サッカーの話をしよう

No.486 ウィー・アー・レッズ

 「ウィー・アー・レッズ、ウィー・アー・レッズ!」
 キャプテン内舘秀樹がナビスコ杯を高々と掲げると、国立競技場のスタンドの8割を埋めた浦和レッズのサポーターから歓喜の声が上がった。
 「私たちはレッズだ」----。
 それは、失望の底に突き落とされたときも、そしてこの歓喜の日にも、変わらず繰り返して叫ばれた言葉だった。
 11月3日、レッズはついに初めてのタイトルを手中にした。Jリーグ・ヤマザキナビスコカップ決勝で鹿島アントラーズを4−0で下し、プロとしてスタートを切ってから12シーズン目にして、ようやく「優勝」にたどり着いた。
 ハンス・オフト監督が2年間をかけてじっくりと作り上げたチームは自信にあふれていた。今季の補強は、GK都築龍太、DFニキフォロフ、そしてMF山瀬功治。いずれもいまや堂々たる中心選手だが、彼らのおかげで優勝できたわけではない。オフト監督就任時からチームに在籍し、その辛抱強い指導で着実に力を伸ばしてきた選手たちがつかんだ初優勝だった。
 しかしこの勝利の根源的な力は、オフト監督でも、ゴールを決めたFW田中達也やエメルソンでもない。私は断言する。レッズの最大の力は、間違いなくサポーターだ。
 Jリーグが誕生した当時から、レッズのサポーターのパワーは他を圧していた。数においても、そして過激さにおいても、レッズのサポーターほど社会現象化し、話題になった集団はいなかった。
 しかしチームは、彼らとは対照的だった。「最下位」が指定席となり、真っ赤に染まった駒場スタジアムでも不甲斐ない成績を残し続けた。95年にホルガー・オジェック監督を迎えてチームは急上昇するが、それでもタイトルには届かなかった。もしかすると、「サポーターの期待に応えたい」という思いが強すぎて、心身のバランスを失っていたのかもしれない。
 しかし負けても負けても、サポーターは減らなかった。それどころか、パワーを蓄積させ、数を増やしていった。
 この時期、彼らの愛唱歌は、エルビス・プレスリーの『好きにならずにいられない』だった。試合前、静かで、それでいて力強いハミングが、数分間にわたって続けられる。それは、サポーターからチームへの、無条件の愛情の宣言だった。
 しかし「連続最下位」も、99年11月27日のJ2降格決定の胸を引き裂かれる思いに比べたら、まだましだったのかもしれない。この日、ホームの駒場スタジアムを埋めた2万人の観衆の前で、レッズはサンフレッチェ広島に90分以内で勝つことはできず、クラブ・スタート以来最大の失望を味わった。
 そのとき、サポーターから際限なく繰り返されたのが、「ウィー・アー・レッズ!」の声だった。
 「僕たち自身が浦和レッズだ。J2だろうと何だろうと、これからも、胸を張ってチームとともに歩む」
 この日の「ウィー・アー・レッズ」ほど、クラブや選手たちの心を強く打つものはなかっただろう。その決意のとおり、翌年、サポーターたちはレッズとともにJ2の44試合を戦い抜き、苦難の末にJ1への復帰を勝ち取った。
 あの99年11月27日から4年、サポーターは歓喜にあふれた「ウィー・アー・レッズ」を叫んだ。
 喜びのなかで、監督も選手も、誰もがサポーターのことを語った。その言葉には、支えられ続けてきた彼らに、ようやくふさわしいものをもたらすことができた安堵の気持ちがあふれていた。
 おめでとう、「浦和レッズ」。言うまでもなくこの言葉は、クラブと、チームと、サポーターと、そしてレッズを愛するすべての人へのものだ。
 
(2003年11月5日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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