サッカーの話をしよう

No.525 停電の話

 「大変だったでしょう」
 9月8日のインド戦を終えて帰国した後、会う人ごとにそう言われた。ハーフタイムの停電事件だ。日本代表が勝ったことよりも、停電のほうが日本のファンの間では大きな話題になっていたらしい。
 日本が1点をリードして迎えたハーフタイム、突然スタジアムが暗くなった。しばらく待つとスタンド上部の記者席は電気がついたり消えたりを繰り返すようになったが、スタジアムの照明は戻らない。結局、後半が始まったのは、前半終了から45分も経過した後だった。
 私自身は、取材中にスタジアムの照明が落ちてしまった経験が何回かある。停電自体にはそう驚かなかった。
 1987年にポルトガルでヨーロッパ・チャンピオンズ・カップを取材したときには、後半の途中に突然スタジアムが真っ暗になってしまった。停電ではなく、誰かが誤って照明のメインスイッチを切ってしまったらしく、数分後には照明が戻った。

 真っ暗な間、スタンドのファンが非常に冷静なのに感心したことを覚えている。騒いだり、あわてて動いたりしたら、大きな事故につながる危険性がある。停電で最も怖いのは、観客のパニックだ。
 最も奇妙な「停電体験」は、99年のワールドユース選手権(ナイジェリア)だった。決勝トーナメント進出をかけた1次リーグ第3戦、バウチで行われた日本×イングランド戦のことだ。
 引き分ければいい日本だったが、イングランドの予想外のがんばりで苦しい試合になった。前半30分、FW永井雄一郎(当時カールスルーエ、現在浦和)に代えてMF石川竜也(当時筑波大、現在鹿島)を入れ、左サイドの守備を強化した直後に、突然、スタジアムが暗くなった。

 バウチのスタジアムには4基の照明塔がそれぞれのコーナーに設置されていた。そのうちの2基、イングランドのゴール裏の照明が消えてしまったのだ。不思議なことにメインスタンド側の1基はいくつかの電球が生きていて、弱い光を放っている。一方、日本のゴール裏の2基は、まったく問題がなかった。
 ナイジェリアに滞在中は、毎日のように停電があった。だからこのときも驚かなかった。チュニジア人のムラド主審も平然と試合を続けさせた。日本選手からは、ボールも相手もよく見える。しかしイングランド選手たちは非常にやりにくいに違いない。イングランドの監督がしきりに何かを叫んだが、試合はそのまま続行された。
 FW高原直泰(当時磐田、現在ハンブルガーSV)がファウルを受けて相手ゴール正面やや右で日本がFKを得たのは38分のこと。MF小野伸二(当時浦和、現在フェイエノールト)が小さく動かし、左利きの石川がきれいにゴールに叩き込んだ。このとき、イングランドのGKからは、選手やボールがシルエットのようにしか見えなかったはずだ。あまりフェアな形での得点とはいえなかった。

 このまま照明が消えたままだったら後半は苦しいぞと思っていたら、ハーフタイムのうちに全照明が生き返った。後半の立ち上がりに小野が見事なゴールを決め、日本は2−0で勝った。
 この後、日本は調子を上げて勝ち進み、世界大会で初めて準優勝という快挙を成し遂げた。そこで得た自信をベースにこの大会に出場した選手たちの何人もが2002年ワールドカップでも日本の屋台骨を背負ったことを考えると、あの停電は、日本サッカーにとって天の助けのような出来事だったのかもしれない。
 サッカーではいろいろなことが起こる。そして小さなハプニングがチームや選手たちの命運にさまざまな影響を及ぼすこともある。
 
(2004年9月22日)
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