サッカーの話をしよう

No.305 スピードの変化、方向の変化

 「チェンジオブ・ペース、チェンジオブ・ディレクション」
 30分間ほどのフィルムのなかで、彼は繰り返し繰り返しそう語った。30年近く前、学生時代に見たジョージ・ベストの技術フィルムだ。
 北アイルランド出身のジョージ・ベストは、マンチェスター・ユナイテッドのFWとしてヨーロッパ・チャンピオンズ・カップで優勝したヒーローのひとり。当時のサッカー選手のイメージからかけ離れたほっそりとした体、長く伸ばした黒い髪。そのスタイルから「サッカーのビートルズ」と呼ばれ、60年代の世界的アイドルだった。
 彼のプレーの魅力は、なんといってもそのドリブルにあった。巧みにボールを操りながら相手DFをきりきり舞いさせ、最後には置き去りにしてしまう。世界中の少年たちがあこがれるのも無理はなかった。

 そのベストが自分自身のプレーの秘密を簡単な言葉で語ったのが、「チェンジオブ・ペース、チェンジオブ・ディレクション」だった。「スピードの変化、方向の変化」という意味だ。
 現代のサッカーにはいろいろな攻撃戦術があるが、攻撃側が目指すゴールの前に立ちはだかる相手守備を破るための原則は、つきつめればこの2点に要約される。それは、1対1でも、チーム対チームでも変わることのない原則だ。
 フィルムでベストが説明していたのは1対1で相手を抜き去るためのポイントだった。「ほらね、ここでスピードに変化をつけ、ここで方向を変えているだろう。そうすれば、こんなに簡単に抜けるんだ」
 だがチームの攻撃でも、この2ポイントは同じだ。横パスで相手DFラインの足を止めさせ、その次の縦パスで突破を図る。ボールをサイドに展開し、そのサイドに相手の守備を集めておいて大きなパスを逆サイドに振り、そこで縦へのスピードを上げ、突破を図る。

 「チェンジオブ・ペース、チェンジオブ・ディレクション」、「スピードの変化、方向の変化」。先月、マカオで行われたアジアカップ予選をテレビで見ながら、ジョージ・ベストの説明が何度も頭をよぎった。
 日本代表選手たちには、こうした攻撃の原則など、トルシエに指摘されるまでもなく子どものころからしみついている。しかしそれでも、いつスピードを変え、どのタイミングで方向を変えるのか、なかなか感覚や判断が合わない。そのもどかしさは最後まで抜けなかった。
 昨年オリンピック予選を戦ったチームは、スピードと方向の変化が選手の個性とマッチし、最終的にはすばらしく高いレベルに達した。しかし6月、7月の1次予選の段階では、ことしの日本代表と同じようにもどかしい時間も長かった。新しいチームがこうした感覚や判断を合わせるには、すこし時間がかかるということなのだろう。

 2000年Jリーグの開幕も秒読みにはいった。
 先週土曜日のゼロックス・スーパーカップでは、名古屋グランパスとジュビロ磐田がそれぞれに見事なスピードと方向の変化でスタンドを沸かせた。グランパスは主としてストイコビッチの天才がその「変化」の部分を受け持った。一方、ジュビロは複数の選手が変化のポイントに立ち、全員の判断を合わせることで対抗した。
 クラブチームは毎日、そして1年間、場合によっては数年間にわたっていっしょに練習し、試合を続ける。互いのタイミングを覚え、変化をつくる感覚や判断を合わせる時間は十分ある。それこそ、クラブサッカーの最大の魅力でもある。
 スピードと方向の変化がチーム一体の感覚と判断で行われるハイレベルな攻撃を、今季、多くの試合で見たいものだ。

(2000年3月8日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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