サッカーの話をしよう

No.275 ベンゲル 愛情から引き出される力

 「新しいクラブで監督の仕事を始めるとき、あなたの仕事を導く哲学は何か」
 質問するのは英国の月刊誌『ワールドサッカー』のケア・ラドネッジ編集長。そして答えるのは名門アーセナルのアーセン・ベンゲル監督(元名古屋グランパス監督)である。ベンゲルの回答は明快だ。
 「選手たちの本質や才能を受け入れ、彼らのなかにあるサッカーをしたいという欲求をさらに進める努力をすることに尽きる。つまるところ、彼らがサッカーを始めたのは、サッカーが好きだったからだ。私がすべきことは、そのサッカーへの愛情を、自分のプレーを通じて表現するように仕向けていくことにほかならない」(『ワールドサッカー』99年7月号)
 ブラジルの圧倒的な強さを印象づけて、コパ・アメリカが終了した。ルシェンブルゴ監督就任後初めての大会。「新しいブラジル」は、近年にない「ブラジルらしさ」と「強さ」を兼ね備えたチームのように思えた。

 とはいっても、今回のチームの最大の特徴は、ヨーロッパのチームのような、大きな展開と、スピードを生かすシンプルなサッカー。それが、守りを固める相手をやすやすと攻め崩した最大の要因だった。その「ヨーロッパ・スタイルの枠組み」のなかに、最高の「ブラジルらしさ」が輝いていたのだ。
 攻撃の中心になったMFリバウドとFWロナウドのコンビプレーは、即興性にあふれ、「古き良きブラジル」を思い起こさせた。そこに至るまでの途中経過に手間をかけず、大きく、シンプルに展開するからこそ、可能になったものだった。
 前任者のマリオ・ザガロは、厳しい規律でチームを縛るタイプだった。しかし新監督は「ブラジル選手のサッカーへの愛情を最大限に表現させるためのゲーム」を考える人のようだ。コパ・アメリカでのブラジルには、それがよく表れていた。

 そして、日本代表のフィリップ・トルシエも、ベンゲルやルシェンブルゴと同じような「哲学」をもった監督だと、私は考えている。
 トルシエというと、風変わりな練習や感情むき出しの言葉、そして日本サッカー協会やJリーグ、選手に対する歯に衣着せぬ批判ばかりが話題になる。コパ・アメリカ敗退後の記者会見では、日本人の感覚から見れば、自己弁護のために選手を非難していると思われかねないコメントに終始して反発を買った。
 しかし彼の言葉をよく聞けば、サッカーやサッカー選手に対する深い愛情があるように、私には思える。
 コパ・アメリカを通じてトルシエが最も失望したのは、今回の日本代表には「コミュニケーション」を取ろうとする選手がほとんど見られなかったことだったという。食事に集まっても、わずか10分間ですませ、さっさと自室に戻ってカギをかけてしまう選手が多かった。

 日本代表選手たちは、サッカーに対する自分自身の愛情や情熱をどのようにとらえているのか。新しい監督や仲間の選手たちに、それをどう伝え、実現していこうと考えているのだろうか。伝えようとするどころか、かかわりをもとうとさえしないのは、なぜなのだろうか。
 トルシエの戦術やトレーニング方法、そして試合の仕方を批判するのは簡単だ。しかしトルシエが発しているサッカー選手としての資質の根源にかかわる疑問を、私たちはまじめに受け止めなければならないと思う。
 「人間的に強くなれなければ、グラウンドでも強くはなれない」とトルシエは語る。
 ベンゲルやルシェンブルゴやトルシエが、選手たちのサッカーへの愛情を第一義に据えるのは、愛情から引き出される力ほど強いものはないからだ。

(1999年7月21日)
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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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