サッカーの話をしよう

No.134 天皇杯 カップはひとつに

 「私の選手生活で最高の瞬間だった」
 1966年イングランド・ワールドカップの優勝キャプテン、故ボビー・ムーアにインタビューしたとき、ワールドカップをエリザベス女王から手渡された瞬間の気持ちを聞いた。ムーアは「あの日」を思い出すように目を細め、冒頭のような返事をしてくれた。
 世界に何億サッカー選手がいても、優勝キャプテンとしてワールドカップを受け取ることができるのは4人にひとり。長いサッカーの歴史でも15人にすぎない。それがどれほどの「価値」があるものか、本人にしか理解できないだろう。

 ワールドカップの「表彰セレモニー」は実にシンプルだ。まず準優勝チームがロイヤルボックスに上がってそれぞれメダルを受け取り、降りてくると優勝チームが上がり、キャプテンにカップが、そして全員に優勝メダルが手渡される。
 キャプテンはカップを頭上に高く掲げ、場内のファンに誇らかに示す。これこそ、「人生最高の瞬間」にほかならない。

 温かな晴天に恵まれたことしの元日、天皇杯で初めてのビッグタイトルを獲得した名古屋グランパスの表彰を見ていて、「なんてもったいないんだろう」と思わずにいられなかった。
 これはいったい何の大会だったのか。グランパスには、額にはいった表彰状に続いて、なんと4つものカップ、トロフィーが手渡されたのだ。ストイコビッチは、いったいどれが「いちばん大事」なカップなのか、不思議な顔をして見ていたが、やがて適当なカップに目をつけると、キスをしてファンに掲げて見せた。

 世界の最高峰のワールドカップではカップはひとつだけ。だが日本では、大会が大きくなればなるほど、たくさんのカップが出てきて優勝チームに渡されるのが伝統だ。それが「立派な表彰式」と思われているフシさえある。

 1986年メキシコ・ワールドカップの決勝戦終了後を頭に描いてみてほしい。すり鉢の底のようなアステカ・スタジアムのフィールドは、天頂からの太陽に明るく照らされていた。その中央に、肩車されたアルゼンチンのキャプテン、ディエゴ・マラドーナがいた。
 私の記者席は、スタンドのかなり高い位置にあったが、それでも、マラドーナが右手で高く掲げたワールドカップが太陽を反射してキラキラと輝くのをはっきりと見ることができた。それがどれほど感動的だったか、つたない文章ではとても表現できない。

 大会を開催するには、放送局、スポンサー、協賛企業など、各方面のお世話にならなければならない。しかしそうした組織や企業からカップやトロフィーが出され、本来の優勝カップの影が薄くなってしまうのはまったくの本末転倒だ。

 天皇杯は96年度に大きく改革され、変貌する予定だ。これまではJリーグに各地域代表を加えた32チームで「決勝大会」を争っていたが、次回からは各都道府県に1チームずつ出場権が与えられ、JリーグやJFLを含んだ80チームの大会となる。
 その「大改革」を機会にぜひ実現してほしいのが「カップの一本化」だ。表彰状はあとで渡せばいい。セレモニーでは天皇杯と優勝メダルだけを渡す。

 本来日本で最高のもののはずである「天皇杯」のカップを、頭で描くことができるファンがいまどれくらいいるだろうか。天皇杯が全体として盛り上がりに欠ける理由のひとつがそこにあることに、日本サッカー協会は気づかなければならない。
 カップの「提供者」に対する敬意のためにも。

(1996年1月23日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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