サッカーの話をしよう

No.513 サッカーの本質

 先週UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦の取材でドイツに行ったとき、思いがけなく古い友人に会うことができた。大学は違ったが、学生時代にいっしょに少年たちにサッカーを教えた仲間だ。
 74年のワールドカップを見に行ってすっかりドイツが気にいってしまった彼は、翌年、何のあてもないまま、単身デュッセルドルフに渡ってしまった。以来、ドイツ生活は足かけ30年にもなった。
 私が知る学生時代、彼は実にユニークなサッカーコーチだった。少年たちを集めて行われた夏のキャンプで、初心者ばかりのグループを受け持たされた彼は、1週間というもの、ラグビーばかりやらせていた。はたで見ながら、ほかのコーチたちは首をかしげていた。練習内容はそれぞれのコーチに任されていたから批判はしなかったが、「まじめに」キックやトラップやシュートの練習をさせている私たちに比べると、元気よく遊ばせているだけに見えた。

 キャンプの最終日に試合が組まれた。ラグビーばかりやっていた初心者のチームに何ができるのかと興味深く見つめていると、彼のチームは驚くべきサッカーを見せて快勝してしまった。練習していないのだから、キックもトラップもまともにできないのだが、ボールを奪ってからのチーム全体の動きは抜群だった。私たちは、魔法のような彼の指導に舌を巻いた。
 ほぼ20年ぶりに再会した彼は、また別の面白いアイデアを話してくれた。20年ほど前、当時生徒が数百人もいたデュッセルドルフの日本人学校に頼まれて少年たちにサッカーを教えていたときの話だという。
 ある日、彼は少年たちに壁パスを教えた。短いパスを味方選手に渡し、味方選手が壁のようにそのパスをはね返して相手DFを置き去りにするプレーである。

 しかしそのプレーを教えた後に2対1での攻守をやらせてみると、少年たちは壁パスにこだわり、守備側も相手が壁パスをすると思い込んで守ってしまう。すなわち、壁になる選手にマークについてしまうのだ。これでは、実戦に役立つ練習にはならない。
 そこで私の友人は、ポケットからコインを取り出し、それを攻撃側のひとりの選手に渡すと、「サッカーのことはすべて忘れろ」と言った。そして、2人で協力して、なんとかあのラインまでこのコインを運んだら君たちの勝ちだとルールを説明した。
 コインを握らせたとたん、少年たちの瞳が輝いた。少年たちは驚くべきアイデアを次つぎと出した。味方に渡すふりをして自分でもってそのまま走ったり、いきなりコインをもっていない少年が前に走って守備を引き付け、フリーになった味方を走らせた。

 この話を聞いて、私はまたも目を開かされる思いがした。彼の指導は、サッカーというゲームの本質を見事についていたからだ。向こうに白い枠(ゴール)がある。相手の妨害をかいくぐって、なんとかそこにボールをもっていこうと知恵を絞り、みんなで協力し合うのが、サッカーというゲームではないか。技術も戦術もそのためにある。
 しかしともすると、コーチたちは技術や戦術にこだわり、プレーヤーたちに本質を忘れさせるほどそれを強調してしまう傾向がある。そうした指導の弊害は、Jリーグや、ときに日本代表にまで及んでいるように感じる。
 日本のサッカーは、子供たちが自主的にゲームをする「ストリート・サッカー」がベースになっているわけではない。だからなおさら、少年少女には、サッカーの本質を意識させる指導が必要だ。
 20年ぶりの突然の再会でも、お互いの近況を話すでもなく、そんな話に何時間も熱中した私たちだった。
 
(2004年6月2日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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