サッカーの話をしよう

No.396 森島寛晃 日本の宝

 2002年元日、東京・国立競技場。
 晴れやかな表情でカップを受け取る清水エスパルスの選手たちを、セレッソ大阪のMF森島寛晃が見上げている。
 J2への降格が決まった後に就任した西村昭宏監督がチームを立て直し、見事な試合を続けて決勝に進出した天皇杯。決勝戦終了後、私は、「森島はやっぱり日本の宝だ」と思わずにいられなかった。
 中盤で献身的に動いてつなぎ役を果たしながら、ペナルティーエリアにはいっていって決定的な仕事をする----。0−2の劣勢から、森島は彼ならではのスタイルで追撃の1点を決め、この日、両チームの誰よりも多い6本のシュートを放った。

 苦しい1年だった。一昨年末、「オーバートレーニング症候群」で入院を余儀なくされ、ようやく回復して間に合ったJリーグ開幕戦で左ひざを負傷、4月下旬まで欠場を余儀なくされた。森島を欠いて崩れたセレッソのバランスは復帰後も戻らず、セレッソは第1ステージ14位と低迷した。
 第2ステージにはいった8月には左足に肉離れを起こし、1試合休んだだけで復帰したが、9月末には練習中に再発して約1カ月間の欠場を余儀なくされた。この間にチームは泥沼の7連敗を喫し、事実上降格が決まった。
 故障は不思議に日本代表の海外遠征と重なっていた。森島は2001年に日本代表が国外で行った4試合のすべてを欠場した。
 しかし国内では、全9試合に出場し、コンフェデレーションズカップ準優勝、キリンカップ優勝などに貢献した。森島こそ2002年ワールドカップ日本代表の攻撃に不可欠な存在であることを、強く印象づけた年でもあった。

 森島はセレッソとともに育った選手である。
 91年、静岡の東海大一高を卒業して日本リーグ1部のヤンマーにはいり、すぐデビューして5月までシーズンの残り6試合に出場したが、ヤンマーは2部に降格。翌シーズン、森島は2部の全30試合に出場、7得点を記録した。
 Jリーグに参加できなかったヤンマーは92年からJFLに参加、94年に現在の「セレッソ大阪」となり、95年にJリーグ昇格を果たした。森島が日本代表に選ばれたのはその年だった。
 96年には日本代表のエース格になった。当時メキシコ代表の監督をしていたボラ・ミルチノビッチ(現在中国代表監督)は、日本に2−3で負けた後、「印象に残った選手は?」と聞かれて、言下に「背番号15(森島)」と答えた。しかし98年ワールドカップでは、クロアチア戦で交代出場しただけ。わずか十数分間の「世界経験」だった。

 4年後のいま、ワールドカップに向けて不可欠な存在となった森島。その最大の魅力は、「ひたむきさ」にある。
 スピード、技術、決定力は世界の強豪を相手に十分通用する。しかし、ただ優れた選手であるだけではない。試合が進むにつれ、彼の存在感はどんどん大きくなるのだ。
 体を張って守備をした次の瞬間には、懸命に走って相手ゴール前に現れ、シュートを放っている。少年のような純粋さ、もっているものを出し尽くす意志の力、ひたむきにサッカーに打ち込む姿が、私たちの心を打つ。
 天皇杯決勝から2日後の1月3日、森島は故郷の広島市のグラウンドにいた。小学校時代に在籍した大河(おおこ)少年団の「初げり」に参加したのだ。そこには、小学生を相手に真剣な表情でフェイントをかける森島がいた。
 少年団も天皇杯もそしてワールドカップも、森島にとっては、「サッカー」というひとつの「輪」のなかにある。質の高いプレーだけでなく、彼のそうした心こそ、「日本の宝」だと思うのだ。
 
(2002年1月9日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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