルの選手たちだ。スコールが多いためか、水たまりだらけのグラウンドでも、苦もなく得意のドリブル突破を見せる。日本やヨーロッパの選手たちだったら、ピッチ上に浮いた水にボールがつかまり、ドリブルなどまったく不可能だ。
 ブラジル人たちのドリブルの秘密は、ボールタッチの技術にある。日本やヨーロッパの選手たちはボールの真横やや上の部分を「押して」運ぶ。だから水につかまる。しかしブラジル人選手たちは、ボールの下に足先を指し込み、「切る」ようにして軽く浮かせながらスピードを落とさずに前進していくのだ。
 もちろんパスも浮かせる。グラウンドにつかなければ、イレギュラーバウンドや思わぬところで止まってしまうことはない。ドリブルのくせを簡単に変えることは難しいが、パスなら、意識すれば簡単に「大雨対策」ができる。ジーコの指導は、ブラジル人らしく、的を射たものだった。

 ところで、私の見るところ、北朝鮮は日本以上にこうしたコンディションに弱い。北朝鮮サッカーの基本はグラウンダーのすばやいショートパスにある。スピードがある一方で背の低い選手が多いことから考えられた戦法だ。選手たちは徹底してこのプレーを叩き込まれている。だがその戦法は、水が浮き出すような大雨のグラウンドでは威力を半減させられてしまう。
 1985年3月、日本と北朝鮮の間でワールドカップ予選が行われた。当時の力関係から圧倒的な劣勢を予想されたが、大雨と、水たまりだらけの東京・国立競技場のピッチがそれをひっくり返した。
 パスがつながらず苦しむ北朝鮮。ひたすら大きくける「雨用サッカー」を見せる日本。最後には、水たまりに止まったボールを日本FW原博実(現F東京監督)がボールの下に足先を入れて浮かせながら運んでタックルをかわし、決勝ゴールをけり込んだ。
 もちろん、北朝鮮も経験を積み、コンディションに適したプレーができるようになっているはずだ。しかし今夜、観客ゼロのスタジアムで記録される決勝ゴールは、日本選手のヘディングシュートか鮮やかなボレーシュートではないかと、私は期待している。
 
(2005年6月6日)
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