サッカーの話をしよう

No.228 ワールドカップ ボールの進化

  ワールドカップの主役、それはもちろんプレーする選手たちだ。FIFA新会長でも、組織委員会委員長でもない。サッカーに生命を吹き込むことができるのは選手たちだけなのだ。
 そしてもうひとつ。選手たちによって命あるもののように躍動し、世界の人々の注目を浴びるのが、サッカーボールだ。
 直径22センチ、重さ約430グラム。ほぼ1気圧に保たれたボールは力強く張り、選手たちは足や頭などを使って自らの意思を表現していく。ボールは、その選手の技術水準を正確に観衆の前に示す。
 「ボールは汗をかかない」という言葉がある。90分間の戦いで人間は疲労する。しかしボールは疲れない。だからボールを目一杯動かして相手ゴールを狙う。それが近代的なパスのサッカーの出発点だ。

 だが1930年にウルグアイで第1回ワールドカップが開催されたころのボールは、現在のものとはずいぶん違ったものだった。
 当時のボールは牛の尻の皮を表に使い、豚の膀胱をチューブとして使っていた。表面には1カ所開口部があり、そこから中のチューブの口の部分を取り出して空気を入れ、口をしばって中に入れた後に皮のヒモで開口部を縫い合わせた。重さや大きさは同じでも、固くて厚い皮のボール。キックの感触や技術自体も、今日とは違ったはずだ。
 第1回ワールドカップには使用球の規定がなく、決勝戦に出場したウルグアイとアルゼンチンはともに自国製ボールの使用を主張して譲らなかった。結局コイントスで前半はアルゼンチン、後半はウルグアイのボールを使うことになった。両チームがこだわるだけのことはあった。前半、アルゼンチンが2ー1でリードしたが、後半になるとウルグアイが3点を決め、4ー2で初代の世界チャンピオンになったのだ。

 ボールが「主役」になったもうひとつのケースが66年イングランド大会の決勝戦だ。
 2ー2で迎えた延長戦、イングランドのハーストの放ったシュートは西ドイツ・ゴールのバーの下側を叩き、真下に落ちて大きくバウンドした。バー越しにクリアする西ドイツDF。しかしスイス人のディーンスト主審は線審と協議の末ゴールインを認めた。西ドイツでは、その後何十年も、ボールがラインを越えていないという「証拠探し」が行われたという。
 この当時まで12枚あるいは18枚のパネルを組み合わせてつくられていたボールは、次の70年メキシコ大会から正五角形12枚と正6角形20枚を組み合わせた32枚型になる。それとともに現在もポピュラーな「白黒ボール」が登場する。

 さらに86年メキシコ大会では、それまで天然の牛革だけだった素材が人工皮革に代わる。より完全に近い球形、変形しにくいこと、そしてキックしたときのボールの伸びなど、大幅に「改善」されたものだった。ただワールドカップ決勝大会で初めて使われたため、フリーキックなどのコントロールが定まらず、「もっと早く使わせてほしかった」という不満ももれた。
 今大会も、メーカーはワールドカップのために新しいボールを用意した。特殊な加工でより弾みやすくしたのだという。このボールに慣れるために、Jリーグでは今季の開幕から使用している。
 他に何もなくても、たった1個のボールがあればゲームができるサッカー。それゆえに世界のすみずみにまで広まったサッカー。ワールドカップでも、原点が1個のボールであることに変わりはない。

(1998年6月1日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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