サッカーの話をしよう

No.438 高円宮さまを悼む

 「サッカー界は太陽を失った...」
 川淵三郎会長は、目を真っ赤に泣きはらし、力を振り絞るようにそう語ると、言葉をつまらせた。
 日本サッカー協会の名誉総裁でもあった高円宮憲仁さまのご逝去は、まるで天照大神が天の岩戸に隠れてしまったようなショックだった。まだ47歳の若さだった。それが、悲しみを増幅させる。
 10ものスポーツ団体の総裁職などを兼務され、ご自身も熱心なプレーヤーだった。記者仲間には、フットサル大会でごいっしょしたことがあるという人が何人もいる。
 「いつも真剣で、いっしょにプレーするのが気持ちよかった」と、彼らは口をそろえて語る。

 私自身には、そうした経験はない。しかしことし5月おわり、ワールドカップ取材で韓国に滞在中に、開幕戦出席のため日本の皇室としては戦後初めて韓国を公式訪問された高円宮さまのニュースを地元のテレビで見て、感銘を受けた覚えがある。正確な言葉は覚えていないが、非常に堂々とした口調で、韓国の歴史と文化を称賛し、日韓親善の意義を説かれた。
 金大中(キム・デジュン)大統領との会見では、日本代表の小野伸二選手の言葉を引用して、新しい時代への期待を語られたという。
 「『僕は本を通じて韓国との過去のことを知った。でも、サッカーを通じて韓国の人びとを知った。これからサッカーを通じて韓国の友との友情をいっそう深めたい』と、小野選手は話しています。こういう考えをもった若者たちが、日本でさらに増えていくと思います」
 韓国の人びとの間に澱(おり)のようにたまっていた日本に対する憎悪や不快感が、高円宮さまの訪韓によってずいぶん減らされたのではないか。強くそう感じた。

 「ユーモアも一流だった。日本人で、これほどスピーチの上手だった方は、そういないのではないか」。そう語る人も多い。
 聞く人は、最初のひと言からお話に引き込まれた。それは、誰かが書いた原稿ではなく、高円宮さまご自身の言葉で貫かれていたからだ。国際的な視野をもち、スポーツや音楽、演劇などへの幅広い情熱をもたれていたからこそ、生まれた言葉だった。
 言葉だけではない。皇族として限りなく制約を受けるなかで、高円宮さまほど、ご自身の意志での行動を常とされた方は少ないのではないか。
 日本代表のワールドカップの1カ月間を内側からとらえたDVD『六月の勝利の歌を忘れない』(岩井俊二監督、発売元エンジンネットワーク/電通)のなかに、目立たないが、感動的なシーンがある。

 冷たい雨のなか、奮闘空しくトルコの堅守を崩すことができなかった決勝トーナメント1回戦の直後のシーンである。ロッカールームに戻ってきた選手たちを、高円宮さまが、妃殿下の久子さまとともに、部屋の外に立って出迎えられていたのだ。
 勝った試合の後でロッカールームを訪れ、お祝いを言うことは、誰にもできる。だが負けた試合後の選手たちに言葉をかけるのは、相手の心情が痛いほど伝わってくるだけに、簡単なことではない。
 しかしこのときの高円宮さまの態度と表情は、気高く、ワールドカップの勝敗など超越したものだった。いつものように姿勢正しく立たれ、ご自身の苦痛など微塵も見せずに右手を差し出された高円宮さまとの握手から、何かを感じた選手も多かっただろう。
 「全力を尽くして戦ったのだから、恥じることはない。堂々と胸を張ってください」
 それは、スポーツにおける究極の「真理」の瞬間だった。
 高円宮さまは、本物の「スポーツ人」だった。
 
(2002年11月27日)
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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