サッカーの話をしよう

No.504 大久保嘉人のフィニッシングタッチ

 「彼はフィニッシング・タッチを取り戻した」
 外電はそう伝えてきた。イングランド代表とリバプールFCのエースストライカー、マイケル・オーウェンである。先週水曜日に行われたプレミアリーグのポーツマス戦で、彼は2得点を記録して3−0の勝利に貢献したのだ。
 この試合前、オーウェンは厳しい批判にさらされていた。前節の試合でPKを失敗し、チームはサザンプトンに0−2で敗れた。FAカップの試合に次いで、3月にはいって2回目のPK失敗だった。昨年11月に足の故障で短期間欠場して以来、オーウェンはプレミアリーグで9試合に出場し、わずか1得点を記録しただけだった。プレーの質が落ちていたわけではない。ただ「ゴールの女神」に見放されていたのだ。

 しかし17日のポーツマス戦、先制ゴールのアシストをした後、難しいパスをトップスピードで走りながら胸でコントロールして抜け出して2点目を決め、後半にはライナーの左CKにヘディングで合わせて3点目を取った。
 「フィニッシング・タッチ」という言葉に適した訳語を見つけるのは難しい。「決定力」などと言ったら、実もフタもないように思う。難しい状況のなかから一瞬のチャンスが生まれるのを予感し見抜く目と感覚、そしてフィニッシュ(シュート)の場面で必要なスキルを的確に使ってゴールを決める技術。「タッチ」という言葉には、画家の筆づかいのような、微妙な感覚を伴った技術のニュアンスがある。
 週末にニュース番組でオーウェンの活躍を見ながら思い出したのは、U−23日本代表FW大久保嘉人(C大阪)のことだった。

 大久保の才能に異論をはさむ余地はない。昨年のJリーグでも16ゴールを記録し、C大阪の攻撃をリードした。日本代表のジーコ監督が昨年5月に21歳の大久保をデビューさせ、その後も使い続けて世界に通じるストライカーに育てようとしたのは、当を得たことだった。
 しかし日本代表では、何度も決定的なチャンスをつかみながら得点を挙げることができなかった。ひとことで言えば、「フィニッシング・タッチ」を欠いていたのだ。「決めてやろう」という意気込みが勝ちすぎ、冷静な判断や技術とのバランスを失って、大久保は「女神」から見放された。
 そしてついにことし2月のワールドカップ予選(オマーン戦)のメンバーから外された。その直後にはU−23代表のオリンピック最終予選のメンバーからも落選し、ファンを驚かせた。日本代表合宿での無断外出事件にもかかわり、2月から3月にかけての大久保は、想像を絶する苦境だったに違いない。

 しかしこうした苦境を、彼は見事にはね返した。C大阪でのトレーニングや練習試合で、冷静さを取り戻し、じっくりと考える時間があったのかもしれない。3月16日、U−23代表に復帰してレバノン戦のピッチに立った大久保は、昨年の上滑りしたような調子ではなかった。猛烈なファイトは見事にコントロールされていた。そして大きな価値のある決勝ゴールを決めた。2日後のUAE戦では、大久保ならではの「フィニッシング・タッチ」を見せて2得点を記録した。
 2点とも、簡単な得点ではなかった。何もないところからチャンスが生まれるのを見抜く目と、瞬間的に的確なスキルを用いる天才的な「フィニッシング・タッチ」があってこそのゴールだった。
 さらに3日後のJリーグで、彼は浦和から鮮やかな2点を奪った。大久保は完全に「フィニッシング・タッチ」を取り戻した。シンガポール戦のメンバーから彼を外さなければならなかったジーコは、残念で仕方がないに違いない。
 
(2004年3月24日)
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